Hello, I am Leovitos. Everyone called me Leo. I am a 18 years old, Westfahren.
I have a brother called, Legolas 92. Steffen Peters rode him and made a huge contributions to the U.S. Team bronze at Rio de Janeiro Olympic in 2016.
Currently, I have pain in the ligament of my right leg. I was injured it during training. I hope I can get well, soon.
最近,我的骑马俱乐部一匹小马驹出生了。
这是一件非常奇怪的事情,因为我的骑马俱乐部不是 用来 育种的俱乐部。
几个月前,母马来自别的骑马俱乐部。 但在来我们俱乐部之前就怀孕了。
那天、当俱乐部的人们早上去马厩时,他们惊讶地发现他们有了小马驹。
这只小马驹已经出生两个月、并正在逐渐成长。
它很友好,它会来到我身边。 它很可爱。
韓国と北朝鮮の非武装地帯(いわゆる38度線)を訪ねる機会がありました。
北朝鮮が掘ったといわれる南進第3トンネルにある展示館で、朝鮮戦争の死者は600万人という記述を見ました。 600万人はあまりに多いのではないかと思い帰国後調べてみたところ正確にはわからないにしても400-500万人の死者があったようです。 1950年台、戦争に負けた日本が分断されず、朝鮮半島では戦線が釜山から平壌の北まで上下し戦場になったことは、日本ではあまり知られていないかもしれません。
臨津江にかかる橋。 日本統治時代から複線でしたが右側は朝鮮戦争の際に破壊されたままです。
左の臨津江鉄橋は1日1便だけ鉄道が通り、韓国側最後の駅都羅山駅に続いています。
都羅山駅は立派な駅ですが、北に続く鉄路はここまで。北朝鮮の開城まで15Km、平壌まで205km。 北朝鮮と鉄道が通じ、中国鉄道、シベリア鉄道とつながればベルリンまで陸路で行くことができます。
その日が早く来ることを願っています。
1990年代、日本の電機会社に勤めていた頃、最も印象に残った経験は、後に世界最大の電子機器受託製造サービスになる企業の社長が飛び込み営業をしていた現場を目の当たりにしたことです。
当時、私の勤める会社は、JR有楽町の駅を日比谷側に降りるとそごう(今はビックカメラ)があり道を隔てた先にオフィスがありました。
冷たい雨の降る冬。 トレンチコートの長身の男性がたった一人、アポ無しでその会社を訪ねてきました。 受付から電子機器の海外営業部門である私の上司に連絡があり、私も同席させてもらいました。
訪ねてきたのは英語しか話さない日系人で、しかも暗い顔でボソボソ話すので何を言っているのか私にはよくわかりませんでした。 それでも、海外での経験が長い上司は感じるものがあったらしく真剣に話を聞いていました。
その後判ったのは、訪ねてきたのは米国の西海岸にあった企業 - ソレクトロンの当時のCOO Dr Ko Nishimura でした。
ニシムラ氏はその後ソレクトロン会長 兼 CEOに就任し、同社の売上を $3億ドル(1989年)から $187億(2001年)に約10年間で50倍以上の規模に拡大しました。 ソレクトロンはMalcolm Baldrige National Quality Award を初めて2度受賞した企業になりました。
ニシムラ氏は、日本の企業を訪問して米国で製造委託(EMS) の仕事を請け負えないかと申し入れたのです。当時の日本の産業界では思いもよらない海を越えた製造委託ビジネスの提案でした。 EMS事業は、その後、想像できないまでの規模のビジネスに発展しました。
言葉も通じない日本で、スタンフォード大学の博士号を持つニシムラ氏はたった一人で飛び込み営業をしていたのは驚くべきことですが、急成長する企業は、確かな理由があるのだと分かりました。
経営者なら問題があっても、文句をいう暇があったら自ら行動すればいいという例を見せてもらいました。
私の勤めた企業はニシムラ氏の提案に対して、技術責任者を米国に送って検討をしましたが、当時EMSのビジネスの可能性を理解できる社員はおらず、関係はそれ以上進展しませんでした。 ソレクトロンのサービスを活用したのはソニーなどの一流企業。 それから約10年後、ソニーの元製造部長と話す機会がありました。 その人の感想は「ソレクトロン、あれは凄い会社だ」でした。
ソレクトロンは2007年に、フレクトロニクス社に買収されます。 しかし、EMSというビジネスは現在も世界の主要企業であるアップル、グーグル、シスコシステムズなどに利用され、産業界に確固たる地位を築いています。 大企業の立派なオフィスやビルを訪ねると圧倒されますが、企業というものはプロジェクトなのだと思います。 いつか、自動車業界でも電動化の進展に伴い、マーケティング、デザイン、商品企画のみ行う自動車会社が創られ、自動車EMS企業が創業されると思います。 すでに米国ではそういう会社があります。
企業は時代の要請を感じた創業者が創り、時間経過ととともに、形を変え場所を変え名前を変えていく Intangibleな (形のない)存在なのだと思います。
競争の基本戦略は突き詰めればコストリーダーシップと差別化の2つに集約される。
マイケルポーターによれば企業の競争戦略は基本的に2つです。ひとつは、コストリーダーシップ、もうひとつは差別化です。 (ポータは著書の「競争の戦略」で集中化をあげていますが、戦略とは集中が前提であり、後年には、基本戦略として集中化に触れなくなりました)
これは、競争環境における個人の差別化にも適用できると思います。
1) コストリーダシップは自社の属する業界で圧倒的な強さを確立し、納入までの総費用を業界で最低価格に作り上げる戦略です。価格の力で、シェアや収益の拡大を実現します。換言すれば、これは、人と同じことを徹底してやる度合いとスピードの勝負です。 このような戦略をどの企業も取れるわけではありません。一部の企業にのみ可能な強者の戦略といえます。
個人の競争戦略で言えば、これはNo.1になるということです。競争のルールが厳格であればあるほど、No.1になるのは難しくなります。 例えば、一斉学力試験や100m陸上など、1点、0.1秒の違いを追求する熾烈な競争です。ここでNo.1になれれば素晴らしいことですが、誰でもなれるわけではありません。 能力、努力に秀でた一握りの強者だけが取れる戦略です。
2) もうひとつが、差別化戦略で、買い手が重要と認める特徴を提供することにより、価値に見合った価格を正当化するという戦略です。差別化戦略は、製品、市場、販売方法、技術などユーザの求める価値に対して、自社の強みに基づいて、自分の得意な分野で勝負します。
同じゲーム環境なら大きいほど有利ですが、土俵が違えば、規模に関係なく強みを発揮することができます。差別化を追求する人から見れば、学力試験や100m走で1番になっても「それがどうした?」ということになります。
つまり、ごく一部の例外を除きすべての企業、すべての人は差別化戦略を採用すべきであるといえます。
個人のキャリアの差別化として考えると、ナンバーワンになるかオンリーワンになるかと言えるかもしれません。誰でもナンバーワンになれる訳ではありませんが、誰でも求められる価値に対して人より秀でることは、少ない努力で可能です。
その時、大事なのはユーザの求める価値を理解することです。 差別化やオンリーワンは自分のやりたいことを独善的にやることではありません。自分に対して何が求められているかを理解して、それに適した価値を提供するのです。
私の経験で、リーマンショックの数年後、外資の企業を辞めて、日本の会社の求人に応募したことがあります。企業からは何の返事も来ませんでした。 当時は買い手市場で応募者はたくさんいて、私は求められるニーズにあっていなかったのです。 企業に雇って欲しい人は世の中にたくさんいる。こういう競争環境で勝負しても疲弊するだけです。ではどうしたらよいでしょう?
まず、自分の強みを理解することです。 「私はxxをやりたい」ではなくて「私はxxができる」かを理解する。 次に、街に出て、あるいはなんでもいいから仕事をしてみて世の中に求められているニーズを探してみることです。
自分の好き嫌いは一時忘れて、無心に世の中で何が求められているか耳を傾けてみると、どこにでも切実なニーズが存在するはずです。世の中、全てが満たされているわけはなく、不足ばかりではないですか。 そのニーズに、自分の「できること」が結びついた時、それが、自分が勝てる環境になります。 それが個人の差別化戦略の第一歩だと思います。
私が大学を卒業して、日本の電機メーカに就職した時、同期の大卒社員は260名ほどいました。
約1年半ぶりに中国南方に出張しました。 暫く来ないとその変化に驚かされます。 虹橋空港は床も壁もリニューアルされ、掃除をする人も明るい色の制服を着ていました。 空港を出ると道路がきれいになり、かつての埃っぽい空気が随分きれいになっていました。
蘇州では、いつもはダウンタウンに泊まるのですが、今回初めて金鶏湖のそばのホテルに泊まりました。 夕食を取ろうと近くの蘇州中心(Suzhou Center)に行ってみて、正直、その景色に驚きました。
オフィス、ホテル、マンションに中国東部最大のショッピングモールがあり、モールの中のアイスリンクではアイスホッケーのスクールが開かれていました。
こんな広いモールは見たことがありません。
こういう景色を見るとどうしてもバブルなのかと思ってしまいますが、人口構成が若い中国ではこの先10年や20年は問題ないのかと思いました。
この後、広州に移動し、空港で買い物の支払いをしようとしたら、店員の人に「微信あるか?」と聞かれました。 最初、なんだか理解できなかったのですが、WeChatPayのことかと思い当たりました。 中国元で現金を持っていれば大丈夫だろう思っていたら、大間違い。 キャッシュレス化が日本よりも進んでいました。
結局、店員の人に現金を渡して、WeChatPayで処理してもらいました。 空港では食事の支払いもみんな微信で支払っていました。
これが普及すれば、将来、銀行の支店がいらなくなるなと思いました。 ATMもクレジットカードも必要性が減り、レジスターや自動販売機も現金を扱う必要がなくなれば大幅に簡素化されるでしょう。 実際、広州の空港では現金の授受をしない簡素なスキャナーだけでした。 一般の人が現金を持たなくなるとしたらなんと大きな変革か..
スマホ決済にもフィンテックが使われていますが、中国でフィンテックの革新の波に触れた思いです。
1月の米国出張の際、ホテルのフィットネスセンターにモニター付きのエクササイズバイクが置いてありました。
これが「Peloton(ペロトン)」というバイクで、インターネットにつないでモニタを見ながらエクササイズするという仕組みです。
調べてみると Peloton社は 2012年の設立で、自宅用エクササイズバイクの販売と会員向けにレッスンの動画配信を行っています。会員になると様々なクラスのレッスン動画を見ながらエクササイズができるようになります。 この会社はニューヨークにスタジオがあり、インストラクターのスタジオでのレッスンを自宅などにいる会員にオンライン配信しています。
泊まったホテルは全米にホテルチェーンがある会社ですからかなりのスケールで事業拡大しているようです。
バイクは$1995で、普通にペダルを踏むモードの他に、いわゆる立ちこぎができるようになっています。 これをやると有酸素運動の負荷が高くなります。
https://www.onepeloton.com/shop/bike
格好いいインストラクター同じバイクに乗って、音楽をかけながらレッスンして一体感を盛り上げ、運動を継続していくように支援していくというビジネスモデルです。
ビジネスモデルをシュンペータのイノベーションまたは新結合の枠組みで捉えると、
モダンなスタジオのエアロバイクレッスンがインターネットと結びつくことで(新しい生産方式=サービス)
インストラクタは一か所のスタジオにいれば全米にレッスンが配信され(新しい組織)
プログラムが全米のホテルや自宅に届けられる(新しい販売先の開拓)といった解釈ができます。
健康ビジネスの事例として非常に興味深いと思いました。