こんな賛美を思い出していた。
新しくつくられる民が主を賛美しますよに。
これは洗礼を受けて生まれ変わったひとがということなのだろう。
ずっと歌っていると、囚われているひとのうめきを聞き、
死に定められた者を解き放つために。
これは世の中で苦労したり、神様を信じなかったために
または知らなかったために死んでしまうひとということだろう。
しかし神様は賛美をし、褒め称えられたいかということではない。
それに囚われているひとや死に定められた者はどちらかというと
教会のなかにいることが多いと思う。
毎週の礼拝出席、奉仕、献金、牧師との関係など。
これでは神様を信じていても心身ともに死んでしまう。
きっとこんな意味ではないかと思っていた。
もっと自由に神様を受け入れたいところである。