『HERO~英雄~』、観ました。
秦王のもとに、王を狙った刺客を3人殺したという“無名”という男が現れた。
その功績を讃え、特別に謁見を許された彼は、刺客を殺した経緯を王に
語り始める。しかし、それは多くの謎を含み、話は二転三転していく‥‥。
小品ながらも常に“心の通った作品”を作り続けるチャン・イーモウ。その彼が
何故今になって『グリーン・デスティニー』もどきのワイヤー・アクションを
撮ろうとしたのか??、正直、観る前のボクには解らなかった。しかし、今、
この作品を観終わったボクには解かる。今だからこそ『HERO』なのだと‥。
ここには今だからこそ伝えたい、今でしか伝えられない。チャン・イーモウの
メッセージが隠されている。
映画は、黒澤明の『羅生門』を彷彿させる複数の証言とフラッシュバックから
構成され、それぞれのパートをそれぞれの色彩で表現する。“赤”から“青”へ、
そして“緑”へ‥、様々に変化する原色を基調とした様式美に魅せられつつ、
そこに描かれる決闘シーンに血生臭さは感じない、ただ溢れ出す“美の洪水”に
見とれるばかり。しかし、この映画でボクが最も感動したのは“そんな表面上の
美しさ”ばかりじゃなく、物語終盤になって感じ取れる監督チャン・イーモウの
“人間としての志(こころざし)の高さ”だった。ここに描かれる大国・秦は
“巨大な武力”によって他国を制圧し、莫大な富を得るが、それゆえに秦王は
常に刺客の暗殺に怯えながら生きている。まさにその秦王の姿こそ、“現在の
アメリカ”にダブって見える。そしてチャン・イーモウはこの秦王に限らず、
アメリカの王に限らず、“権力在る者”に対しての一つの進むべき道を示した。
ラストシーン、“最後の刺客”たる主人公は、戦争を始めた張本人である秦王を
殺さなかった。何故なら、例え多くの人命を奪った秦王に「非」があったと
しても、天下を統一し、その後に平和をもたらす事が出来るのも他の誰でもない、
秦王だけなのだということ。権力者であるがゆえに一度道を間違えば、多くの
犠牲を生む。しかし、権力者であるがゆえに再び道を正せば、多くの命が
救われる。これはチャン・イーモウが遠く中国からアメリカに向けて放った
“一本の矢”かもしれぬ。きっと彼は想って作ったんだろう‥‥、この映画を
一人でも多くのアメリカ人に観てもらいたい、と。