№15
この耳というのは聴覚のこと。
今朝の新聞で補聴器の広告を読んだ。「目の老化は耳と違って細かい
文字を見ればすぐわかる。次第に耳が遠くなるのは良い頃と比較できない
から気づかない」というような文面だ。
しかし、耳の良い悪いは目で確認できる。
私が音感訓練を受けた佐々木先生には兄弟3人の息子さんがいて
一番下の迪也(みちや)君は、中学1年生だったと記憶する。
先生が絶対音感の講演を頼まれた時、迪也君が同行して舞台に上がり
耳が良いと例としてお手伝いをしていた。
舞台で迪也君は、先生の前に立つから 先生が何をするかは見えない。
後ろの先生は、紐に吊り下げた数個の鍵を来客へ見せてから、
腕先で振ってチャラチャラと音を鳴らす。
「迪也、鍵はいくつだ?」「3個かな」で先生が鍵をよく見せると
正しいから 来客から驚いたざわめきがおこる。
これを 鍵を代えて数回やってから2個加えてこれを振る。
「迪也、鍵はいくつだ?」「5個だよ。だけど同じ音のする鍵が
あるから音は4個だよ」これで来客から激しい拍手か湧く。
この通り、耳の良い悪いは目で判断できる。ただし、鋭い聴覚で
なければ無理 ということだが・・
先生は、弟子の日本女子大の学生から
「寮生たちで合唱団を作ったからその指導を」と頼まれた。
しかし、女子寮は男子禁制である。先生は「未成年ならいいか?
迪也でどうだ?」ということで、迪也君は中学生で日本女子大の
学生たちの合唱指導をしている。
前回の巌本メリー・エステルさんのように左脳を使う音楽は、
10歳でプロとして活躍し年齢に関係ない。
確か20歳で東京音楽学校の教授として招かれた筈だ。
演奏に全力をそそぐ音楽家と 自分より年齢の高い学生たちへ教える
教授は明確に異なる。さぞかしつらいことだったろう。
確か4年ほどで教授を辞めている。
この耳というのは聴覚のこと。
今朝の新聞で補聴器の広告を読んだ。「目の老化は耳と違って細かい
文字を見ればすぐわかる。次第に耳が遠くなるのは良い頃と比較できない
から気づかない」というような文面だ。
しかし、耳の良い悪いは目で確認できる。
私が音感訓練を受けた佐々木先生には兄弟3人の息子さんがいて
一番下の迪也(みちや)君は、中学1年生だったと記憶する。
先生が絶対音感の講演を頼まれた時、迪也君が同行して舞台に上がり
耳が良いと例としてお手伝いをしていた。
舞台で迪也君は、先生の前に立つから 先生が何をするかは見えない。
後ろの先生は、紐に吊り下げた数個の鍵を来客へ見せてから、
腕先で振ってチャラチャラと音を鳴らす。
「迪也、鍵はいくつだ?」「3個かな」で先生が鍵をよく見せると
正しいから 来客から驚いたざわめきがおこる。
これを 鍵を代えて数回やってから2個加えてこれを振る。
「迪也、鍵はいくつだ?」「5個だよ。だけど同じ音のする鍵が
あるから音は4個だよ」これで来客から激しい拍手か湧く。
この通り、耳の良い悪いは目で判断できる。ただし、鋭い聴覚で
なければ無理 ということだが・・
先生は、弟子の日本女子大の学生から
「寮生たちで合唱団を作ったからその指導を」と頼まれた。
しかし、女子寮は男子禁制である。先生は「未成年ならいいか?
迪也でどうだ?」ということで、迪也君は中学生で日本女子大の
学生たちの合唱指導をしている。
前回の巌本メリー・エステルさんのように左脳を使う音楽は、
10歳でプロとして活躍し年齢に関係ない。
確か20歳で東京音楽学校の教授として招かれた筈だ。
演奏に全力をそそぐ音楽家と 自分より年齢の高い学生たちへ教える
教授は明確に異なる。さぞかしつらいことだったろう。
確か4年ほどで教授を辞めている。