間人ガニを愛する 丹後半島 うまし宿 とト屋 女将ブログ  池田香代子

山陰海岸ジオパークが世界ジオパークに認定!
丹後の風景、間人港、間人ガニ、丹後わくわくブログを女将がお届け!

松本重太郎翁 顕彰プロジェクト 関西経済交流シンポジウム!

2014-12-26 00:59:02 | 女将からのメッセージ
【北近畿の新たな可能性と関西経済の発展】
 
 ☆平成27年1月26日 15時30分から19時30分
 ☆ホテルグランヴィア大阪
 ☆第一部 シンポジウム 
  ①基調講演 大阪大学名誉教授 宮本又郎氏
  【テーマ】 松本重太郎翁の偉大な功績、起業精神 経営哲学等について
  ②トークセッション
  【テーマ】 北近畿の新たな可能性と関西経済の発展
  【コーディネイタ―】 毎日新聞社編集委員
  【パネリスト】
   南海電気鉄道株式会社 山中氏
   大阪商工会議所 佐藤氏
   大阪国際フォーラム 萩尾氏
   大阪大学 宮本氏
   京都府京丹後市長 中山氏
 
 ☆第二部 経済交流レセプション(名刺交換)
  豊かな自然にはぐくまれた京丹後の海・山・里の幸・地酒などをお楽しみいただきながらの交流会です。参加無料ですので是非ご参加下さい。

松本 重太郎(まつもと じゅうたろう、天保15年10月5日(1844年11月14日) - 大正2年(1913年)6月20日)は日本の実業家。関西経済界の重鎮。旧姓は松岡、幼名は亀蔵。肥料、銀行、紡績、鉄道など多くの企業の設立、経営に参画し、西の松本、東の渋沢と呼ばれた。数寄者としても有名で号を叟軒と称す。

生い立ち

丹後国竹野郡間人村(現・京都府京丹後市丹後町間人)に松岡亀右衛門の次男として生まれた。松岡家は、江戸時代には代々庄屋を務め、苗字帯刀を許された家柄であった。10歳のとき、京都の呉服商菱屋勘七に丁稚奉公にあがる。3年後、大坂に出て天満の呉服商綿屋利八方に移り、ここで10数年間勤めた。綿屋は大坂の有力呉服問屋の1つで、ここで商人として活躍していく素地を造り上げる事ができた。明治元年(1868年)、24歳ごろ独立し、松本重太郎と名を改める。ちょうど兵庫と大阪の開港が行われた年である。さっそく重太郎は、洋反物のブローカーを始める。大坂にはすでに山口吉郎兵衛、伊藤九兵衛、平野平兵衛など、洋反物を取り扱って急速にのしあがった商人がいた。最初は行商だったが、1870年ごろには東区平野町に「丹重」を屋号とする店舗を構えた。重太郎が大躍進したのは西南戦争のときで、このとき軍用羅紗の買占めを行い、巨利を得た。





丹後半島の松葉蟹!間人ガニの女将のお・も・て・な・し!

2014-12-14 23:14:39 | 女将からのメッセージ
間人ガニのセリ市に通いだして16年!







もう一人前の間人カニマイスターにやっとなれました。(*^_^*)




海の様子、操業場所、によっても水揚げのカニは質が違います。



今日の漁は大変やったなぁー。とねぎらいの言葉を掛けたくなるほど。

特に12月に入れば大荒れの中、津居山の船に連絡をとってから出航する間人船。

なぜでしょう。津居山船が四苦八苦しているなら、間人船は小さくて危ない。

いつもあとから出るときはそれは寂しい漁になっている。

それでもお客様に喜んでもらいたいから、私は命がけで間人カニを仕入れに行きます。

準組合員の帽子をかぶれば、セリ場の中に入れます。

魚屋さんが落とした間人カニを吟味してとト屋の伝票を入れて、セリ場から持ち帰ります。



トロ箱に5匹入っているのを20箱ぐらい買い付けると時もあります。

セリ値がドンドンあがると博打のようで、大変な想いで買い付けます。

100万くらいあっという間で、月末に請求書をみてゾッとする時もしばしば。!(^^)!

可愛い男前の間人カニを見ていると、私はご機嫌いいのです。(*^_^*)

たくさん買い付けができたら車に積んでとト屋の水槽に入れてお客様のお越しをお待ちいたします。



お客様の年代によって水揚げをし、お披露目をします。もちろん写真もとってもらい、手にとって器量や重さも確認してもらいます。









はじめてのご対面の人は、動いている蟹に大喜び。小さなお子様は泣き出しそうになる子もいれば持って嬉しそうにしている子。それを見て私も嬉しくなります。



とト屋の間人ガニのお披露目は皆が幸せになり、食事の時間が楽しみになるそうです。

温泉に入ってお酒と一緒に思いっきり食べるぞ。

幸せそうなお客様。 ありがとうございます。
とト屋蟹で感動と幸せをプレゼントいたします。 女将 池田香代子










丹後半島・京丹後市!間人ガニオンリーワンの宿「とト屋」

2014-12-07 20:48:03 | 女将からのメッセージ
12月に入り初雪が積り海の様子も変わってきました。





11月はトントン拍子で間人カニの競りに降りていた私は(女将)ハッスルせずにはおられませんでした。

あまりのハッスルに力つきて体力限界... !(^^)!

只今海は、大荒れで間人カニはあがってまいりません。(>_

聖徳太子のお母さん「間人皇后」の由来の地でもあります。



大陸との繋がりを感じながら、オンリーワンの宿をめざしています。

一番の想いは、ココならではの地域の歴史、文化、人々の暮らしをテーマに我家のように過ごしてほしい。私は(女将)皆さんのお友達から、そして親戚のように、そして家族のように、また帰って来たよ。と言うあいだがらでいたいのです。

だから間人カニも最高の瞬間を召し上がっていただきたい。と港まで行き、間人カニを自分の目で確かめます。



このスタイルは、とト屋女将だからできるおもてなしです。




池田香代子オンリーワンの志を間人カニで表現いたします。

アツイ想いで宿を構え、12月17日オープン18周年!

公務員の主人を退職に追いやり!(^^)!

3億8000万円の借金をし、この地ならではのおもてなしを毎日毎日考え続け、今日に至ります。




女将のこだわり① 間人ガニを全国区にすること。

女将のこだわり② 地域の連携を密にし、間人ガニ漁の船員さん達の想いを伝える。

女将のこだわり③ 間人ガニのメス「こっぺ」を世にだすこと。

女将のこだわり④ 間人ガニの取材が入れば、どんなことがあっても協力する。

女将のこだわり⑤ 活けの間人ガニをお客様に会わして、記念撮影をしてもらう。

この5ケ条が、間人と間人ガニに対する想いです。



続きはまた今度にいたします。

とト屋 女将 

池田香代子