岩手県・宮古土木センターを訪問して分かった事
「鍬ヶ崎の防潮堤を考える会」では11月21日、宮古市五月町の県の宮古事務所「岩手県・宮古土木センター」を訪問して鍬ヶ崎日立浜の地盤沈下修復工事や鍬ヶ崎防潮堤の「30mmアクリル製窓」についてなどを質問した。
生産基地が宮古から消える瀬戸際
日立浜風景 撮影:井田裕基氏
◆ 日立浜が狭くなるのは漁協や行政が原因 ではないのか?
1)<質問> 震災の地盤沈下のため船あげ場を沖に前出しするという本気度の薄い設計
傾斜部(=船揚げ場傾斜部)が20m〜30mの沖出しから14m〜18mに縮小された件、について質問した。
平成27年7月27日の平面図、黒いところ は現在使用中の船揚げ場(地盤沈下
前は緑色のところまで船が上がっていた)
当初平成26年11月4日の市役所6階での説明で宮古土木センターは「後ろが防潮堤にとられる分、船あげ場を沖に向かって 20m〜30m 延長前出しする」として計画平面図及び断面図を市民に示した。
ところが、平成27年7月27日には、一部漁業者を宮古漁協に集めて、文面だけ「前出しは 14m〜18m 」となっている同じ平面図を示した(上記図面)。断面図の方は沖だし部分が半分以下のかなり貧弱なものに変わっている(下記資料)。当初計画より面積で3割〜4割減となる。漁師は図面を読めないと見たか、最初からだまそうとしたか?! 当日の地元の出席者にきくと説明はなかったという。事実は、土木センターがそこの変更部分の説明を他の説明にまぎらわして意図的に回避したようである。
その点を土木センターに厳しく追及すると次のような <回答> が返ってきた──
次の 2)をふくめて「全体に漁業基地は狭くなっている事は事実だ。平成26年の日立浜の漁業就業者数の見通しから見て、27年の漁業者数の見通しはかなり減っているからだ」という回答。その26年の実数、27年の実数を教えてくれと再質問したが「手元になく後でお知らせする」というものであった。その調べはどこで行なったのかについては「港町の宮古漁協鍬ヶ崎支所だ」という。調査の方法は質(ただ)すべくもなかったが、おそらく、高齢者問題、後継者問題であろう。 ※ 面積の具体的な増減については後日詳しく回答する。
ここには、宮古漁協と宮古市や岩手県のまさに「日立浜漁業縮小へのプログラム」が見え隠れする。縮小など冗談ではないのである。後継者が一人前になるまでまだまだ歯を食いしばって家族で働いている高齢者が多いのだ。彼らは漁師の現役というだけでなく地域の基幹産業の行く末を自分の事以上に心配して今日まで頑張って来ているのである。漁業基地日立浜の基地の震災復旧復興、6次産業的漁業振興策、若者の新規就業などが課題だという事をよく理解して働いている。将来への意欲は旺盛である。それなのに、このような漁協と行政の闇の裏取引は許せない。浜が縮小したら生業、産業そのものが縮小する。その瀬戸際である事を訴えたい。
2)<質問> 陸上の作業場、船揚げ場のど真ん中が防潮堤敷地となり、絶対的に面積がなくなる
西側のケーソンヤード、東側の造船所跡地はその工事中の仮置き場になっているが工事が終われば返却しなければならない土地ではないのか?
<答え> 東側の造船所跡地は工事終了後も狭くなった船あげ場の補充面積としてそのまま使えるが西側のケーソンヤード(国土交通省管轄)敷地跡は工事終了後に返却するものかどうか分からない(!)。ので後で回答する。
◆工事中の漁船引き上げウィンチの仮移動に移設補償費
防潮堤も同じだが日立浜の管理は岩手県。地盤沈下の修復工事は岩手県の管理。休業補償、漁船の仮り移転本移転費用、漁船引き上げウィンチの仮り移動本移動費用等については納得できる充分な交渉が必要。ウィンチの仮り移動については11月21日現在、全体の1/3件ほどが契約終了で実行されている。金額など不明ながら、しっかりした補償がなければならないのに、現地、漁協、行政の補償契約があやふやな印象があった。
日立浜地盤沈下修復の漁業継続の補償問題が、万が一、鍬ヶ崎の住宅問題で「反対の人の家は建たない」的に防潮堤を踏み絵にしたように、防潮堤賛成・反対に波及してくるとそれは買収問題である。あってはならない事だ。
<資料> 説明もなく変更された浜の計画断面図
※ 現船揚場は地盤沈下と防潮堤で2重に狭くなろうとしている。
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