原爆問題-自虐のぬるま湯から出て日本が主張すべきこと

2013年08月16日 | news
【阿比留瑠比の極言御免】原爆問題-自虐のぬるま湯から出て日本が主張すべきこと
2013.8.8 11:50

 「私たち日本人は、唯一の戦争被爆国民であります。その非道を後の世に、また世界に伝え続ける務めがあります」

 安倍晋三首相が6日に広島市で行われた平和記念式典でこうあいさつし、原爆投下について「非道」という言葉で非難したことに注意をひかれた。式典には米国のルース駐日大使も参列しており、首相は歴史問題でやんわりと米国を牽(けん)制(せい)したといえるからである。

 折しも読売新聞には映画「プラトーン」や「JFK」で知られる米映画監督、オリバー・ストーン氏のインタビュー記事が掲載されていた。ストーン氏はこう語っていた。

 「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ」「日本の人々も、米国の神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたかを学んでほしい」

 このような見方は米国では必ずしも主流派ではないだろう。とはいえ多様な意見、見解が存在し、かつ堂々と表明されるのは米国らしい懐の深さだといえる。主要紙が平気で「原爆投下は神の懲罰だ」(中央日報)と書く一方で、自国に都合の悪い評論家、呉善花氏の入国は理由も示さず拒否する韓国とは全く違う。

 ただ、日本も韓国を笑ってばかりはいられない。戦後ずっと、原爆投下の理非追及も不当性や被害を訴えるのも控えめで、「戦争に負けたから仕方ない」と自虐のぬるま湯に閉じこもり、問題をあいまいにしてきたことは否めない。

 例えば、広島市の原爆死没者慰霊碑に刻まれた有名な碑文がある。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

 主語がはっきりせず、まるで日本人が「原爆を落とされるような悪いことはもうしません」と言っているかのように読める。

 実際、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事が広島を訪れた際にこの碑文を知り、「過ちは誰の行為を指しているのか。原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である」と憤ったエピソードはよく知られている。

 広島市のホームページによると、碑文の趣旨は「原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというもの」だそうだが、そう読み取れるだろうか。

 また、長崎市長を4期務めた本島等氏は平成10年8月掲載の産経新聞のインタビューにこう語っていた。

 「日本がアジア太平洋戦争などで行った数々の悪魔の所業を思うと、原爆投下は仕方なかった、やむを得なかった、と言わざるを得ない。東京大空襲や沖縄戦も同じだ」

 一般市民が無差別に大量虐殺された日本側がこんな状態では、米国が原爆投下の正当化姿勢を改めることは期待し難い。オバマ大統領が21年11月に来日して首相官邸で記者会見を行った際、幹事社だった筆者はこんな代表質問を用意した。

 「過去に日本に2発の原爆が投下されたことについての歴史的な意味をどうとらえ、現在もその選択は正しかったと考えているか」

 「核なき世界」を目標とする大統領も、この質問には一切答えずはぐらかした。防戦一方で勝てるゲームはない。歴史問題をめぐって日本も、たまには相手の痛いところを突くぐらいした方がよいはずである。(政治部編集委員)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130808/plc13080811510011-n1.htm






広島原爆被爆者は55万7000人 広島市が14年ぶり調査、1万5000人増
2013.3.24 10:45

 正確な実態が分かっていない広島原爆の被爆者数を、広島市が14年ぶりに調査した結果、前回より約1万5千人多い約55万7千人に上ることが23日、分かった。市は3月中に報告書にまとめ、公表する。

 調査は今回から本格的にコンピューターを使って照合作業を実施。原爆死没者名簿と被爆者健康手帳交付申請書などの資料のうち、これまで詳細な調査ができていなかった計約12万件を新たに分析し、盛り込まれていなかった被爆者を加えた。

 調査によると、原爆投下時の広島市と隣接町村の一部にいた「直接被爆者」は、前回より約1万2千人多い38万4743人。投下後に爆心地付近に入って被爆した人や、被爆状況不明の人を合わせると、55万7478人となった。

 一方、これまでに死亡した被爆者は、現時点で原爆死没者名簿に記載されている28万959人を下回る27万7996人と新たに分かった。重複して記載された人がいるという。

 広島の被爆者数は戦後、国や県、市が別々に調査した資料があり、広島市は昭和54年以降、統合化事業を推進してきた。今回を含め7回の調査で統合した資料は累計で約92万件にのぼった。

 ただ、今後新たな資料が見つかる可能性は低く、市の担当者は「被爆68年を経て、実態に近づける作業は限界を迎えている。今回が事実上最後の調査になるだろう」と話す。

 調査に関わった広島大原爆放射線医科学研究所の大谷敬子助教は、今回の調査で被害や死亡届があった人はほぼ網羅できたと評価。「今後は被爆状況と死亡時期を分析し、放射線の初期影響を調べる研究を進めていきたい」と語った。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130324/trd13032410480005-n1.htm






【原爆】広島の原爆資料館の被爆者人形、「怖い」ので撤去…77歳の他県民「人形必要」、19歳の他県民「作り物はいらない」
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1363537367/-100

原爆資料館:被爆再現の人形撤去へ

広島市は14日、原爆資料館(中区)に展示している、やけどを負った被爆者の姿を再現したプラスチック人形を2016年度にも撤去する方針を示した。館内の展示を遺品などの実物資料に切り替える見直しに合わせる。印象が強く、広く知られた人形の撤去について、来館者たちの受け止めが分かれた。

人形は女性、女学生、男児を模した3体。焼けただれた皮膚で、がれきの中をさまよう。先代のろう人形を1973年から展示し、91年に現在の人形に替えた。

この日、市議会予算特別委員会で議題に上った。委員の一人が「旅行代理店のアンケートに、人形が怖いとの意見があった」と指摘。石田芳文・被爆体験継承担当課長は「本館リニューアル後は、展示しない方向で検討している」と述べた。本館は16~17年度に改修を計画している。

撤去方針の背景には、館内の展示見直しを議論してきた有識者の検討委員会が2010年にまとめた基本方針がある。被爆者の遺品や瓦など実物の展示を重視する内容で、具体的な展示プランは今月中に決める。

平和学習に訪れた広島の子どもが後々まで、人形に脅えた経験を語る姿は珍しくない。14日に訪れた埼玉県 所沢市の中里三代子さん(77)は「被爆の実態を伝えるためには、この人形は必要だ」と撤去を惜しむ。山梨県都留市の大学生太郎さん(19)は「写真や遺品など実物の方が胸に迫る。作り物はいらない」と話していた。

【写真説明】被爆者の証言を基に作られた人形を見る来館者

'13/3/15
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201303150043.html

原爆投下は「日本の植民地支配から解放」とのアジアの声が根強い…資料館展示見直しに中韓の委員を起用へ



ひろしま 「被爆再現人形」撤去 「訴える力強い」反対の声多く 原爆資料館「実物展示で十分」 /広島 毎日新聞 2013年04月23日

 原爆資料館(中区)が、原爆投下直後の悲惨な状況を伝える「被爆再現人形」を2015年度末で撤去すると決めたことを受け、インターネット上で方針撤回を求める署名運動が盛り上がっている。視覚に直接訴える人形は「悲惨さがよく伝わる」と残すよう求める声が上がる一方、資料館側は「実物中心の展示で十分に伝えられる」として議論は平行線をたどっている。【吉村周平】

 「当時を語れる被爆者はいずれいなくなる。人形が持つ語り部としての役割はより一層重くなる」「原爆がいかに非人道であるかを伝えるためには必要です」--。インターネットの署名サイト「Change.org」で3月末に始まった「撤去方針の撤回」を求める署名運動は、ツイッターやフェイスブックなどを通じて広まり、3週間余りで600筆を突破。コメント欄には撤去反対を訴える投稿が並ぶ。

 署名キャンペーンを始めた佐伯区の会社員、勝部晶博さん(44)は2児の父。先月末、長男(9)と共に初めて長女(5)を連れて資料館を訪れた。子どもたちは人形をじっと見ていたといい、「被爆者の描いた絵や『はだしのゲン』と並んで、被爆再現人形は子どもたちに訴える力が圧倒的に強い」と話す。「焦げた服などの遺品を並べれば伝わると言うが、それは『大人目線』。子どもは遺品の裏にある悲惨さを簡単には想像できない」と続けた。

 資料館は展示構成の全面リニューアル(2018年度完成予定)に伴い、人形撤去を決めた。その実施設計が3月下旬にまとまって以降、「撤去反対」を訴えるメールや電話が約200件寄せられている。

 担当者は「多くの人が言う『怖いから撤去する』というのは誤解だ」と説明。「被爆の悲惨さをありのまま伝えるため」、実物中心の展示方針にしたという。現在の人形については被爆者から「現実はもっと悲惨だった」との指摘もあり、再現性には疑問もある。改装後は被爆建物のれんが壁や爆風でゆがんだ鉄の門、焼け焦げた衣服などの遺品に加え、損傷の激しい遺体の写真など「実物」を一堂に集合展示する方針。「場合によっては今以上に子どもにとっては恐ろしいものになる」と、訴求力が弱まることはないとする。

http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20130423ddlk34040477000c.html



ヒバクシャ広島/長崎:’13春/4 資料館の再現人形撤去 「伝えるため残せ」
毎日新聞 2013年05月17日 東京朝刊
写真撤去されることになった「被爆再現人形」の前に立つ原広司さん。「悲惨さを伝えるために、残さなければいけない」と訴える=広島市中区で、川平愛撮影

 春の陽光が、広島市の原爆ドームに降り注いでいた。すぐ脇を流れる元安川の対岸で被爆者の市民画家、原広司さん(81)=同市安芸区=は四季のドームを描いてきた。周辺には高層マンションが建ち並び、国内外からの観光客には、鉄骨がむき出しになったドームのほかに爆心地の痕跡を見つけるのはむずかしい。

 だが原さんの脳裏には68年前の惨禍が焼き付いている。それだけに納得できないことがある。近くの原爆資料館に展示されている、原爆投下直後の被爆者を再現した人形の撤去が決まったのだ。

 「人形をのける理由が『作りもん』じゃ言うなら、わしの絵も『作りもん』じゃろ」

 原さんは、いつになく強い口調で憤った。

 資料館の展示を2018年度までにリニューアルする計画が3月にまとまり、人形撤去が盛り込まれた。資料館は「実物中心の展示で被爆の実相を伝える」と説明するが、やけどでむけた皮膚を垂らして歩く姿は、訴える力があり、人形撤去に反対の声は根強い。

 原さんは13歳の夏、広島湾に浮かぶ江田島の祖母宅で、原爆のきのこ雲を見た。翌日に広島市に入り、惨状を目の当たりにした。「首のないのや内臓が出ているのや、いろんなものを見たんじゃ」。やけどの被爆者が手を合わせて「水をくれ」と懇願する姿。大やけどをし、何か叫びながら走り回る裸の女性……は人形の姿と重なる。

 「原爆で全て焼けてしまった。『作り物』でもなければ、惨禍を伝える手段がないから作っとるんじゃろうに」。証言できる被爆者が少なくなる中、「今(人形を)なくしてしまえば、いずれ再現することは不可能になる」と危惧する。

 さらに気になることがある。改憲の動きだ。「私たちは満州事変、太平洋戦争をよう知っている。戦争の、原爆の実相を知れば、憲法を変えようなんていう発想はしない」。この日も口癖の「ドームはただ黙って建っておるんじゃない。無残な姿をさらして、核兵器の恐ろしさを訴え続けておるんよ」という言葉を繰り返した。訪れては去っていく観光客を見やり、付け加えた。「多くの人にとって記念撮影するだけの場所になっとる」

 原爆ドームも、絵も、人形も、被爆資料も……。風化の後に、過ちが繰り返されるのではないか。「いろんなものを積み重ねて核の非人道性を訴えていかねばならん」

 陽光を浴びた原さんの顔に、決意のしわが刻まれていた。<文・吉村周平、写真・川平愛>=つづく

http://mainichi.jp/select/news/20130517ddm041040109000c.html



被爆再現人形:予定通り撤去意向 代替案検討に含み--広島市長 /広島
毎日新聞 2013年07月05日 地方版

 原爆資料館(中区)の全面改装に伴う「被爆再現人形」撤去を巡り、反対の署名運動が起きていることについて、松井一実市長は4日の記者会見で、現時点では予定通り撤去する意向を示し、人形に代えて実物を中心に展示する方針に理解を求めた。一方、「人形がなければ困るということが続くようであれば、技術的な工夫で何らかの方策を考える余地を残したい」と代替案の検討には含みを持たせた。

 人形の撤去方針を巡っては、今年3月に始まったインターネットでの反対署名が6000筆を超えた。

 松井市長は「目で見て簡単に実感できる方が感動を受けるだろうという意見は決して否定できない」としながらも「一部の被爆の状況を切り取って残すよりは、被爆の実相を、その時あったいろいろな資料で理解していただく方がいいだろうとなっている」と話した。【加藤小夜】

http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20130705ddlk34040500000c.html



被爆再現人形:人形にも迫真の力 原爆資料館、撤去方針 初代制作男性「作り物ではない」
毎日新聞 2013年08月02日 大阪夕刊
写真1973年~1991年まで展示されていた初代被爆再現人形。画家・福井芳郎氏が描いた燃えさかる市内の中をろう人形3体がさまよう=原爆資料館提供

 広島市の原爆資料館が打ち出した「被爆再現人形」の撤去方針に見直しを求める声が相次ぐ中、初代「被爆再現人形」の制作に関わったレプリカ職人の宮本〓吉(しょうきち)さん(71)=京都市中京区=が毎日新聞の取材に応じた。資料館側が撤去理由として「作り物」と主張していることに対し、「等身大で立体的に示された実像は人の心や脳裏にずっしり残るはずだ」と反論している。【吉村周平】

 資料館は展示の全面リニューアルに伴い、2016年度に人形を撤去する方針を打ち出した。「実物中心の展示へ切り替えるため」と説明している。これに対し、反対署名が提出され、被爆者からも見直しを求める声が上がっている。

 撤去されるのは1991年から展示されている2代目の人形。73年から18年間展示されていた初代は、レプリカ制作を手がける西尾製作所(京都市山科区)が作った。72年に資料館から依頼を受け、創業者の故西尾惣次郎さんを中心に宮本さんもスタッフとして取り組んだ。忠実に再現するため、被爆者への聞き取りから始めた。
写真2代目の再現人形。そのインパクトに来館者の多くが足を止める=原爆資料館で2013年5月30日、吉村周平撮影

 「真皮はのこる。白味を帯びた灰色」「口唇は赤黒く硬くなる」。同製作所には、被爆者からやけどや皮膚の状態を克明に聞き取ったメモと、それを基に描かれたデッサンが保管されている。聞き取りの結果、髪は縮れて逆立ち、やけどで破れた皮膚を垂らす女性2人と、大やけどを負って歩く子供のデッサンが出来上がった。子供の人形は、当時2歳だった長男の手や足から石こう型を取り、リアリティーを追求した。完成した3体の人形は、被爆画家の福井芳郎が描いた絵を拡大印刷した背景、がれきの模型とともに展示された。

 当時を振り返り、宮本さんは「人形は作り手の意志を差し挟んだものではない」と強調。「当時の写真や映像もすごいものはたくさんあるだろうが、多くはモノクロだ。人形は色があり、実物の本質を捉えてそっくりに作っている」と話した。

http://mainichi.jp/area/news/20130802ddf041040021000c.html

広島平和記念資料館(原爆の悲劇)2011年春
http://www.youtube.com/watch?v=oGCJs8oY0v8#at=872



Listening:<記者の目>被爆再現人形=吉村周平(広島支局)
2013年08月07日

 ◇撤去は「受け手」の声軽視

 広島市の原爆資料館が2018年度の全面改装に際し、原爆投下直後に市内をさまよう被爆者の姿を模した「被爆再現人形」の撤去を決めたことに、反対の声が強まっている。インターネット上で人形存続を求める署名に取り組む男性をはじめ、自らが強烈な印象を受けた人形が「ヒロシマの伝承」に欠かせないと考える人々が声を上げている。被爆者の遺品など「実物」を中心にした展示で「被爆の実相をありのまま伝えたい」とする資料館の、伝える側の理屈はわかる。しかし、伝承は、受け手の側を無視しては成り立たない。人形存続を願う、受け手の声に、資料館や運営主体の広島市はもっと真摯(しんし)に耳を傾けてほしい。

 資料館は、収蔵する約2万1000点に上る被爆者の遺品などの被爆資料や、被爆者や焦土となった広島の写真展示などを通じて「被爆の実相」を伝えている。年間約128万人に上る来館者の感想はさまざまだろうが、大やけどを負い皮膚を垂れ下がらせたまま、燃えさかるがれきの街をさまよう被爆者を再現した人形を、印象に残った展示として挙げる人は多いのではないか。私も、人形の前を通る来館者を何度か観察したが、驚いた表情で足を止め、人形を見つめる人が多かった。子どもにその傾向が顕著だった。

 ◇ネットで反対、7700人を超える

 インターネット署名の発起人で広島市の会社員、勝部晶博さん(43)もそうした一人だ。小学校2年だった長男を連れて訪れた資料館で、被爆再現人形にじっと見入る様子に、原爆の惨劇を伝える力を確信したという。そうした力がある人形の撤去はおかしいと始めた署名への賛同者は既に7700人を超えた。

 被爆再現人形は、10年7月に被爆者団体や有識者らで作る検討会がまとめた基本計画で「撤去や代替が望ましい」とされた。それを知った市民から200件を超す反対意見が資料館に寄せられたが、検討会は今年3月、基本計画を踏まえ、人形撤去を盛り込んだ実施計画を決定した。撤去撤回を求める声が大きくなる中、資料館は「検討会を経て決めており簡単には撤回できない。理解を得られるよう説明していくしかない」と見直しには消極的だ。

 ◇等身大だから実相が伝わる

 被爆者の間には人形が被爆実態を再現しているのか疑問視する声が以前からあった。検討会のメンバーで広島県被団協の坪井直理事長(88)も「現実はあんなに生やさしいものではなかった」と話す。ただ、今回の撤去方針は検討会のメンバーから出されたものではない。「実物中心の展示」という方向性の中で事務局(資料館)が盛り込んだものだ。坪井理事長は「少々お金がかかっても、もっとリアルな人形を作ってはどうか」と提案する。

 資料館は「遺品など被爆資料の背景にある悲惨な体験に思いをはせてほしい」と実物中心展示に理解を求める。

 しかし、署名に取り組む勝部さんは「それは大人の論理。小さな子どもにはそう簡単には想像できない」と批判する。漫画「はだしのゲン」の作者、故中沢啓治さんも生前、「見たとき読んだときに『怖い』『もうやだ』と思わせることが使命だと思って描いた」と語っていたが、私もその通りだと思う。核兵器がもたらす惨禍に対し、感覚的に反応してもらうことも核廃絶に結びつくと考えるからだ。

 また、人形を実物ではない「偽物」だとする意見にも反論したい。そもそも、原爆投下直後の熱線と爆風で傷ついた被爆者の状況を記録した写真や映像など「実物」は、ほとんど存在していない。だからこそ、人形や絵画による再現も行われたのではないか。

 現在の人形が展示される前の1973~91年、資料館には「初代」被爆再現ろう人形があった。製作した西尾製作所(京都市山科区)の職人、宮本〓吉(しょうきち)さん(71)は、製作に先だち、被爆者から当時の様子を聞き取り、リアリティーを追求したという。今も各地の博物館から模型製作を請け負う宮本さんは「立体で等身大に再現された人形こそ、人の脳裏に焼き付く」と話す。被爆者で市民画家の原広司さん(81)も「人形=偽物」説に疑問という。「人形が偽物なら、被爆者が書いた原爆の絵も偽物ということか」と撤去に反対だ。

 署名サイトには「いかに核が恐ろしいかを伝えることが大切だ」「後世に残す必要があるのは『実物』ではなく『被爆の実相、実情』です」との意見が並ぶ。

 被爆者の生の声や実物の被爆資料の重みは忘れてはならない。ただ、資料館の最終目標は「核廃絶」なのではないだろうか。「伝える側」が「受け手」に向き合うことがなければ、目標への道は遠いものになってしまうように思う。

http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20130807org00m040003000c.html




はだしのゲンで核軍縮訴え 外務省、NPT会議で配布

 ウィーンで30日から始まる核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、日本政府代表団が広島の被爆体験を描いた漫画「はだしのゲン」の英語版を会場内で展示、配布することになった。  大の漫画ファンで知られる麻生太郎外相の肝いりで実現、原爆の悲惨さを生々しく描写した漫画で核軍縮を訴える。  「はだしのゲン」は広島に投下された原爆で父、姉、弟を失い、自らも被爆した少年ゲンが母親、妹とともに懸命に生きていく姿を描いた物語で、米国はじめ各国で出版されている。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受けた。  同省は「各国政府、非政府組織(NGO)関係者にぜひ手に取って読んでほしい」とPR。今後も国際会議などの場で漫画やアニメを使った情報発信を検討しており、「漫画外交」が活発に展開されそうだ。

2007/04/29 07:08   【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/200704/CN2007042901000192.html





「はだしのゲン」子どもの閲覧を制限する市教委

 漫画家・中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」の描写が過激だとして、松江市教委が、子どもが閲覧する際は教員の許可が必要な「閉架」にするよう全市立小中学校(49校)に要請していたことがわかった。

 文部科学省は「こうした例は聞いたことがない」としている。

 市教委によると、昨年度で39校が図書室に所蔵。作品には、旧日本軍が人の首をはねたり、女性に乱暴したりする場面があることから、市民から撤去を求める声が上がり、市教委が昨年12月、全校に要請した。

 古川康徳・副教育長は「立派な作品だが、表現が教育上、不適切。平和学習に使う場合は教員が解説を加えるべきだ」としている。

 出版社「汐文社」(東京都)の政門一芳社長は「一場面を取り上げて過激だとせず、本質を見てほしい。天国の中沢さんも悲しんでいるはず」と話している。

(2013年8月16日20時41分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130816-OYT1T00913.htm



【社会】はだしのゲン「閉架」に / 松江市教委「表現に疑問」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1376630635/

はだしのゲン「閉架」に 松江市教委「表現に疑問」

 松江市教育委員会が、原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を子供が自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求めていたことが16日、分かった。

 市教委によると、首をはねたり、女性を乱暴したりする場面があることから、昨年12月に学校側に口頭で要請。これを受け、各学校は閲覧に教員の許可が必要として、貸し出しは禁止する措置を取った。

 市教委の古川康徳副教育長は「作品自体は高い価値があると思う。ただ発達段階の子供にとって、一部の表現が適切かどうかは疑問が残る部分がある」と話している。

 市民から昨年8月、作品の歴史認識をめぐって学校の図書館から作品の撤去を求める陳情があり、市議会は同12月に不採択とした。ただ、市議会で「大変過激な文章や絵がこの漫画を占めている」という意見が出たことから、市教委が取り扱いを検討していた。

 はだしのゲンは、昨年12月に亡くなった漫画家中沢啓治さんが自身の被爆体験を基に描いた作品。ロシア語や英語、中国語などにも翻訳されている。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201308160141.html



はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」
毎日新聞 2013年08月16日 
写真コンビニ版「はだしのゲン」2巻の表紙=集英社提供

 漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、松江市教委が市内の全小中学校に対し、児童生徒に貸し出さないよう要請していたことが分かった。「描写が過激」として昨年12月、自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場におけるこうした措置は聞いたことがないという。

 ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結した。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている。

 松江市では昨年8月、市民から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に提出された。同12月の本会議で全会一致で不採択となったが、市教委が漫画の内容を改めて確認。「首を切ったり、女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。

 現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲンを全巻保有しているが、全て閉架措置を取っている。古川康徳・副教育長は「ゲンは平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり、授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と説明する。

 一方、汐文社の政門一芳社長は「原爆の悲惨さを子供に知ってもらいたいとの願いで描かれた作品。閉架によって風化しないか心配だ。こんなに悲しいことはない」と訴える。

 「ゲン」を研究する京都精華大マンガ学部の吉村和真教授は「海外で注目される中、松江市教委の判断は逆行している。ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。機会が失われる影響を考えてほしい。代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくのか」と話した。【宮川佐知子】

http://mainichi.jp/select/news/20130817k0000m040031000c.html



「はだしのゲン」過激描写理由に「閉架」に 松江
8月16日 20時43分

松江市教育委員会が、中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」を、市内の小・中学校の図書室で子どもが自由に読むことができなくするよう学校側に求めていたことが分かりました。
市の教育委員会は、一部に過激な描写があるためとしています。

漫画「はだしのゲン」は、去年12月に亡くなった被爆者で漫画家の中沢啓治さんが、原爆の被害を受けた広島で力強く生きていく少年の姿を描いた作品です。この「はだしのゲン」について、松江市教育委員会は、去年12月に開いた小・中学校の校長会で、すべての学校に対し、子どもが図書室などで自由に読むことをできなくさせる「閉架」の措置をとるよう口頭で要請しました。
措置を要請した理由について、教育委員会は「漫画の中に、人の首を切る場面や女性が乱暴される場面など、一部に過激な描写があるため」としています。
教育委員会では、要請後の学校側の対応を把握していないとしていますが、学校の中には、図書室で読むには教員の許可を必要とした上で、貸し出しを禁止したところもあるということです。
松江市教育委員会では、「平和への願いなど、作品に込められた趣旨は高く評価しており、教員が指導して平和学習の教材として使うことには問題はないが、過激な描写が含まれており、子どもが自由に読むことについては疑問がある」として話しており、現時点では措置を変える予定はないとしています。

中沢啓治さんの妻「戦争の悲惨さを伝えられない」
「はだしのゲン」の作者である中沢啓治さんの妻のミサヨさん(70)は、「教育委員会が、『はだしのゲン』を自由に読めないようにしているという話はこれまで聞いたことがなく、大変驚いている。『はだしのゲン』は、子どもたちが読めるように描写も抑えている。それでも、一部の描写が過激だということだが、戦争や原爆の被害は決してきれいごとではないし、子どもたちに本当のことを知らせなければ、戦争の悲惨さや平和の尊さについてきちんと伝えられない。松江市教育委員会には、『はだしのゲン』を子どもたちが自由に読めるようにしてほしい」と話しています。

原画展の来館者は
広島市中区の原爆資料館では先月から、「はだしのゲン」をはじめ、中沢啓治さんがみずからの被爆体験をもとに描いた漫画や絵本の原画の展示会が開かれています。
兵庫県赤穂市から小学5年生の息子と訪れた男性は、「『はだしのゲン』は漫画という形で分かりやすく戦争体験を後世に伝えられる作品だと思うので、松江市教育委員会の決定は残念です」と話していました。
また、大阪市から中学2年生の娘と訪れた男性は、「教育委員会の心情も分かるが、漫画を読ませるかどうかは保護者が判断すれば良いと思います」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130816/k10013832591000.html



「はだしのゲン」を閲覧制限

 原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」の描写が過激であるとして、松江市教委が昨年12月、市内の小中学校に学校図書館での子どもの閲覧を制限し、貸し出しもやめるよう要請していたことが16日、分かった。出版物の表現の自由に行政が介入する異例の事態といえ、議論を呼びそうだ。

 「はだしのゲン」は、昨年12月に亡くなった広島市出身の漫画家中沢啓治さんの代表作。市教委が「子どもの発達上、悪影響を及ぼす」と判断したのは、汐文社(東京)発行の「はだしのゲン愛蔵版」1~10巻のうち、後半の6~10巻。中国大陸での旧日本軍の行動を描いたシーンでは、中国人女性の首を切ったり性的暴行を加えたりする場面があった。

 市教委によると、昨年12月に小学校全35校、中学校全17校を対象に開いた校長会で、本棚に置かず倉庫に収める「閉架」とするよう口頭で求めた。同時に、貸し出しもしないよう伝えた。作品を所有する各校は要請を受け入れ、閲覧を制限しているという。

 同市議会には昨年8月「子どもたちに間違った歴史認識を植え付ける」と主張する市民から、学校図書館からの撤去を求める陳情が提出されていた。だが市議会は同12月の本会議で、全会一致の不採択を決めていた。

 市教委の古川康徳副教育長は「歴史認識の問題ではなく、あくまで過激な描写が子どもにふさわしくないとの判断だ」と説明。「平和教育の教材としての価値は高いと思うが、要請を見直す考えはない」と話している。

【写真説明】松江市教委が市内の小中学校に閲覧制限などを要請した「はだしのゲン」

'13/8/17
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201308170015.html



閲覧制限に憤り・疑問の声

 「はだしのゲン」の閲覧制限を小中学校に求めた松江市教委の対応に、被爆地広島の関係者や島根県の被爆者から憤りの声や疑問視する意見が出た。

 ゲンはことしで連載開始から40年を迎えた。昨年12月に73歳で亡くなった作者中沢啓治さんの妻ミサヨさん(70)は「言論統制をしていた戦時中のような判断」とショックを隠さない。「夫は戦争の悲惨さを伝えるため膨大な資料を調べた上で描いた。子どもたちが自由に考える機会を奪わないで」と話した。

 被爆者で体験証言を続ける島根県邑南町の河野頼人さん(82)も「こんな風潮が広がると、被爆の実態に触れることさえもはばかられるようになる」と懸念を示した。

 広島市教委は、小中高校生を対象にした平和教育プログラムで小学3年向けの教材に採用。「命の尊さや家族の絆を伝える上でもふさわしい作品」とする。原爆資料館前館長の前田耕一郎さん(64)は「原爆だけではなく、戦争や平和を幅広い世代に分かりやすく伝える漫画。功績の大きさも考えてほしい」と話した。

 一方、市民団体「平和と安全を求める被爆者たちの会」(安佐南区)の秀道広代表(56)は「残虐な場面を未発達な子どもに見せるのはよくない。天皇批判がある作品でもあり、閉架によって閲覧の優先度を下げたのは適切な対処だ」と評価した。

'13/8/17
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201308170026.html



はだしのゲンを子供が自由に閲覧できない「閉架」に(松江)「はだしの…」何が問題か


http://matome.naver.jp/odai/2137663536746572701

Wikipedia より
三光とは、殺光・焼光・搶光をさし、それぞれ殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くすことを意味する漢語である。(北方漢語で「~光」という接尾詞は「~しつくす」という意味になる。) 日本の資料には燼滅作戦等の名称で記されている。日本では撫順戦犯管理所等に収容され後に解放された中国帰還者連絡会が1957年に発行した『三光』からこの「三光作戦」という呼称が広がったとされる。


:続々はだしのゲン|中島康治と高知市から日本を考える会
http://ameblo.jp/tinmiena/entry-11382889012.html
日教組の圧力?教育委員会の腑抜け回答。はだしのゲンを図書室から撤去せよ!!
http://zaitokuclub.blog.fc2.com/blog-entry-127.html
再び「はだしのゲン」を斬る
http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/49881884.html
松江の「はだしのゲン」閲覧禁止は在特会系活動家の圧力によるものと判明 「反日捏造極左漫画」と糾弾
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1376646349/



『はだしのゲン』の名場面


直江津駅リンチ殺人事件 - Wikipedia

直江津駅リンチ殺人事件(なおえつえきリンチさつじんじけん)とは、1945年(昭和20年)12月29日に新潟県中頸城郡直江津町(現:上越市)の国鉄信越本線直江津駅で発生した殺人事件である。
写真当時の列車の混雑
※この写真は事件とは直接無関係である。

事件の概要
1945年12月29日午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄(現:JR)信越本線黒井駅に到着した。3人組の在日朝鮮人の男が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客(当時29歳のセールスマン)に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。
列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、「朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!」と叫び、その男性を直江津駅のホームに引きずり降ろした。 3人組は駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。
警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した。

犯人
犯人は3人とも在日朝鮮人で、戦時中は工場に勤務していたが、終戦後は闇米ブローカーに転身した。事件当日も農家から米を買い集め大阪方面に売りに行く途中であった。

その後の顛末
犯人の在日朝鮮人3人は殺人の容疑で検事局に送られたが、まもなく逃走し行方知れずになったため、司法で裁かれることはなかった。

参考文献
『新潟県警察史』(新潟県警察史編さん委員会 1959年)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E6%B4%A5%E9%A7%85%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6



山口組三代目 「田岡一雄自伝」 1982年 徳間文庫

一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。「どないしたんや」「おかあちゃんが、おかあちゃんが」少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。

この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。「ここにいるんやで。ええな」私は少女をその場において一目散に走った。

少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服(朝鮮人)の男たちだった。

通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のどん底に叩き込まれた。

こういった不良分子(朝鮮人)は旧陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげたかれらの略奪、暴行には目にあまるものがあった。警官が駆けつけてきても手も足も出ない。

「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。玉音放送ののち、今まで同じ日本人として権利を享受してきた朝鮮人の態度がガラリとかわり、敗戦の責任を日本人とともに背負うのを拒否しだし、それを正当化するために日本人に牙をむきはじめる。隣組み組織や防空演習等いっしょにやってきて同じ日本人として助け合っていたのに、この変わりように、初め祖父は「冗談だろ?」と思ったらしい。

しかし、事は悪夢以上だった。集団で土地をロープで囲み、バラックを建てていた家族を殺害し占拠する。白昼、商店を襲い、商品を根こそぎ奪いそれを闇市で売りさばく。

バスや列車に無銭で駅員を殴り倒し、どかどか乗り込み、網棚の荷物を外に放り投げ、そこで高いびき。警官狩りをして堂々と殺す等等。祖父曰く「町は彼らの遊び場になった。日本人は逃げ惑うだけになった。

朝鮮進駐軍(三国人)
http://ccce.web.fc2.com/ti.html


【戦後の第三国人の犯罪】

韓国と私 若い世代に感じる手応え 日韓経済協会長 瀬戸雄三さん

 韓国が好きではなかった。敗戦直後の焼け跡、神戸で貿易会社を営む親類の所有地1500坪が在日韓国・朝鮮人の掘っ立て小屋に占拠された。火災が起きても鎮火と同時に別の小屋が建ち、取り返せない。 「韓国人の友達もいたが、偏見はぬぐえなかった」


【新・関西人国記】大阪マルビル会長 吉本晴彦さん(78)<3>

 復員したものの、大阪・梅田はバラックが立ち並ぶ闇(やみ)市。ご先祖さんの土地に勝手に家を建てられて、あずかり知らん借地権やらまた貸し権やらが百二十件も発生しとる。今では想像もつかんが不法占拠は民事でしか片付けられん時代やった。

 一人ひとりと話して金を渡して出ていってもらったが、けん銃片手に「戦争に負けたんやから、おまえの土地やない」と押しかけるやつまでおった。


北朝鮮を単独制裁せよ  志方俊之 日下公人  

日下 いま上野や神戸に朝鮮の人がたくさん住んでいるのは、終戦直後に不動産の「即時取得」をしたからです。

日本が空襲で焼け野原になると、自分の息子が戦地から帰ってきたときのために、街のあちこちに父・母の疎開先名を記した看板がたっていました。その看板が立たない土地は一家全滅の印で、そこに朝鮮人や台湾人が家を建て、店を出して住み着いた。



はだしのゲン、標準語に 「広島弁、怖い」の声
http://kyoko-np.net/2013032201.html





広島原爆テーマの漫画、インドでヒンディー語版刊行 
2013.8.7 09:00
写真6日、インド・ニューデリーで、漫画「夕凪の街 桜の国」のヒンディー語版を手にする菊池智子さん(共同)

 インドの首都ニューデリーで6日、広島原爆をテーマにした漫画家こうの史代さんの作品「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」のヒンディー語版の出版記念会が原爆の日に合わせて開かれ、インド人の若者ら約80人が集まった。

 作品は広島の原爆投下から約10年後と現代に生きる2人の女性の日常を通して原爆の傷痕と家族の絆を描いた物語。2007年に実写映画化もされた。

 ヒンディー語版は、インド在住の翻訳家菊池智子さんが地元の出版社と企画を進め、国際交流基金の支援で実現。福島市出身で東京電力福島第1原発事故を受けて出版への思いを強くしたという菊池さんは「核兵器を持ち原発を推進しているインドでも、若者や子どもたちに原爆の恐ろしさが伝わると思う」と述べた。

 作品を読んだ男性のサンケットさん(22)は「広島の人々の苦しみが作品から伝わってきた」と話した。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130807/asi13080709020003-n1.htm

「はだしのゲン」より、こうの史代さんの漫画をお薦めします
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1426.html#sequel

論説委員長・中静敬一郎 インドの原爆追悼と品格






ベトナムの博物館 原爆資料館に戦争の画像集
12年6月11日

 ベトナム・ホーチミン市の戦争証跡博物館が、広島市中区の原爆資料館に、ベトナム戦争での枯れ葉剤による被害を伝える画像集を寄贈した。

 戦争中に米軍がまいた枯れ葉剤の影響とみられる障害児の姿や、枯れ野となったマングローブ森の写真に解説を添えた53枚。博物館のフイン・ゴック・バン館長(49)が、ベトナムを訪れた広島の関係者にCDとパンフレットを託した。

 博物館では2002年、広島の被爆者団体などが原爆展を開催。当時副館長だったバン館長は、長期的な苦しみをもたらす原爆と枯れ葉剤の共通性を感じたという。バン館長は「親交を深めるきっかけになればうれしい」と話す。

 原爆資料館の前田耕一郎館長(63)は「広島への思いはありがたい。一緒に平和を目指していきたい」と話していた。画像集は館内の情報資料室で公開する。(教蓮孝匡)

(2012年6月9日朝刊掲載)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20120611101222663_ja





原爆ドーム:耐震性調査始まる…広島
毎日新聞 2013年05月13日 

 広島市中区の世界遺産・原爆ドームで13日、耐震性調査が始まった。昨年度同市がコンピューター解析して揺れに弱いと診断された部分の壁面をくりぬき、補強が必要か判断する。壁をくりぬいての耐震性調査は初めて。

 コンピューター解析では、南海トラフ地震で想定される震度6弱では、建物が倒壊することはないものの、両翼の4壁面に負荷がかかりやすいとされた。今回は壁面15カ所に直径5~20センチの穴を開け、壁の強度を調べたり、過去の補修工事で注入した樹脂の状態などを確認したりする。

 この日は工事の足場を組む作業が始まった。落下防止のためドームの一部はメッシュのシートで覆われる予定で、見えにくい状態になる。実際に壁面に穴を開ける作業は6月上旬ごろ。調査は7月26日までの予定。【高橋咲子】

http://mainichi.jp/select/news/20130514k0000m040047000c.html
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