徳永写真美術研究所/研究員日記

ギャラリー・美術館を訪ねた日のことを綴ります。

過去と現在の狭間で

2009-07-08 | Weblog
なんか随分長いこと活動していなかったような・・・そんな感じがした今回の研究員活動。

やっぱり間が空くと、その分変な緊張感やプレッシャーみたいなものが増していきます(笑)

だいぶ研究員日記書いてないから、次書いて下さいって言われても無理なんちゃうか・・・(゜ι_゜;)

って、いつもそんなことを思う研究員なのでございます


しかも今回は一人でギャラリーに行くことになった上(今回特に心配だった)、久しぶりにトークショーまであったから・・・

どうなることやら・・・(ノД`;)と、一人焦る私。


とりあえずギャラリーの地図(サイトに掲載されていた地図をかなり拡大して何回も細かくチェックしました;笑)を印刷し、それを持っていくことに


あんなにしつこくチェックしていたにも関わらず、まぁ当然の如く?、道が分からない状態になりまして・・。

最終的に合わせて五人ほど、道を聞くことになりましたよ(笑)


四つ橋線の電車に乗ったら簡単な上、早く着くみたいやったけど、前に先生と一緒に向かった時は大阪駅から歩いていけたしなぁ・・・

楽したいがために電車に乗って、交通費上乗せして払わせてしまうのは何だか申し訳ない・・・


うん、やっぱし地道に頑張ろうか・・どうやって行ったか覚えてないけど・・・(・∀・)!

ってね(笑)


「四ツ橋筋に行きたいんですが・・ここからどうやって行けばいいですか?」って聞いたら、

大抵の人は「えっ、四ツ橋線じゃなくて“四ツ橋筋”ですか!?」って返ってきます;

んで、とりあえず地図くれたりして・・・またしばらく歩いたら別の人に聞いて下さい!という感じ。

まるで何かのリレーでもしているかのような・・・(笑)


警備員さんに聞いた時は、わざわざメガネまで持ってこられて、更に二人動員で私を挟んで、数十メートル一緒に歩いて案内してくれましたよ\(´o`)/

若干人の視線を感じた・・・;

ちょっと大げさ・・・というか、なんか私やらかしたみたい?;それか逆にひったくりとかの被害者みたい?;・・って思いました;

これが小さい女の子だったら、あ~迷子かな~(´∀`)?ってな感じですけど、

結構いい年してますからね(笑) その辺がリアルに加害者or被害者として想像できる・・

まぁでも、ここまでしてくれるってありがたい事です!

すごく親切だった。。。



にしても・・・地図ありすぎでしょ まるで一人探検隊!!

果たして、こんなにも必要だったのかどうか・・・笑;




11回目の研究員活動。。。

今回訪問させていただいたギャラリーは以下の通りです

              



The Third Gallery Aya

〒550-00002 大阪市西区江戸堀1-8-24 若狭ビル2F
Tel/Fax : 06-6445-3557

webアドレスはこちらになります
           
http://www.thethirdgalleryaya.com/exhibitions/2009/06/post_38.php





        立花常雄 TSUNEO TACHIBANA

   「補陀落渡海 -おしよせる深さについて-
     フダラクトカイ


  ※この写真展は既に終了しました。。。

写真に写っているのは作家の立花さんですヽ(´ー`)ノ この写真が撮った中で一番グーだったので載せることにしました!


手のポーズは・・・わざわざして頂きました(笑)




展示されていた作品は反射するので撮るのが難しかったです;

この写真は先生と協力して、極力反射しないように撮ったんですが・・・これで限界かと・・


立花さんは「光と距離」をテーマに写真を撮り続けています。

今回展示していた「補陀落渡海」の写真は、和歌山県の南にある那智湾(丹敷浦)を撮ったものです。

そもそも“補陀落渡海”とはなんのことなのか??

私は最初全く分からなくて、しかもフダラクトカイと聞いてパッと頭に浮かんだのは・・

「不堕落都会」だったという・・笑;

辛うじて、堕落してない都会・・・??意味わかんねーよっ(゜∀。)!!;



・・・てことで、ここから正式な「補陀落渡海」の成り立ちを。。。m(_ _)m



この那智湾では868年に補陀落(観音の霊地)を目指し、海に身を投じたのを始まりとし、

それから約800年もの間、この行為は修行僧達の捨て身の行として“補陀落渡海”と呼ばれ、続きました。

この行為、綺麗な言い方としては入水と。

でも端的に言ったら・・・海の中で死ぬ・・・自殺行為というわけです。・゜・(ノД`)・゜

そして、この行いは時代と共になくなっていき、この那智の浜は今、海水浴場として夏には大いに賑わう所となりました。


まるでそんな過去があったということが忘れ去られたかのように・・。


それでも立花さんが撮影に訪れた春先には、夏の賑わいはなく・・

静まり返りどこか物寂しい浜辺に、あの補陀落渡海の歴史を垣間見られたそうです。



(遠くて写真が良く分かんないですね(^^;)でも近づいたら反射が激しいし・・)


歴史を知らずに海を見るのと、歴史を知ってから見るのとではやっぱり違う気がします。

この補陀落渡海について、しかもそれが事実ここで行われていたことについて・・

その事を知っている人はどのくらいいるのでしょうか?



そもそもこんな捨て身の修行なんてする必要があったのか?

そんなことをするなら生きて修行していた方がよっぽど徳を積むことが出来るのではないのか??

一旦このような事を始めてしまうと後戻り出来なくなってしまうのか?それとも本当に補陀落に行けると信じてたのか?



入水する前日の晩、僧侶たちは何を想っていたのだろうか・・・。


そんなことを色々考えてしまいます(´・ω・`)


現代を生きる私には、そこまでして死ぬということ、補陀落渡海・・の行為自体に疑問を感じてしまいました;





立花さんの写真は、どれも月や雲、波の明るさ(光)だけがぼーっと明るく、その他(周りや海)は暗く写っています。

そこに余分なものは残っていないように感じます。


特に海の黒さが本当に深い。。。

補陀落渡海の話を知ってから余計そう思うのかもしれないけど、一旦この黒くて深い海の中に入ったら戻ってこれない気がして・・。

一体この黒い海はどこまで続いているのか・・・。

もう戻ることは出来ない僧侶達の覚悟とその思いが、写真の中にもしっかり刻まれているような・・



こうして写っている浜辺(海自体)は、今も昔もそんなに変わらなかったのではないでしょうか?


彼らが見た海と、私達が見てる海・・・。



時代は違えど、物としての本質自体は変わらないように思います。



私達が補陀落渡海をすることはないけど、写真を通じて彼らと何らかのシンクロをしているような・・


そんな気がするのです。




どの写真も均等に左右対称ではない上、真ん中で黒い線により区切られているのですが・・・


これは写真を印画紙(写真のネガを焼き付ける紙)にプリントする時、わざと左右のピントをずらした状態で制作しているからだそうです。

で、線はというと・・・これまたプリントする時に、線を付けたいとこだけ集中的に光を当て(露光)、後の部分を隠してしまえば・・・

くっきり真ん中に黒い線がつくというわけなんですよね~!

説明理解して頂けましたか??;

写真に関する知識がない人でもなんとなく・・・でいいから、分かったかも!って思っていただけたら有難い。。。




写真って不思議ですね~。なんで光を当てた部分は黒くなるんだ!!って。


私も去年、先生とこの研究所で暗室作業をさせて頂いたんですが、何故に??と思うことがたくさんありすぎました・・・笑;

それと・・・写真に関する知識はほとんどないので、難しいことは何も言えません

研究員は普通の総合大学に通っているのです・・・(´-`;)汗



かといって、いつもいつも「知りません。。。」じゃーちょっとなぁーだめなのかなー?;とは思っているんですけどね。



にしても・・この真ん中の線、過去と現在を区切る何かの役割をしているように感じます。

確かに区切られている・・・しかし、そこにはただ線が存在するだけであって、

先程言ったように、過去も現代も区切られてはいるけど、さほど変わりないのではないか・・・

と言ってるようにも捉えられます。

って、これめちゃくちゃ個人的な解釈なんで・・・なんともいえないんですが(笑)




それとね・・・、こうして研究員日記書くために、立花さんの写真が載ってるDMを何回も何回も、ひたすら見続けていたわけですよ。

何か見えてこないか・・・って。


研究員日記書く時、毎回こういうようなことを私してるんですが(笑)・・・


まあそれはさておき、

写真をじっと見てますとね・・・



何だか真ん中で区切られた写真が襖(ふすま)のように見えてきましてね・・・



いや、これふざけてとかじゃなくて大真面目に(゜ω゜;)!!笑


もしかしたらこの写真、表面上は写真として存在してるけど、この真ん中を手で開けることが出来たなら、

別の何かが見えるんじゃないか?写真の更なる本質??

それとも本物の海と繋がっている???




って・・・





何か考えすぎて頭変になってきてるのかもしれません。すみません、とりあえず謝っておきます;笑







あっ、あとね、最後に・・・






この「補陀落渡海」なんやけど、一人だけ他の僧侶達みたいに入水せずに逃げた僧侶がいるそうですよ(笑)

これは事実だそうで・・・でもその後どうなったかは誰も分からないそうな。


私はその僧侶にひどく共感した上に、僧侶っていうより、一番人らしい人だな!と・・・そう思いました

臆病だったとかよりも・・ある意味、一番近代的な人だったのかもしれませんね(笑)


死んでたまるか!!ですよ、ほんと。

命は大切に。

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