宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

山本正徳市長宛、宮古市都市計画案への意見書

2013年03月15日 | どうなる鍬ヶ崎

(1)鍬ヶ崎・光岸地地区の土地区画整理事業の名称の変更、施行区域の変更
──  について

 ☆

 

危険な区画整理事業計画の変更 / 私権で動く防潮堤

 計画の変更などの裏では個人や団体がいろいろ注進したり注文したりしているようだ。設計図一つ変更するにも誰かが自分の私利私欲のために建設担当課と、あるいは委託業者と密室でこそこそ通じているような気がする。

 ←変更前(印の列が防潮堤ライン)

宮古都市計画土地区画整理事業の変更 計画図(案) 


 ●シミュレーションのやり直し、住民のコンセンサスが必要

 鍬ヶ崎地区の港町にかかるこれほど大きな防潮堤計画の変更は今後地域住民のコンセンサスをとりなおし、かつ、津波浸水、深水高シミュレーションをやり直さなければならない。

 防潮堤のラインのこの変更は私企業や現地事業所の都合によるものだ。私権でこうも簡単に地区防災線が変えられていいのか?  防潮堤の大義はここですでに崩れていると言ってもよい。もともとこの防潮堤計画は地区の津波防災には根拠薄弱であること、また地区住民のコンセンサスが固くとられていない計画であることをこの変更は物語っている。

 計画変更を見ると、防潮堤の中央点、凹字形に曲がった扇の要の位置がいっそう奥に深く変更になったのである。一二の企業・事業所には都合が良いかもしれないが、そこに津波をよびこみ、津波の圧力が集中してそこから防潮堤が崩壊する危険性がある。津波浸水の広がりが地区一帯に波及する危険性。鍬ヶ崎のこの地区一帯は、明治三陸津波、昭和三陸津波において被害が甚大であった。宮古湾、宮古港の波の動きが集中する場所である。今次3.11津波においても同様であった。イージーに変更を加えるべき場所柄ではない。

 そもそもなぜ防潮堤のラインが変更になったのかの説明がない。この箇所の変更は単に「名称の変更」とか「施行区域の変更」どころではなく、私権や危険性の問題をはらんでいる。

特にこの地点での防潮堤ラインの変更は防潮堤のアキレスの腱と言われる陸閘や排水溝口、河川河口と同様に、否、それ以上に大きな崩壊原因になる。コンセンサスのやり直し、シミュレーションのやり直し、疑惑の払拭など、ていねいに、住民の納得が得られるまで繰り返し行われる必要がある。そうでなければ、この変更は長く鍬ヶ崎に禍根を残すことになる。


(2013.3.11)

 以上

 
「施行区域の変更」とは、実は、防潮堤ラインの変更ではなく、上図の丸く吹き出しで囲んだ「土地」が鍬ヶ崎・光岸地地区土地区画整理事業の対象区域から外れる(区域除外)ということである。だからこの宮古市長への私の意見書も、論点が外れているということで却下される運命にある。誰でもわかるように宮古市の目的は、本当は、防潮堤ラインの変更なのであるが、こうして区域除外という手を使って住民の理解を得たことにするつもりなのである。何の争点にもならない名称変更や区域除外をもって防潮堤ラインの変更を既成事実化するつもりなのだ。

 このほかにもこの整理事業は「都市計画」と言ったり「事業計画」と呼称して、住民の頭を混乱させている。前者の意見書は宮古市長に、後者の意見書は岩手県知事に提出するようにと言うがその違いなどの説明がない。それぞれ縦覧期日と意見書の提出期限が異なるものを、またそれぞれ直前に変更したりして、宮古市側の頭も混乱している。この計画案は完成度や手続き上からも無効なものである。2月21日の現地説明会が平穏であるほどに混乱の深刻さがうかがえる。防潮堤ライン変更の説明、区域除外の説明はされていない。  ※資料には区域除外の理由として「防潮堤の位置の変更、護岸復旧工事(県事業)に伴う変更」とあるがその場しのぎの言葉にしか聞こえない。防潮堤の位置の変更も区域除外もどこかの私権だと思います。



 





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