快読日記

日々の読書記録

「残虐記」桐野夏生 新潮文庫

2008年03月15日 | 日本の小説
「見ること」「暴力」そして、「書くこと」




少女監禁がモチーフになっているので、実際に起きた事件をひきずってしまうせいか、
この作品を心底嫌悪し、「桐野夏生はもう二度と読まない」と言い切っていた某ブログを読みました。
以前に、その新潟の事件を書いた「14階段」を読んだ(http://blog.goo.ne.jp/tokkuritohban/e/8200efc79710a1ecb2fdc4a3fb065008)ので、
む~、これは読まねばなるまいと手に取った次第です。


で、結論を先に言うと、
モチーフこそあの事件を連想させる物だけど、テーマはまったく違うのではないかなあ。
うまく言えないけど、
「性欲」と「暴力」と「小説」が球体を構成するひと続きの面であるってこと、とか。

人を見て、その見えない部分を想像することは実は「暴力」です。
想像とは、脳内で事実を捏造することだから。
そして「性欲」は凶器そのものであり、
人の凶器をじっと見つめることは、自己の内側からも刃を突き立てることになるはずです。
さらに、人間に対して想像力をフルに働かせ、
人の(つまり自分の)「性」を冷ややかに見つめる「小説家」が、主人公の職業でもあるってことで、
この3つが互いの尻尾を咥えながら回る蛇みたいな小説になっています。


それにしても桐野夏生って、
人間の醜く臭い部分、それが隙間からどろりとあふれる感じを描くのがうまいです。
何度も吐きそうになりました。おえぇ~。

あと、主人公の夫の存在によって、
作品が入れ子の構造になるのもとてもいい。
これによって真相なんて誰にも(本人にも)わかんないんだっていう装置ができあがった気がします。
■昨年の秋ごろ読了