クジラ島の少女アミューズソフトエンタテインメントこのアイテムの詳細を見る |
『クジラの島の少女』、観ました。
ニュージーランドで暮らすマオリ人の少女パイケア。族長の家に
生まれた彼女は、人一倍マオリの伝統を大切にするのだが、
族長を務めるは男と決めつける祖父は彼女を後継者と認めない‥‥。
神秘あるタイトルに惹かれて観た映画、勿論ボクのお目当ては
大きな大きなクジラさん(笑)。ただし、肝心のクジラさんはと言えば
最後にチョット出るだけで、結局ほとんど出てこない。これを“可”と
みるか、“否”とみるかは個人の好みが分かれそう‥‥。
映画は、古い“救世主”伝説をかたくなに守ろうとする祖父と、
その伝説から疎外された少女の交流をメインに「新旧の対比」を
描いている。しかし、ここには見落としてならない“もう一つの対比”が
隠されている。新天地を求めて寂びれゆく故郷を捨てた兄と、
古い土地に残った弟の関係だ。都会に生きる兄は痩せ細り疲れたお顔、
一方の弟はといえばブクブクと肥った“おデブちゃん”ながらも(笑)、
多くの友に囲まれて終始笑ってる印象を受けた。つまりはここに
「都会と田舎の対比」が成り立つ訳だ。それならばと、この祖父と少女、
あるいは兄と弟の関係から映画が言いたかったことは何なのか‥‥
つまり、ボクらは絶対的なリーダー(救世主)を探し任せるだけじゃない、
そこに住む一人一人が何が正しくて、何が間違っているのか、
しっかりとした“判断力”を持つことが大切なのだということ。
そして、古い伝説の中に新しいものを見つけ、“新たな伝説”を
作り続けることへの義務だった。映画終盤に訪れる海岸に打ち揚げられた
クジラの大群は、古い伝説の終焉と、生まれくる“新たな伝説の予兆”
だったのだと思います。