聖職者がメッセージをするときに、
良かれと思って神様を伝えたとしても、
どのように伝わるのかはわからない。
同じメッセージでも救われるひととそうでないひと、
つまり受け取り方の問題であろうか。
そうでないひとは信仰がわからなくなったり、
教会からいなくなったりする。
いなくなれればある意味幸いだと思うが、
それを罪だと教えられ、最後は自殺するしかない。
メッセージの伝わり方の恐ろしさを知っておくべきである。
そもそも神の言は預かる言なのでひとが語ることはできない。
メッセージを聖職者が自らつくるのではなく、
神様におまかせするのが大切なのではないだろうか。