戦国BASARA3にはまっている息子の好きなキャラクターの一人で、コタツみたいなものの上にのって、中に浮きながら数珠を使って攻撃をしてくる。
このキャラクタの元になった大谷吉継について調べてみると、意外なことが分かりました。
実際の大谷吉継はゲームの設定であるような世の中を恨んでいるような暗いイメージとは違い、石田三成の友人として死ぬのを覚悟で関ヶ原で戦ったという、非常に義侠心あふれる戦国武将だったようです。
ただ、本当かどうかわかりませんが、ハンセン氏病を患っていたため、常に白いマスクをしていたということでゲームではこんなキャラクターになったんでしょう。
この大谷吉継、Wikipediaによると、「天正17年(1589年)に越前国の内で敦賀郡・南条郡・今立郡の5万石を与えられ、敦賀城主となった」とありますから、私の田舎を統めていたことになります。
このコタツに乗って中に浮いた宇宙人みたいな人が収めていたのかと思うと、なにやら親しみが湧いてきます。
今こそ敦賀市は、大谷吉継で町おこしをやるべきですね。
このキャラクタの元になった大谷吉継について調べてみると、意外なことが分かりました。
実際の大谷吉継はゲームの設定であるような世の中を恨んでいるような暗いイメージとは違い、石田三成の友人として死ぬのを覚悟で関ヶ原で戦ったという、非常に義侠心あふれる戦国武将だったようです。
ただ、本当かどうかわかりませんが、ハンセン氏病を患っていたため、常に白いマスクをしていたということでゲームではこんなキャラクターになったんでしょう。
この大谷吉継、Wikipediaによると、「天正17年(1589年)に越前国の内で敦賀郡・南条郡・今立郡の5万石を与えられ、敦賀城主となった」とありますから、私の田舎を統めていたことになります。
このコタツに乗って中に浮いた宇宙人みたいな人が収めていたのかと思うと、なにやら親しみが湧いてきます。
今こそ敦賀市は、大谷吉継で町おこしをやるべきですね。
なかなかあの人みたいな生き方はできないですよね。
山浦先生はゲームや漫画お好きですね。
先生の存在感とはなかりギャップがありますが(笑)
私はゲームも漫画もで初めの頃から知っている世代ですからね〜。
それで育ったようなもんですよ。
ここ一年近くゲームはやってませんでしたが、子供の影響でまたやりだしました。
でも、昔ほど意欲がなくなってしまいましたね。
今度、田舎に帰ったら大谷吉継の資料が残っている場所に行こうかと話しをしています。
癩病で顔の皮膚が崩れていたにも関わらず多くの人から信頼を得て、戦国一の義将と言われているということは、本当に素晴らしい人だったんでしょうね。
また、吉継の話聞かせて下さい。
BLOG楽しみにしてますので。