4つのL(生きて・愛して・学んで・捧げる)

名著「7つの習慣」を読む中で、想い・気づき・決意を綴ります。(※個人の感想のため、本の正しい解釈と異なる場合があります)

「7つの習慣」について思うこと(そのⅠ)

2017-06-13 10:34:17 | 7つの習慣
記事の更新がとても久しぶりとなります。

何だか、まだ考えが纏まらないのですが、「7つの習慣」の効果性について書きたくなりました。

文章が雑になってしまいそうでスミマセン。何記事か続けてUPするかもしれません。これらは一般論ではなく、個人的な思いです。



実を言うと、今は昔のように毎日「7つの習慣」を読んでいる訳ではありません。

私が「7つの習慣」を日課のように読んでいたのは、2013年の初頭から2016年の初夏くらいまでです。

時間が少ないときは、一日一頁でも良いので読むことに決めていました。普通は一日に6~7ページ読み進めていました。

そうすることで、約3年間で6回ほど「7つの習慣」を通読することになりました。

これは決して義務感からや自分に課したノルマとしてやっていた訳では無いのです。

ここが重要なのですが、好きでやっていたのです。

毎朝、早い時間に起きて顔を洗ってから「7つの習慣」を開いて続きを読む。ゆっくりと意味をかみしめながら読む。

そして数ページ読んで霧の良い所で読むのをやめる。そして「7つの習慣」が語りかけてくれた内容を自分なりに吟味する。

時間にして10~20分くらいでしょうか?

この儀式をすることで毎日いいスタートが切れるように感じたし、実際に一日の良い出だしとなってくれたのです。

きっとこの感覚は、信仰の熱い人がその宗教の経典を欠かさずに読むことで心に安堵感が訪れる感覚と似ているのかもしれません。

私にとって「7つの習慣」を読む行為は、どこか宗教者の祈りに似た行為だったみたいです。

「7つの習慣」の中でも、プロテスタンティズムの革命を起こしたマルチン・ルターの話しがちょっと出てきます。(どのページだったか今探せないのですが)

ルターは忙しい日には、祈る時間をいつもより1時間増やしたようです。

クリスチャンだって忙しくてやることが沢山あるなら、祈る時間を短く切り上げるのが、一般的感覚かと思うのですが、ルターは神様の力によって、物事の結果が決まると考えていたんでしょうね。

「7つの習慣」は信仰とは一切関係のない本ですが、”原則”という概念を大切にしています。

「ものごとの結果を支配するのは原則だ」と考えるのです。

人間はいくらでも自分の価値観に従って行動できるけれど、その結果がどうなるかは個々人の選択ではなく原則が支配するという考え方です。

つまり「原則に則った行動であれば結果も付いてくる」、「もし物事が上手くいってないのであれば、それはどこか原則に反していませんか?」という立場をとっているのです。

私はときおり「現代(20世紀の半ばくらいから)は原則が人々の心に原則が根付きにくい時代なのかな?」と思います。

なぜかというと多様な価値観を認める時代でもあるからです。

これは一概に悪いことではありません。

それどころか、昔風の価値観(例えばですが、男はこうあるべきだ!とか女はこうあるべきだ!とか仕事とはこういうものだ!とか、人間は結婚して家庭をもって初めて一人前だ!とか)を押し付けられると適わないなと思います。(でもまだそれなりに、そういう言動や態度を取る人はいますが。。。)

でも本当は多様な価値観を認めることと原則を意識することは両立できる概念ですし、そうあって欲しいと思います。

けれど現代は「色々な価値観があっていいし、何を大事にするかは誰かに迷惑をかけなければそれぞれで良い」とする人は増えてきている(因みに私もそうです)のですが、一方で原則の重要性は薄れてきているというか?そもそも日常生活で「原則」という言葉に意識的になっている人も少ないと思います。

例えば一般論で「何事も、物事には原理原則ってものがあるよね?」と言うと、多くの人が「それはそうだよね」と答えるかもしれません。

けれどここで終わってしまっている気がしてならないのです。一般論としての(何となくの概念としての)原則の存在は認めても、"個人の生活に原則が介在している"と普段から意識している人は少ないのです。

そして逆に、いろんな価値観があって良いとする現代の風潮の中で、自分の都合の良い解釈で生きている人も多いと感じるのです。(ここで問題となるのは、"誰かに迷惑かけてなけりゃそれでいいじゃないか!"という定型文という言える切り返しですが、中には自分が自覚していないだけで、人に迷惑をかけている人もいると思います。自分の価値観の正当化が完成されてしまっているので、そのことに気づいていないこともあるように感じます)

何が言いたいかというと、多くの人は

「価値観が行動を決める」⇒「行動が結果を決める」

と考えているのです。

それに対して「7つの習慣」は、「人は行動を選択できるが、その結果を(長期的に見て)支配するのは原則である」としています。

より良い人生にするためには、それに適う行動をしなければなりませんが、行動する理由は、より良い人生だと言える結果を求めるからです。

けれど、その結果を決定しているのが「(価値観から出た)行動ではなくて、原則であるならば、原則を深く理解して根付かせなければより良い人生にならない」という結論になります。

つまり、ものの見方が根底から変わってくる訳ですが、「7つの習慣」では世界を見るものの見方を「パラダイム」といいいます。

この「原則」と「パラダイム」こそが「7つの習慣」の思想的基盤になっています。

リーダーシップの強さをどう測るか?

2016-10-27 09:17:27 | 7つの習慣
私たちは"リーダーシップを発揮する"という言葉をよく聴いたり、ときに使ったりします。

しかしながら、"いったいどの程度、強いリーダーシップを発揮しているのか?"を測定することは可能でしょうか?

定量的な測定は難しい気がしますが、完訳「7つの習慣」のp316(【第4の習慣】「Win-Winを考える」)にはこんな文章があります。

"あなたの誠意、主体性、Win-Winを目指す決意が強くなるほど、相手に与える影響力も大きくなる"

"人間関係で発揮されるリーダーシップの強さは、これで測ることができる"




つまり、

・誠意

・主体性

・Win-Winを目指す決意

の3つこそが、リーダーシップの強さを測る尺度だというわけです。


この部分を読んで、私個人としては、"誰かと接するときに、この3つが十分に働いているかを常に意識しながらコミュニケーションを取るように意識しよう"と思いました。

例えば、友人と会って話しをするとします。

そのときに、

"この会話を通して相手は何を望んでいるんだろう?"(Win-Win)

"(自分は置かれた自分の状況に制限されないで)相手の意見を素直に聴けているだろうか?"(誠意)

"自分は本当に相手の伝えたい真意を汲み取る努力をしているだろうか?"(主体性)

このように考えることで、友人との会話における"リーダーシップの強さを意識します"。


例えば、組織の中での会議でも、

"この会議の参加者全員が有益だったと思えるゴールは何だろうか?"(Win-Win)

"この会議の参加者全員に分け隔てなく、聞く耳をもって傾聴しているだろうか?"(誠意)

"上手く自分の考えが纏められない人やネガティブな感情を持った人がいれば、こちらから声をかけ、自分と異なる考えも尊重できているだろうか?"(主体性)

このように努めることで、会議の雰囲気も良くなるようになり、個人の意見も出やすくなるかも知れません。


そして、このリーダーシップを測る3要素(誠意・主体性・Win-Winの姿勢)に自己採点を付けてみるのも一考かと思います。


例えば、各要素とも10点満点として、先の友人との会話においては、

誠意:7点

主体性:6点

Win-Winを目指す決意:5点

とかいう風に、自分で点数をつけてみます。この場合は、3要素の合計で18点になります。

例えば25点を合格点と設定して、どうすれば到達できるかを考えてみます。

毎回点数化するのは面倒くさい、点数じたいが自己採点なので定量化できていない、など不十分な側面も出てくるかもしれませんが、今までなんとなく行っていた会話を要素分解(ここでは、誠意・主体性・Win-Winの姿勢の3つ)して、常に意識するだけでも改良の余地が生まれると思うのです。

問題解決手法としても、大きな問題を解決する王道のアプローチは、自分が改良できる単位まで、ものごとを細かい問題に分けていき、その小さな単位を1つづつ改良していくことにあると聞きます。

この考え方はコミュニケーションの改善にも有効かもしれないと思いますし、「7つの習慣」が打ち出してくれる"リーダーシップの強さ"を知る指針を活用することで、具体的な行動に繋げていきやすくなる気がします。

【第1の習慣】「主体的である」は、なぜ第1なのか?

2016-10-24 06:47:11 | 7つの習慣
私はタイトルにある、【第1の習慣】「主体的である」は、なぜ第1なのか?の答えを知りません。

ですがここで推察してみたいと思います。

完訳「7つの習慣」p81では、"「主体性」の定義"を行っています。

それによると...



"自発的に率先して行動することだけを意味するのではない"

"人間として、自分の人生の責任を引き受けることも意味する"

と書かれています。


また【第1の習慣】について書かれた別の個所(p87)では、"率先力を発揮する"ことに関して...

"進んで行動を起こす責任を引き受けること"

とあります。

続く(p88)には、

"主体性は人間の本質の一部である"

"主体性という筋肉は、たとえ使われずに眠っていても、必ず存在する"

と記述されています。


"「主体性」は人間に元来備わっている、筋肉と同じでよく使うほどに強くなり効果を発揮するけれど、最初から内在するものである"というのが、「7つの習慣」の立脚する考え方のようです。

つまり、ある思考やあるものごと、またはあるイベントにしても最初の第一原因になってくるのは「主体性」であると見なしているのではないでしょうか。

このことが7つある習慣の中で、【第1の習慣】「主体的である」を最初に持ってきた理由なのではないか?と推論しています。

先日私はyoutube動画を見て知ったのですが、著者であるコヴィー博士は生前"「7つの習慣」の中で一番重要な習慣は何ですか?"と訊かれて、"第2の習慣だ"と答えられたそうです...

【第2の習慣】は、"終わりを思い描くことから始める"です。

しかし、これを第1とはしないで第2の習慣とされたのにはおそらく理由があって、それは「主体性」というものが、「7つの習慣」の基本哲学ともいえる"インサイドアウトの生き方"をスタートするトリガーの役目を果たしてくれるからではないか?だから一番初めに持ってきたのだと推察しています。

そして今日の私も、運命に翻弄される一日を過ごすのではなく、この人間誰しもに備わった主体性の筋肉を鍛えて動かす一日でありたいと思います。

第Ⅱ領域の活動を増やすためには・・・・

2016-10-23 03:52:14 | 7つの習慣
「7つの習慣 デイリー・リフレクションズ」10月23日の頁には、

“一週間の計画を立て、それを実行していく間には必ず、あなたの誠実さが試される場面が訪れるだろう”

と書かれています。

【第3の習慣】「最優先事項を優先する」は、

「依存」⇒「自立」へ至る第3の関門(私的成功の最終関門)であり、決して容易なことではありません。



この"最優先事項を優先できるかどうか?"は、"原則中心の生き方ができているかどう?"が試されているとも言えるでしょうが、その意味でも、私は自分の未熟さを感じます。

「7つの習慣」では、生活の中の活動を次の4つの領域に分けて考えるのですが、私は「第Ⅱ領域」の活動が少なく、「第Ⅰ領域」の活動が多いのです。


「緊急でかつ重要な活動」=第Ⅰ領域

「緊急で無く重要な活動」=第Ⅱ領域

「緊急でかつ重要では無い活動」=第Ⅲ領域

「緊急で無く重要でも無い活動」=第Ⅳ領域


つまり、"緊急でかつ重要な活動"に多くの時間を費やしています。

しかしこれは、避けることのできない活動であり、将来に向けた自己投資ではありません。

自転車操業のように、押し寄せてくる問題に都度都度対応している・・・そんな連続の日々になっています。

また「第Ⅲ領域」と「第Ⅳ領域」は、どちらも重要ではない活動なので、できれば日々の生活から無くしたい、ゼロにしてしまいたいのですが、私の場合、結構、この領域の活動もしてしまっています。

私の今月の活動を振り返ると、以下のような感じ(配分)になりそうです。


「緊急でかつ重要な活動」=第Ⅰ領域(60%)

「緊急で無く重要な活動」=第Ⅱ領域(10%)

「緊急でかつ重要では無い活動」=第Ⅲ領域(10%)

「緊急で無く重要でも無い活動」=第Ⅳ領域(20%)


効果的な人生にしたければ「第Ⅱ領域」の活動を増やす必要がありますが、私の場合、日々の活動の1割(10%)くらいしか、それに取り組めていないというわけです。

一方、「第Ⅳ領域」の活動("緊急で無く重要でも無い活動")が2割(20%)くらいもありそうです。これは主に、テレビを観たり、メールやネットサーフィンしたり、SNSをしている時間です。

中身によっては、テレビ・メール・ネット・SNSも「第Ⅱ領域」の活動となりえますが、私の場合はそうでない場合も多いです。

疲れてしまって、気分転換にテレビを観たり、ネットでニュース記事を閲覧するのですが、それが長々と続いたりします。

このような中で、どうやって「第Ⅱ領域」の活動を増やして行くか?ですが、今のところ次の3つの改善策を模索しています。


1.「7つの習慣」を日々深く読んで「最優先事項を優先させる」ことを心の奥深くに根付かせる

2.効果的に自己管理できる手帳を活用する(※昨日ご紹介したような手帳です)

3.他の成功法則を組み合わせて、実行力を高める

上記の3で、私が一番役立つと思うのが、ジェームス・スキナー氏の「成功の9ステップ」です。(※スキナー氏は、かつて「7つの習慣」を日本語訳した人としても著名です)

このジェームス・スキナー氏によると、時間管理の奥義は、"時間を管理するのではなくて、エモーションを管理する"というのです。

「時間管理」に関心のある人は、その時間を活用して、欲しい結果や出したいアウトプットがあるわけですが、当然ながらこれは、取り組んだ時間と正比例するわけではありません。

費やした時間 = 欲しい結果の割合

という公式が成り立つのは、決まりきった単純作業くらいのものであり、何らかの創造性を要求される仕事においては、

費やした時間 = 欲しい結果の割合

という公式は成り立ちません。

スキナー氏は、"欲しい結果を出すためのエモーションが存在する"と言うのです。

欲しい結果が出せる状態、出せる感情でいると、その結果が出てしまうと・・・

このあたり関心のある方は一度、「成功の9ステップ」をご参照なさって見てください。

「成功の9ステップ」はいわば体系だった学習プログラムのようなもので、書籍もセミナーも存在しているようですが、私がとても役立ったのはオーディオCD版です。

CDだと何回も何十回も聴けるので、繰り返し聴くうちにどんどん内容が頭に入ってきます。

もう3年以上前に、私はこのCDを購入したのですが(たしか値段は3万円前後だった気がします)、以来かれこれ、50回以上はこのCDを聴いていますし、仕事や人間関係でちょっとスランプだなと思った時は、またCDを聴き返すようにしています。

今日は「7つの習慣」以外の成功法則に触れましたが、これからも役立った本や教材があれば、ご紹介させていただくかも知れません。(※基本は「7つの習慣」について考え、実践するブログでありたいと思っています)

自分を律し易い手帳のこと

2016-10-22 06:16:14 | 7つの習慣
昨日は、【第3の習慣】「最優先事項を優先する」に関連して、自分を律することについて想念を書きました。

今日は、これまでの経験から"自分を律するのに効果的な手帳"について書いてみたいと思います。

10月に入って、全国の書店にも来年(2017年)の手帳が並ぶようになりましたからね(^^♪

私は、毎年、手書きの手帳(プランナー)を使っていて、様々な「目標と計画」「予定と実績」を手帳に書いて一元管理しています。

今年は6月にその重要な手帳を紛失(どこに落としてしまったのか?)してしまい、7月になってまた新しい手帳を買うことになったのですが、紛失した手帳を含め、この2年間はマイ手帳に「フランクリン・プランナー」を使っていました。

「フランクリン・プランナー」は、「7つの習慣」に立脚した手帳なので、"「7つの習慣」を生きる"ためにも、とても役立ちます。

その前は、やはり2年間くらい「隂山手帳」を使っていました。

私は「フランクリン・プランナー」も「隂山手帳」も好きで、自己管理するのに本当に適していると思います。

なおそれぞれの手帳の機能説明サイト、優れたレビューサイトがあったので、ご参考までにリンクを貼っておきますね。

「フランクリン・プランナーの機能と使い方」(←リンクあり)

「隂山手帳2017のレビュー」(←リンクあり)


という訳で、上記の2冊はおススメなのですが、来年はまた別の手帳を一年間使うことにしました。(本屋さんでいい手帳に出会ったので)

それは。。。

「小宮一慶のビジネスマン手帳」(←リンクあり)です。



上記の手帳はどれも好きなのですが、今回、「小宮一慶のビジネスマン手帳」に決めた理由は、

1.サイズ(コンパクト・軽量・薄い)
2.手へのフィット感

です。

どの手帳も優れた点を何個も持っていますし、さらに毎年パワーアップしている気がします。(詳しくは、上記の各手帳のリンク先をご参照ください。凄いです。)

良い手帳さえあれば、自分を律することができる訳ではありませんが、手帳は自分をその気にさせてくれたり、小さな達成感を何度も味あわせてくれる最良のパートナーになってくれます。

私個人に関して言えば、手帳なしに自分を律することは無理だと思います。

風邪も3日目にしてほぼ完治したので、今日も元気に生きていこうと思います。