肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『SAYURI』、観ました。

2005-12-11 19:55:45 | 映画(さ行)

 『SAYURI』、映画館で観ました。
貧しさゆえに置屋に売られたひとりの少女。辛く厳しい日々の中で、すべての
希望を見失ったとき、彼女は“会長”と呼ばれる紳士と出会う。「もう一度、
あの人に会いたい…」。儚い願いを胸に、少女は美しく変貌を遂げ、花街一の
芸者“さゆり”となるのだが‥‥。
 スピルバーグが長年大事に温めていた企画‥‥、しかし、それを自身が
監督せずに、『シカゴ』のロブ・マーシャルに託したのは、きっと正しい
決断だったのでは?? だって、数奇な運命に翻弄され、強く…激しく…生きた
“異国女性の半生”なんて、「サスペンス監督」であるスピルバークに
不向きなことは、本人も充分自覚していただろうからね。
 さて、まずは“映画の内容”について触れる前に、我ら日本人として
気になることは、この“外国人が描いた日本”に間違った解釈はないかって
こと。で、ボクの感じ方は…、うーん、微妙ではあるが“白(セーフ)”。
いや、正確には、限りなく“グレーに近い白”なのかな(笑)。というのは、
映画の所々で(美術や風景など)小さなミスはあるけれど、この作品の
根っこにある“日本女性のつつましさ”みたいなものは、しっかり描けて
いるのかなと。例えば、ヒロインが“(プロの)芸者”になっていく過程で、
愛しい人への“恋心”をそっと胸にしまって接していく‥‥。そして、
その思い出の品を箱に納めて、机の引き出しに隠して仕舞ういじらしさ…。
そういう感覚って日本人女性特有の…、特にアメリカ人にはない“心の部分”
だと思うんだ。ロブ・マーシャルが、そこをよく理解して作っているのには
感心したし、ボクも日本人としてとても嬉しかった。「あそこが違う」とか、
「ここがおかしい」とか、表面的な“枝葉”の部分だけを問題にしていると、
肝心の“太い幹”となる部分を見過ごしてしまう。この作品を、そんな風に
観てはいけないと思うよ。
 一方、ボクがこの映画で不満だったのは、渡辺謙が扮する“会長”の描き方。
あまりに“善人”過ぎて、“人間臭さ”を感じないし、ラストもちょっと
出来すぎのような‥‥。むしろ、“女の醜さ”を曝け出したコン・リー、
激しい“憎悪”を内に秘めた工藤夕貴の方が、ボクの印象には残ったかな。
いずれにせよ、作品では、女の「嫉妬」「恨み」「妬み」が痛々しく、オイラが
ここで得た教訓は、女は強く…とっても怖いってこと(笑)。オイラみたいな
小心者が入ったら、三日と持たない恐ろしい“禁断の園”でございました(笑)。


 



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