徳永写真美術研究所/研究員日記

ギャラリー・美術館を訪ねた日のことを綴ります。

砕石場は何を語るのか

2014-02-24 | Weblog

 

この間、久しぶりに地元にも雪が積もりました。

゜・。゜・**・゜。・゜

調子に乗って雪かきをしたら・・・その日の晩、腰痛になりました(笑)

幸いひどいレベルではないので、日常生活は出来ています(;´∀`)

昔、腹筋を日課にしていた時期があったんですけど、どうもその時に腰を痛めたみたいで・・・

それからは腰に負担がかかることをすると痛くなる事が増えてしまいました

なのに、そのことをつい忘れていて・・・最初は何故腰が痛いのか分からなかったという

(▽ ̄;)

 

地元では雪が降ることはあっても(それさえも少ない)積もる程降る事は珍しいのです。

昔は降ったら嬉しくて外に出て遊んだり、少量の積もった雪をかき集めて小さな雪だるまを作ったりしたなぁ~

年をとったら、冷めた目になるのかな・・・なんて思いきや、

今でも正直に言いますと・・・雪を見ると何だかんだワクワクする自分がいます(^0^;)

 

様々な弊害もあるので、その点を考えると厄介な存在ではありますが、

このような地域で育ったせいか、雪が降る事自体はやっぱり楽しい気持ちになってしまうんだよな...。

 

そして

ロシアの写真家Alexey Kljatovさんが撮影した雪の結晶がこれまた美しくて・・・

これが空から降ってくるなんて・・・

自然ってすごいね

 

 

さて、今回で25回目の研究員活動

大阪Nikon Salon
ヒルトンプラザウエスト・オフィスタワー13階・ニコンプラザ大阪内
http://www.nikon-image.com/activity/salon 

 

 

作家の有野さんです (^^)

お忙しい中、なんとかポートレート撮影をさせて頂きました!

 

 会場風景

この日はセミナーがあるので、混む前に撮影を!ということで、

二時間程前から会場に向かったものの・・・既に人があちらこちらに

 セミナーは勿論、人でいっぱい!!でした。

 

 

会場内は迫力ある大理石の砕石場の写真がたくさん!!

これなんて城のような・・・

■          ■          ■          ■

人は生きていく中で、地球に対して様々な行為を仕掛け、人工の風景・人景をたゆまなく作り続けている。

それらを我々は現在の風景としてながめているのである。

 

人景のなかには、新規に手が加えられたり、修正されたりしながら、上へ上へと積み重なり、

加算の力学に則って変貌していくものがある。それらをプラスの人景と考えてみる。

 

それに対して、逆の風景・マイナスの人景もある。たとえば砕石場では、

人為が加わるごとに山や平地が削り取られ、引き算の力学によって風景が変化していく。

そこでは人の力が加わることで、減少しながら風景が形成されていき、

負の風景と言えるマイナスの人景が現出している。

 

-ステートメントより-

■          ■          ■          ■

写真はイタリアのトスカーナ州カラーナの砕石場を中心に撮影されています。

そこでは白色よりの大理石がメインなんだそうです。

産地によって色も変化します\(^o^)/

イタリアは大理石の産地として世界的に有名で、大昔からあらゆる所に使用されてきました。

建築物、家具、彫刻などの芸術品にまで。

自分達が日頃どこかで目にする大理石ももしかしたら、イタリアから来たものがあるかもしれません!

 

大理石がどういう性質なのか改めて気になったので調べてみると・・・

石灰岩がマグマの熱で変成し再結晶したもの。

石材の中でも硬度が低いので加工しやすく、研磨すると美しい艶が出て高級感がある。

中には化石が入ったものもある。

しかし耐久性に優れていないので傷がつきやすく、酸にも弱い。

・・・とな。

更に

“大理石”と呼ぶのはかつての大理国(現在の中華人民共和国雲南省大理ペー族自治州大理市を中心とする地域)で          

産出されたことに由来し、

英語では“マーブル”と言い、これは産地であるマルマラ海のことで「マーブル模様」とは大理石の模様や色ムラに由来する

 

以上

・・・へぇぇ~~(゜◇゜)な豆知識でした

 私は石が好きです。

石だけじゃなくて自然の様々なものが奇想天外で好きです

色んな種類があって、同じ種類でも違う色や形のものがたくさんあって、見るのも楽しいです。

 

ちなみにタイトルの“砕石場”の部分は“さいせきじょう”ではなく“さいせきば”の方で呼ぶそうですよ。

採石場と砕石場

採石場の方は石材を切り出す、砕石場の方は岩石を砕く

砕石場の方がより荒々しく、ダメージが大きいイメージかな?

 

スパンとカットされた岩山の断面の横には、コロンとした大理石のブロックが並んでいる。

向こうに見えるのはイタリアの港町

 

 

 

 

 

 

 

人が手を加える(カットする)ことによって、このような光景が出来上がるのだろう・・・とは思いつつ、

考えがもう一周して、ここまで綺麗な形で存在しているのはもしかしたら

ジャイアンツ・コーズウェーなどの石柱群や鉱物の結晶のように、

この形さえも自然が100%作りあげたのでは?なんて思ってしまう。

前置きでチラッと書いた雪の結晶もだけど、

自然自ら作り上げたものって、時に人の想像を遥かに超えているんですよね。

人がそれに気付こうと気付かまいと、存在している。

その自然の業(わざ)を利用し、人は業(ごう)を積んでいる・・・

ようにも思えてくる、砕石場の一枚。

 

 

 手前の大理石、青くて氷の塊みたいですね!

でも崩れている部分を見ると中が茶色でボロボロしているのが何だか不思議です。

 

 

真ん中に見える黒いのって・・・車ですよ!?

山がいかに大きい(高い)かよ~~く分かりますよね。

下から見上げたらどんな感じだろう?

 

 

 

 

 

 

 

“砕石場”と言われないと遺跡跡だと思ってしまいそうです(^^;)

でも、もうこれは・・・“元”砕石場ですかね...。

 

 

 ここまでくると大理石かどうかすら・・・

しかもよく見ると上の方に建物と電柱が(゜◇゜;)

・・・大丈夫かな?中の部分が剥き出しになっている状態だとより一層脆そうで;

雨や風による天候で風化したりしないのだろうか。

日本みたいな多湿な環境ではないにせよ、日照りも風も強いだろうし。

 

 

 

今にも雨が降ってきそうな曇り空の下には灰色(に見える)大理石が。

大理石自体が光(天候)に反応してそのように見える・・・のかな?と私は最初思いました。

勿論、磨いている物とそうでない物とでは差はありますが、ある程度光や色が反映するのも事実でしょう。

が、

そもそも我々の目は、目の前の光景そのものを捉えているのではなく、

目に飛び込んだ光の情報を脳で処理して出来上がった世界を見ているわけなので

大理石が・・というより、光によってそういう風に見えている・・・という

 

写真について全く知識のなかった(今もそんなにない;笑)私が研究員活動をしていると、

光との関係性についての話を何回か耳にすることがあって・・・

写真もそうだけど、人の目自体も光で・・・って、う~ん・・・分かるような分からないような;という感じでした

それが今回なんとなくだけど自分の中で理解出来たような気がします。。。

 

 

 縞柄がよく分かる大理石の砕石場

 

 

砕石場の全体像・・・は壮大だけど、何だか寂しい。

 

さすがに全部載せるわけにはいかないので、一部抜粋という形にはなりますが、

徐々に、砕石場が寂れている状態になっています。

それと、砕石場の写真のほとんどにが入っている事にお気付きですか??

大理石を“寄り”で撮影することも出来たけれど、敢えて空を入れたのは

あくまで、これらの砕石場を“風景”として見せているからなんです。

焦点を絞るのではなく、全体にいきわたる様に。

空が入っていない写真(写っているのにもあるけど)には が写っていたりします。

有野さんがセミナーの時に、そのことについて芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」を挙げていました。

岩石に囲まれた空間の中にポツンとある水溜り

波の立たない水面は、視覚的にも緊張感を与え、静けさをより一層際だたせる効果もあると思います。

  

 

さて、この辺で“プラスの人景・マイナスの人景”にも触れていきましょう!

まず人の作る景色を“人景”とし、それをプラス・マイナスの二種に分類して捉えている所が面白いと思いました。

例えば、プラスの人景として私がまずピンときたのは・・・里山でしょうか

人が作った自然との共生環境で、そこには独自の生態系が存在し、

程よく手入れされた自然に、時に癒され、どこか懐かしさすら覚えます。

一方完全なる自然には、人が加えたものとはまた違う壮大さ、美しさがあり、感動はするものの

未知の世界であり、興味をそそると同時に恐怖も感じます。

生まれた時から人景の中で育った私達は、人の気配を感じるからこそホッと出来、安心するのだと思います。

人・建物だらけ・・・の大都会もプラスの人景の中に一応含まれるんでしょうけど

そうだと言い切れるかどうかは・・・。

力学的にはプラスと言えども、どこに焦点を当てるかによって捉え方が大幅に変わってきそうです。

皆さんはどう思いますか??

 

一方マイナスの人景・・・

干上がったアラル海や、森林破壊で減少しつつあるアマゾン熱帯雨林なんかも当てはまるかな?

砕石場は岩山をどんどん砕いて・・・ひたすら砕いて、また新しい岩山を砕いて・・・の繰り返し。

とれるだけとってやろう!まだまだあるし!という人間の欲がそのままいかにもな風景として現れている感じがする(‐_‐)

そこには水や森がなくなるほどの危機感もないような・・。

まだまだなくならないとはいえ、今の状態がひたすら続いたらいずれは底をつくだろうし。

その頃には天然大理石がどうのと言ってる時代ではないかもしれないけど...。

長い月日を要したものでさえ壊す事は簡単で、守っていくことの方が難しい

元に戻すのはもっと難しい

分かっているのにそれでも続ける人間って一体なんなんでしょうね??

 

「マイナスの人景 砕石場」では

 人がここまでしたわけか・・・(ノД`)と現状を目の当たりにしつつも

破壊の美学・・とはまた違うけど、砕石場の美しくて壮大で(私はそう感じる)・・・どこか寂しげな姿を見ることが出来ました。

 

 

地球上にあるあらゆるものは、人にとって、とっても魅力的である事に違いありません

しかし人がしたことは

プラスの人景にせよマイナスの人景にせよ、いずれ何かの形で返ってくるのではないでしょうか。

地球は太っ腹だけど、そろそろ自分達がしていることに気付いて~~!!;って思ってるかもね

 

 

 

にほんブログ村 美術ブログへ人気ブログランキングへ
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする