ボケたくない人 この指とまれ

大正13年 生れ。91歳。
日常の食事が薬、医者は心の中の神様が代わりだと思う人集まれ。

福祉と幸福とは同じ意味なのに

2015年05月25日 08時52分23秒 | 日記
 最近、福祉という文字をよく目にする。辞典では、福祉も幸福も同意義となっている。幸福は文字を見るだけで心が和む。が、福祉は 祉 に親しみが無いからか、幸福ほどの温かさを感じない。

 私は91才、妻が79才。どちらも敗戦後の東京の焼け野ガ原で食料探し、医者も病院も無い。ない、無いづくしの悲惨な暮らしを体験してきているから、健康は「自分だけが頼り」と思い続けてきた。病気かな思えば犬猫同様「すぐ身体を休ませること」が最良の治療と、じっと寝ている。と不思議にも回復する。医食同源という言葉があるが、食べ物を最良の薬と思っているから添加物だけは注意してきた。
 ところが、昨年2月、マッサージを受ける診療所の玄関で妻が車から降りて突然歩けなくなり、その診療所の医師の紹介で直ぐ車に乗せて市立病院へ行った。夫婦とも病院の中へ入ったのはこれが初めてのことである。

 病院では「胃がパンパンに膨らんでいる」と診断され、胃の中のものをすべて吐いたら直ぐ回復した。なんだ食い過ぎが原因か・・が私の実感である。治療室から出てきた妻が「もう大丈夫よ。帰りましょう」と帰りかけたら、別な医師から「まだいろいろ調べたいから今日は入院してほしい」と言われ、数日の入院で健康診断して貰うのも良いかも、とその言葉に従った。

 それが、そのまま約半年の入院になるとは思ってもみなかった。しかも7月の退院時には下痢状態、胃瘻(いろう)の管をつけたままで、これが今の病院の食い過ぎ処置から続く治療処置とすると、私の常識の判断からはずれていることに疑問をもち、これを世に問うてみることにした。
 私が実行したのは、病室へ毎日通って入院患者になった妻の経過を、退院後の在宅看護の現在まで日記として書き留めておくこと。これには昨年9月の胃瘻の取り外し強行などを含め、逐次このブログで報告します。 

 
 
 

旅の想い出を日記に残してね

2015年05月05日 15時12分04秒 | 日記
 お帰りなさい。さぞかし楽しい旅だったことでしょうね。
私が、日記に書きとめるのは、行く先々の地名、コースではなく、×月×日〇時。途中で急ぐ後車を譲ってあげたら「有り難う」のライトサインを何度も点けて走って行った。×月×日〇時。何とか町の路上で落とし物を拾ってあげたら「何度もお礼を言われ、気分が良かった。その人の笑顔が綺麗だった」。×月×日〇時。ホテルの出発時に老人がリュックをかつぐ時に、ちょっと手伝ったら、物凄くお礼をいわれた。みたいに綴ります。
 これを書き終わって読み返すと今回の旅のコースが簡単にたどれ 気分が良いから疲れもとれる。
 旅の想い出日記は、出会った人へ僅かの心くばりで日常のストレスも発散できますよ。