最近、福祉という文字をよく目にする。辞典では、福祉も幸福も同意義となっている。幸福は文字を見るだけで心が和む。が、福祉は 祉 に親しみが無いからか、幸福ほどの温かさを感じない。
私は91才、妻が79才。どちらも敗戦後の東京の焼け野ガ原で食料探し、医者も病院も無い。ない、無いづくしの悲惨な暮らしを体験してきているから、健康は「自分だけが頼り」と思い続けてきた。病気かな思えば犬猫同様「すぐ身体を休ませること」が最良の治療と、じっと寝ている。と不思議にも回復する。医食同源という言葉があるが、食べ物を最良の薬と思っているから添加物だけは注意してきた。
ところが、昨年2月、マッサージを受ける診療所の玄関で妻が車から降りて突然歩けなくなり、その診療所の医師の紹介で直ぐ車に乗せて市立病院へ行った。夫婦とも病院の中へ入ったのはこれが初めてのことである。
病院では「胃がパンパンに膨らんでいる」と診断され、胃の中のものをすべて吐いたら直ぐ回復した。なんだ食い過ぎが原因か・・が私の実感である。治療室から出てきた妻が「もう大丈夫よ。帰りましょう」と帰りかけたら、別な医師から「まだいろいろ調べたいから今日は入院してほしい」と言われ、数日の入院で健康診断して貰うのも良いかも、とその言葉に従った。
それが、そのまま約半年の入院になるとは思ってもみなかった。しかも7月の退院時には下痢状態、胃瘻(いろう)の管をつけたままで、これが今の病院の食い過ぎ処置から続く治療処置とすると、私の常識の判断からはずれていることに疑問をもち、これを世に問うてみることにした。
私が実行したのは、病室へ毎日通って入院患者になった妻の経過を、退院後の在宅看護の現在まで日記として書き留めておくこと。これには昨年9月の胃瘻の取り外し強行などを含め、逐次このブログで報告します。
私は91才、妻が79才。どちらも敗戦後の東京の焼け野ガ原で食料探し、医者も病院も無い。ない、無いづくしの悲惨な暮らしを体験してきているから、健康は「自分だけが頼り」と思い続けてきた。病気かな思えば犬猫同様「すぐ身体を休ませること」が最良の治療と、じっと寝ている。と不思議にも回復する。医食同源という言葉があるが、食べ物を最良の薬と思っているから添加物だけは注意してきた。
ところが、昨年2月、マッサージを受ける診療所の玄関で妻が車から降りて突然歩けなくなり、その診療所の医師の紹介で直ぐ車に乗せて市立病院へ行った。夫婦とも病院の中へ入ったのはこれが初めてのことである。
病院では「胃がパンパンに膨らんでいる」と診断され、胃の中のものをすべて吐いたら直ぐ回復した。なんだ食い過ぎが原因か・・が私の実感である。治療室から出てきた妻が「もう大丈夫よ。帰りましょう」と帰りかけたら、別な医師から「まだいろいろ調べたいから今日は入院してほしい」と言われ、数日の入院で健康診断して貰うのも良いかも、とその言葉に従った。
それが、そのまま約半年の入院になるとは思ってもみなかった。しかも7月の退院時には下痢状態、胃瘻(いろう)の管をつけたままで、これが今の病院の食い過ぎ処置から続く治療処置とすると、私の常識の判断からはずれていることに疑問をもち、これを世に問うてみることにした。
私が実行したのは、病室へ毎日通って入院患者になった妻の経過を、退院後の在宅看護の現在まで日記として書き留めておくこと。これには昨年9月の胃瘻の取り外し強行などを含め、逐次このブログで報告します。