ボケたくない人 この指とまれ

大正13年 生れ。91歳。
日常の食事が薬、医者は心の中の神様が代わりだと思う人集まれ。

耳の良い悪いは 目で判断できる

2015年06月30日 07時35分04秒 | 日記
№15 

 この耳というのは聴覚のこと。

 今朝の新聞で補聴器の広告を読んだ。「目の老化は耳と違って細かい
文字を見ればすぐわかる。次第に耳が遠くなるのは良い頃と比較できない
から気づかない」というような文面だ。

 しかし、耳の良い悪いは目で確認できる。

 私が音感訓練を受けた佐々木先生には兄弟3人の息子さんがいて
一番下の迪也(みちや)君は、中学1年生だったと記憶する。
 先生が絶対音感の講演を頼まれた時、迪也君が同行して舞台に上がり
耳が良いと例としてお手伝いをしていた。

 舞台で迪也君は、先生の前に立つから 先生が何をするかは見えない。
後ろの先生は、紐に吊り下げた数個の鍵を来客へ見せてから、
腕先で振ってチャラチャラと音を鳴らす。

「迪也、鍵はいくつだ?」「3個かな」で先生が鍵をよく見せると
正しいから 来客から驚いたざわめきがおこる。

 これを 鍵を代えて数回やってから2個加えてこれを振る。
「迪也、鍵はいくつだ?」「5個だよ。だけど同じ音のする鍵が
あるから音は4個だよ」これで来客から激しい拍手か湧く。

 この通り、耳の良い悪いは目で判断できる。ただし、鋭い聴覚で
なければ無理 ということだが・・

 先生は、弟子の日本女子大の学生から
「寮生たちで合唱団を作ったからその指導を」と頼まれた。
しかし、女子寮は男子禁制である。先生は「未成年ならいいか? 
迪也でどうだ?」ということで、迪也君は中学生で日本女子大の
学生たちの合唱指導をしている。

 前回の巌本メリー・エステルさんのように左脳を使う音楽は、
10歳でプロとして活躍し年齢に関係ない。
 確か20歳で東京音楽学校の教授として招かれた筈だ。

 演奏に全力をそそぐ音楽家と 自分より年齢の高い学生たちへ教える
教授は明確に異なる。さぞかしつらいことだったろう。
 確か4年ほどで教授を辞めている。

 耳の鋭い少女との出会い

2015年06月29日 07時22分34秒 | 日記
№14 

 毎週の日曜日の早朝に佐々木先生の家に通っている頃,私と同年齢と
思われる細身の女性を玄関の近くで見かけるようになった。

 ある日、先生の奥さんが玄関から出てきて「あら、メリーさん早いわ
ね。家にお入りなさいよ」と声をかけたので、前後してレッスン室へ入
った。
 当時、男は女性へみだりに話しかけてはならぬ時代で、互いに無言だ
った。 先生がレッスン室へきてピアノの前に座り「はい、メリー 
やるよ」といきなり鍵盤を叩き出すと、そのメリーさんなる 無口の弱々
しい少女の音名の答え方が ピアノのガンと鳴る和音と殆ど同時という
早さには驚きだった。

 これが、少女バイオリン弾きで有名な巌本メリー・エステル、後の
巌本真理さんだった ということはずっと後で知ったことである。

 厳しい音感訓練をして聴覚が鋭くなると、自然に性格まで変えざるを
得なくなる。
 例えば男女4人で混声合唱をする時、音域の広い4人の美しいハーモ
ニー(協和音)の流れが、その歌曲の題名に合っているかに神経を使う。
自分が目立つ歌い方であれば他の3人の表情を見ればすぐ気付くのだ。

 合唱とは自分以外の歌手たちへの心くばりで上手と下手が決まってしまう。
 私の今の健康と性格を維持できたのは「合唱」で、
私にとり「合掌」に通ずる。




頭脳の右側は通称「音楽脳」

2015年06月28日 11時16分20秒 | 日記

 前回は、私の素人考えで「ボケは病気では無い」と述べた。
もし薬局で「ボケに効く薬をください」と言ったら「はい、これです」と効く薬
がおいてあるのかどうか。 

 人間の頭脳の神経細胞は左右に分かれていて、左側が通称「言語脳」、右を
「音楽脳」の略称がある。

 言語脳のほうは計算だとか学問や激しい会話とかで日常生活で駆使している。
音楽脳は、芸術関係や情緒のように感情的な部門をつかさどっているから比較的
に暇らしいというのが私の雑知識。

 脳神経も身体の筋肉と同様に、使わないと退化するから反応が弱くなる。それで
「若い頃から何か芸術に携わった方がボケ防止になるのでは・・」とこれは老人に
なってから自分の過去の体験で気付いたことである。
 
 私は、中学生の頃に勉強はそこそこにしてラジオの「名曲鑑賞の時間」をよく聞
いた。オーケストラの合奏をする和音のハーモニーの流れが心に響くあまり
「作曲家があの曲を作る時の気分になれたら・・」と、中学4年の時に音感をつけ
ようと音感教育の佐々木幸徳先生を訪ね、和音の訓練をお願いした。

その時「モミジのごとく 茶のごとし」の項の易者のように「君は親に内緒できた
ね」と私は先生に見抜かれてしまった。「わかった。訓練は日曜日の弟子たちが来
ない早朝にやる。月謝はとらない。ただし、絶対休まずにくること約束できるかね」

 音感訓練は厳しかった。先生がピアノの鍵盤を3個か4個を同時に叩くと、反射
的にその鍵盤の音名を下から順に大声で呼称する。音名の呼称が良ければ叩き方が
どんどん早くなる。

 その約一年後、ピアノの鍵盤でいえば白鍵の和音訓練が終わり、いきなりG(ゲー)
「ドレミファソのソ」の音が出せる。
男女混声四部合唱のバリトンかバスの音域で歌えるようになった時の感激は 今でも
忘れられない。 


ボケは 認知症と違うのではないか

2015年06月27日 06時10分29秒 | 日記
 今はボケって言ってはいけなくて認知症と言うのが正しいらしい。でも私は若い
頃から、物忘れした時、そそっかしい行為をした時は、親しい仲間と「このボケナ
ス」とか「ボケ野郎」と気楽に言いあっていたから何故か親しみがある。

 子供の頃に母がボケとよく言ったのは花のボケだが、聞き慣れていると言いやすい。
植物のボケは江戸時代から果実を疲労回復の薬草として栽培していたと図鑑にあるか
ら、ボケと言うだけでその効果があるかなと勝手に解釈する私である。 

 ボケとは老化の初期現象で病気ではない。それを認知症と病名にしたのは誰だろう。
一病息災、三病息災で生き続ける老人の健康保持を原点に考えれば不見識なことだ。

 昨日の新聞の社会欄に、昨年度、家から出て行方不明で警察へ届け出た認知症患者
は1万783人と出ていた。

 あと10年後は日本人の人口の3分の1が老人だという予測があるから、それに備え
てまず考えなくてはならないのは 現代の物余り過ぎの悪い文化に浸りきった家族の
生活様式をいかに変えるかに 頭脳をこき使うことである。
                          (この項目は明日に続く)

アカザを食べたことありますか

2015年06月26日 02時57分25秒 | 日記
 今朝、家内が近くの空き地で野草のアカザの葉を摘んできて「すぐオヒタシにする
からね」と言う。
 アカザの葉は薬草図鑑によると、ベタイン、ビタミンA、B1、Cを含み ヒタシ
物やあえ物にすると良いとある。インドか中国が原産で、かなり古い時代にわが国に
渡来した ともあるから神農さまの衣服についたタネの直系子孫かもしれないと夢を
描き、ありがたく賞味した。

 今年は突然凄い夕立が降る梅雨のお蔭で草木の育ちが良い。
 庭の片隅の赤スグリの木の小枝、小枝に赤い実が並んでいたのは知っていたが、それ
が摘まれて台所の笊に入っている。7月にかけて数回摘めるから「ウーン、ジャムにす
るな」その甘酸っぱい味が楽しみ・・

 私は、最近のメカに弱く、このブログに写真の掲載を何度やってもできない。赤スグリ
の美しさがお見せできないのが詢に残念。