『マイ・ファーザー 死の天使』、観ました。
(別題:MY FATHER 死の天使 アウシュヴィッツ収容所人体実験医師)
ヒトラー政権下、アウシュビッツ収容所で数々の人体実験を行った、実在の医師
ヨゼフ・メンゲレ。父親がメンゲレだと知らされた息子ヘルマンは真実を求め、
ブラジルに逃亡していた父のもとへ向かう……。
単純に“正論”だけでは片付けられない…、いつまで経っても答えが出ない…、
そんな難しい問題を扱った作品だ。映画の主人公は、悪名高きアウシュビッツの
人体実験医師として君臨した父を持ち、幼き頃から心に深い傷を負っている。
そんな中、彼(主人公)は再会し、父を理解したい“息子としての自分”と、
一方で理解したくない“人間としての自分”の狭間で苦しみ悩んでいくわけだ。
観ながらボクは、主人公の心の葛藤もよく分かったし、勿論、肯定はしない
までも、彼の父とその行為さえ非難することは出来ないと思った。だって、
もしも、自分が“その時代”に生き、その父と“同じ立場”に立たされたら、
勇気を持って「NO」と断わることが出来たかどうか…、自信が持てないからね。
ひとつ言えることは、この戦争によって、被害者も、加害者も、すべての人が、
心の深い傷を負って、今も苦しみながら生きてるってこと。その責任の全てを
“誰か”に押し付けて責め立てることが、この問題の解決に近づくことなの
だろうか‥??、いや、それぞれがもっと“被害者の立場”に立って、彼らの
心のケアに目を向けるべきではないのかな。
次に、本作の技術面でいえば、このズッシリと“重たい内容”に不似合いな、
要所での画像処理が気になった。恐らくは“記憶の断片”が幾重にもなって
心の傷となった“サブリミナルな効果”を狙った思われるが、ボクはどれも
今ひとつ効力をあげられていない印象を受けた。一方、この映画で断然光って
いたのは、“父”に扮するチャールトン・へストンだ。あのマイケル・ムーアが
いうところの、彼が“銃(ライフル)愛好家”であるかは別問題として(??)、
ここではバツグンの存在感を発揮している。「科学者」としての“誇り”を
保ちつつ、「父」としての“義務”を果たせなった後悔…、その老いた後姿が
哀しく映る。さすが、“一時代を築いたスター”は一味違うなぁ。