日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

笠井 孝著『裏から見た支那人』 實利、我利

2024-02-22 16:18:20 | 中国・中国人

    笠井 孝著『裏から見た支那人』 
 
 

 


   
 實利、我利

借妻――賣児――泣き女 ――ロボット ――軍人の念願 ――商業道徳 ――薬瓶

 私は以上で、ほゞ支那人研究の端緒を、書いた積りである。
以下支那人の個性を、解部することに取掛る。


支那人は實利、實益の前には、何ものをも犧牲として悔いない。
換言すれば、冷酷そのものである
と云って善い。
支那には昔から、大義親を減すと云ふ言葉があるが、
彼等は、利益次第では、親をも殺し兼ねないこと勿論である。
  

〔借妻〕
 それから支那には、借妻と云ふことがある。
自分の妻を、幾何かの金で、一年なり半年なり、人に貸與へることである。
またこれと反對に、家郷に妻を残して、遠く出稼に行った夫の留守中に、
妻君は臨時の居候を住み込ませて居り、
主人が歸れば、この臨時の旦那は、幾何かの金を貰って、飄然として去り、
彼我共に敢えて意に介さないのがある。  

〔賣児〕
 支那の各地では貧困者は三つ、つの小児を籠に入れて荷ひながら、市井に賣る習慣があるが、
三元、五元で、街上から買はれた子供等は、男であれば、一生コキ使はれ、
女であれば、年頃になれば、妾にも昇進し、
或いは上官への贈り物などにも代用され、顔の悪いものは、
一生Y頭(ヤトー)、すなはち無給の女奴隷となるのである。 

 支那人のすることは、實利の前には、只蛇の冷たさがあるのみで、
人情味も何もあったものではない。 

 
 支那の笑ひ話に、首つりが腰に縄を括りつけて居る話がある。
『オイそれでは、死ねないではないか』と云ふと、
『實は首にも引っ掛けて見ましたが、どうも、呼吸が出來ませんので』と答へた話があるが、
第六感の敏感な、實利に先見の明のある支那人の、ホントウに遣りさうなことではある。
 
 
〔泣き女〕 
 支那の地に行くと、よく『オーウ、オーウ』と聲を張り上げて、哭く女がある。
泣き女である。
雇はれて、一日二、三十錢で泣くのである。
泣いて居る最中に、話などを仕掛けると『聲の善い悪いで、色々値段も違ひます。

 私などは安い方です』と、一鎖り我々と世問話をして、また「オーウ、オーウ」と、
涙も鼻汁も、一緒にしながら泣くのが、
『聲涙倶に下る』やうで、如何にも眞に迫って居るが、
他面また如何にも、商売らしい冷静さがある。 

 支那人は、利益の爲めには、往々生死の危険を冒して、
敢えて意としない勇敢さを特つ。

 日露戰爭や、幾多の戰乱に、弾丸雨飛の中にある自家の家を守って、動かないのがあったが、
それはマダしも、中には弾雨の中をって、
卵や、食べ物を売りに来たり、薬莢や、弾丸の破片を捨ひに来たり、
死屍の衣を剥いだり、金を盗んで行く者がある。
屍人の衣を剥ぐのは、如何にも支那式である。

 中には金が欲しさに、徘徊中、流れ弾に中るものさへあるが、
コンな時には、命も惜しまないのみならす、
友達が、流弾で死んでも、やはり戦場稼ぎを止めないのには、
コチラがアキれさせられる。
 
 日露戦爭の際、金さへ貰へば、
兩軍の間を来往して、間諜を勤めたのが、彼等の中には澤山あった。


   
〔ロボット〕 
 支那では、白昼強盗が入っても、近所近辺は勿論のこと、
街上に立って居る巡査さへも、ワザと知らぬ顔をして居ることがよある。
他人の危険なんか『我不関』といふのが、街人であるが、
純さ仲間にも『一個月幾塊錢的薪水、賣生命』と云ふ言葉がある。

一ケ月五、六圓で生命が棄てられるものかと云ふことで、
巡捕は職務上の責任なんかは考へないで、只街上のロボットに過ぎないのが常である。

 支那人は、利己の爲めに節を賣り、利の爲めに人を賣り、
主人を毒殺し、妻子を捨てるやうなことは、殆んど朝飯前である。

 つまり彼等に取っては、金銭だけが、一生の伴侶であり、
金故には、國'も賣れば、殺人もやる。

 支那人が、賣國者を出しても、平気であり、
變節や、叛逆が、到るに行なはれるのも、
要は彼等が、餘りに實利本位だからである。


 従って如何に難な交渉も、金次第では、如何にやうにもお天気が變り、
地獄の沙汰も金次第と云ふ俚諺を、
如實に味はゝされたことが、我々の體験にも屡々ある。  

軍人の念願〕
 昭和3年頃の著しき新傾向として、
日本あたりに留學中の、早稻田、慶應出の俊才が、
卒業後さらに日本の士官學校に、入學を希望するものが多々あった。

 それは、今このまゝ支那へ歸ったところで、
何うせ武官にでもならなければ、何事も出來やしないし、
金儲けになる第一近道は、武人になるに限ると、
彼等は考へたからであり、また口に出して、然う云って居たものである。
 
 なるほど、支那の軍人は、兵力を以って、民衆をオドして、金儲けをするので、
師長や、旅長の2、3年もやれば、金の300萬や、500萬は、立ちどころに出来る。
故を以って成金となる捷径は、兵業が第一であり、兵隊になることである。

 前述の士官學校に入らうとする支那人が、多かった理由も、これで分る譯であるが、
實利、實益の前には、何ものも顧みない彼等の犀利なる眼光と、
物ごとに囚はれない點には、全く三嘆させられることが多々ある。  

   
〔商業道徳〕

 日本あたりでも、支那商人は勤勉であり、能く努力し、能く勉強し、
且つその商業道徳は、良好であると云はれるが、
私としては、これもやはり自己可愛いさの故であると、云ひたいのである。
 
 支那人の商業道徳には、非常に信頼し得べき半面と、
極めて不信なる半面とを持って居り、
私は寧ろその極端なる實利主義に、一驚せざることを得ない。

 先年漢口や、上海に居た時、某大商人のことを三井に聞くと、
トテも評判が善く、信用もスバらしい。
 
 そこで或る必要から、これを大倉、三菱などに就いて、調査したところが、
驚くべし、彼れは到るところ不義不信ばかりを、働らいて居ると云ふことを發見した。

 これは支那人でも、商人のみは、信頼し得べしと、信じ切って居った私には、
實に意外なことであった。
 
 そこで爾来色々な支那人の商業道徳に就いて研究して見たら、
彼等は『この店に信頼を得れば、飯の種子に困らない』と見たら、
その方面には、全力をあげて、汗水垂らして忠義振り。

多少の損耗、また意とせないが、その代り他の方面は、總てこれ悪行非道。
商品を誤魔化す。
金は拂はない。

 その商貨を轉賣するといふ有様で、
全く以て手にオエないのが、澤山あると云ふ事實を知った。


 支那人の商行爲は、手形も、貸借證もなしで、面子一點張りで、
信用賣買をやる
ことが多いが、これは彼等同業者の間に、
厳密な制裁があるからである。

 支那にける同業者の圏結、すなはち同業組合とか、幇とかいふものは、
極めて結合の強いもので、
この仲間で、一旦不信を働いたら最後、同業仲間から、未久に放逐されて、
後その商賣には、一切手が出せなくなるのである。

だから相互制裁の不十分な外商あたりが、
ウッカリ支那の商業道徳を信頼するのは、極めて危險なことである。  
 

〔薬瓶〕
 下層の民衆の實利主義では、さらにヒドいのがあり、思はす噴飯させられることさへある。

 日獨戰爭後であったが、日本が、山東省李村の民政署で、無料施薬を爲したことがある。

 支那人の習性としては、水薬よりも丸薬を、然して丸薬よりも散薬を好むものであるのに、
彼等の多くは、何れも水薬を希望するので、
これ畢竟我が薬を、信頼するものであらうと信じて居たところ、
意外にも毎月二回の市日には、夥しき古薬焼が、市場に販賣取引されるに至り、
そこで彼等が水薬を希望したのは、薬瓶が欲しかったのであったことを知って、
思はす吹き出したことがある。

 如何にも民度の低い、生活程度の下卑た、支那人の仕さうなことであるとは云へ、
彼等が知何に實利本位に、透徹して居るかは、これでも分る。

 
 従って支那人を研究するには、
この利己、實利と云ふことを見逃してはならぬ
ことになるのであるが、
これは支那人を通じての性癖である。

 すなはち上は大總統から、下は乞食、苦力に至るまで、
彼等の行動の基調を爲すものは、利己、實利、我利である。

 如何なる場合にも、彼等の進退は、自己の利害を度外視して行なはれるものではない。


 彼の排日排貨も、愛民、愛國運動も、
一寸見ると、大義名分に透徹して居るやうであり、團結や、統制があるやうに見えるが、
實はそれぞれ、自己の取引なり、商策なり、賣名から出た實利本位が、
その基調を爲して居る
のである。

 このことに就いては、筆を改めて述べるが、
この點は我々日本人と、大いに異なって居るところである。

 


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