肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『モンスター』、観ました。

2005-09-26 16:45:28 | 映画(ま行)
モンスター プレミアム・エディション

松竹

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 『モンスター』、観ました。
悲惨な環境で育ち少女の頃から娼婦となるが、いつか幸せになる希望を
持って生きてきたアイリーン。夢見ることに疲れ自殺を考えたその時、
初めて自分を蔑むことなく愛してくれる人とめぐりあうのだが‥‥。
 シャーリーズ・セロンに想いを寄せるオイラにとっちゃ、正直あまり
見たくはない光景だった‥‥(笑)。『サイダーハウス・ルール』でみせた、
あの女神のような裸体は見る影もなく、ブヨブヨ弛(たる)んだお腹に
成り下がり、『バガー・ヴァンスの伝説』で出会った、あの優雅な
貴婦人お顔立ちは、シミだらけでくたびれたオバサン顔に変貌した。
確かに、ファンとして彼女のオスカー受賞は嬉しいけれど、オイラの
本音を言わさせてもらえば、もっと別の‥彼女らしい役柄で受賞して
欲しかったかな。
 さて、映画は実話をもとに、平凡な一人の売春婦が、何故にモンスターと
呼ばれる連続殺人鬼になりえたのかを描いている。それは“怒り”?、
“孤独”?、“哀しみ”?、“絶望”?、それとも“愛”ゆえに?
勿論、これまで彼女の人生があまりに不幸だったから…、惨めな想いを
してきたから…、彼女が犯した“人殺しの行為”を肯定できるはずも
ないんだけどね。しかし、ここではそれを承知した上で、彼女を
そうさせてしまった‥‥、いや、そうならざるを得なくなった理由を
考えてみようという訳だ。まさしく、それは現代社会が抱える“構造の
きしみ”‥‥強者から弱者への「蔑(さげす)み」であり、自分より
身分卑(いや)しき者への「嘲(あざけ)り」だった。恐らく彼女は
ずっと“悔しさ”の中を生きていた。ならば、嘲笑され続けた彼女の
“怒り”は、一体何処へ向かえばいいのだろうか。もしも僅かでも
社会全体が、もがき苦しむ彼女へ“救済の手”を差し伸べることが
できたなら、このような悲劇は起きなかったかもしれない。彼女は
その“深い愛の純粋さ”ゆえに傷つき、その“恐怖の大きさ”に耐え切れず、
自らが“怪物(モンスター)”になるしかなかったんだ‥‥(涙)。


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