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『甘い生活』、観ました。
作家を夢見てローマに出てきたものの、今ではしがないゴシップ記者に
甘んじているマルチェロ。彼の目を通して当時のローマの“華やかさ”と、
その裏側に潜む上流階級の “退廃”を描く‥‥。
「フェリーニのような才能はもう二度と現れないだろう‥」と言ったのは
黒澤明。まさに『甘い生活』は“その言葉”を実証するような傑作、
フェリーニ以外には作れない名画だと思います。ボクにとって、これが
2回目の鑑賞となる『甘い生活』ですが、独立した“エピソード”の羅列、
“3時間”を超える上映時間は決して観やすい映画ではない。しかし、今回
観直してみて思うのは、ヘリに“吊るされたキリスト像”のオープニングから、
網にかかった“醜い巨大魚”のラストシーンまで、すべてのエピソードは
それぞれの“象徴的な映像”の上で成り立っているということ。そして、
それらに共通して描かれるテーマは「実像と虚像」‥‥“偽の信仰心”と、
“見せかけの幸福”と、“作られたカリスマ”と、“いつわりの愛”と、
“かりそめの夢”と‥‥。そんな「虚像」ばかりの生活に慣れ、堕ちていく
主人公の“醜さ”を見よ。“人間らしさ”の欠片もない、道化のような
生き方で誤魔化す毎日‥‥そう、ラストシーンで彼が見た“太った醜い魚”は、
まぎれもなく“堕落した彼自身”だったのです。もう元には戻れない、
この堕落した生活から抜け出す勇気すらなくなった彼の“哀愁”が滲み出て
いました。