日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

笠井 孝著『裏から見た支那人』匪賊の國  

2024-02-22 11:42:28 | 中国・中国人


    笠井
孝著『裏から見た支那人』
 
 
 
 
 匪賊の國
  

 兵匪・・・・・士匪・・・・・學匪・・・・・中華匪國  

〔兵匪〕  
 支那は、古来匪賊の國である
昇匪(官匪)、土匪、學匪、政匪、
これ等のものは、昔から支那に横行する名物であって、
支那の民族性に及ぼす影響が、少なくない。

兵匪とは、云ふまでもなく軍隊のことである。
支那の軍隊は、元来土匪、浮浪人、乞食の集團である。
  
 漢の武帝の時には、死刑囚、亡命者、浮浪人、有罪の官吏を以って、
兵と爲したと云ふことがある。

 唐の五代には、兵の逃亡を防ぐ爲めに、入墨をしたが、
それが却って入墨をされた者は、悪者であるとの代表語になった。
  
 支那では『好不打釘、好人不當兵』
 (好い鐡は釘にしない、好い人は兵にならぬ)
と言ふ言葉があるが、
兵には、すなはちゴロツキの寄り集りであるから、然う云ふのである。

 支那の或る地方では、兵のことを丘八(キウパ)と云ふが、
これは支那語の悪口『王八』(馬鹿野郎)といふことを、
モヂって使ふ
ものである。
四川の或る地方では『棒客』(鐡砲を舁いだ御客なぞと
言ふ意味に使はれる)と呼んで居るが、
これなども、兵に對する侮辱の言葉である。

 兵は斯やう嫌われるものであるが、
これは支那には、國を護る為の國軍は、事實上一兵もなくて、
却って兵は、内乱と、利權争奪と、私利私欲を肥やすめの道具に、
使用せらる
るからであって、支那軍は私兵、すなはち兵匪である。

〔土匪〕   
 次ぎは土匪、すたはち馬賊、匪賊である。
浮浪人は、兵隊になるか、
然もなければ、土匪になるのが、支那の實情であり、
軍隊でも、金を貰へなくなれば、直ぐに兵變を起したり、
逃亡して、土匪に變って終ふ。

 だから軍は、土匪の収容所、土匪は反對に軍隊の出張所見たやうなものである。
都合の善い時は兵になり、都合の悪い時は、土匪で稼ぎ、
結局政府で養って居る時は、軍隊と云ひ、
自分で稼ぐ時は、土匪、匪賊と云ふだけの差しかない譯である。

 張作霖や、張宗昌が、土匪の親方であり、
明朝や、清朝を拵らへた朱元璋や、愛新覚羅も、源を凱せば、皆匪賊である。

『王侯将相豈種子あらんや』で、土匪も風雲に乗ずれは、
昇天して天下を支配をするのが、支那である。

 また支那では、士匪と、軍隊とは、富者から金を取上げて、
貧乏人に振りまく一つの社會的中間機関とも見得るので、
無くてはならない一つの存在であるとも、云ひ得らるる。

〔學匪〕  
 つぎは學匪である。
 支那に、讀書階級と云ふのがある。
 昔から官吏は、出世の登龍門である。
官吏になって、タンマリ金儲けをせんが為めに、経書を讀み、學を習ふ。
併し官界には、色々私情があって、中々容易には官吏になれれぬ。
官吏にありつくことが出来なかったものは、滔々相率ゐて、學匪になるのでのである。

 彼等の武器は言論であり、筆である。
口に親日を唱へるものがあれば、親英を唱へるものもある。
國權回収を叫んで、日貨排斥や、愛國運動に聲をカラすものもあり、
時の政府の秕政を擧げて、土匪と相結んでで、國を奪はんと図るものもある。
皆これ學匪である。

 古来學匪は、圧政の統治者を困らせたもので、
流石の秦の始皇帝も、これ等の學匪には腹らを立てて、これを坑にし、
諸士横議を禁じたが、
これは適ま登龍の門に落第した學匪の災害をなすこと、古今無数であることを、
反面から証明するものである。

 官吏となって、我利を積まんとして、敎育を受けたるものは學匪となり、
學問もなく、官吏にはなれないものは、兵匪となり、土匪となって、
直接行動を採るだけで、匪たるに於いては、何れも同じことである。

 『官たるも安からす、匪たるも靖からず」と云ふ譯で、
流離變轉の定めない支那に於いて
は、上は大總統から、下はボーイ、小僧に至るまで、
手つ取早いところ皆匪であ。
 それが居る地位によって、官匪、土匪、學匪と云った工合に分れるだけで、
何れも匪たるに於いて、擇ぶとこらがない。

〔中華匪國〕
 大谷光瑞氏は、
謂はゆる『中華民國にあらすして、中華匪國なり。」と、断案を下して居るが、
全くその通りで、
極端な悪口を云ふならば支那をリードするものは、
生きんが為に働らく土匪の集團であると云ふことが出来る。

  

 普通の日本人は、
喧々騒々たる排日運動を見て、これは大變だと、喫驚するが、
これな別に驚かんでも善い。

 あれは要するに學匪共の排日屋とか、愛國屋のする仕事である。
彼等等は、排日業が商売であり、愛國業が本職なので、
諸君が會社員であり、銀行員であるのと何等變りはなく、
愛國屋、排日屋等は、所詮は飴屋のラツパ見たやうたものである。
  
 元来支那三億九千百萬の庶民階級は、排日屋、愛國屋には無関心である。
讀書階級、治者階級(別の名を學匪、政匪と云ふ)と、
庶民解級とは、全然別な軌道を歩いて行くものであり、
この兩者
は最初からレールが違ふので、永久に異なる途を行くべき運命にある。

インテリ階級は、飴屋のラッパを吹き、
庶民階級は、イヤイヤながら、飴が欲しさに、このラツパに跟いては、踊るのである。

 支那の實際を知ろうとすれば、この飴屋のラツパに、惑わされてはならない。
何となれば、あの八釜しいラッパ吹きの飴屋がなかったら、
自分達は、何んなに幸福であらうかと考へるのが、
彼等庶民階級なのであるからである。

 彼等庶民階級は、自ら耕し、自ら労働し、營々とし努力し、
郷村は郷村、錢業は錢業、小賣屋は小賣屋と、
それぞれ環境第に応じて、自ら社會社を形成し、
その上に國家も、統治者も、何も存在すべき必要を認めない。


 民衆は平穏に生存が出来、生命財産の保護をして呉れるものさへあれは、
その英たると、米たると、将た元たると明、清たるとは、
彼等の問ふところではないのである。


 だから支那は、國家にあらずと云ふので嫌がる坊や裃着せて、
千秋は萩の千松様で奉られるよりか、
泥のついた飴玉でも大をいのを一つ貰う方が、庶民の本當の喜びである。


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