「1000万人移民受け入れ構想」民主党若手の共同提案

2006年04月10日 | 政治 経済
月刊『Voice』2003年9月号掲載
「1000万人移民受け入れ構想」

       浅尾慶一郎(参議院議員)
      大塚耕平 (参議院議員)
      細野豪志 (衆議院議員)
      古川元久 (衆議院議員)
      松井孝治 (参議院議員)
      松本剛明 (衆議院議員)

では、第一の提言をしよう。
 われわれは「一○○○万人の移民受け入れ」を提案する。
 近い将来で、われわれが真っ先に取り組まなければならないのが、先に述べた人口減少の問題であろう。
 報道では、年金の財源がなくなるとか、若年サラリーマンの給与は膨らんだ老人たちを養うことにほとんど費やされてしまう、といった計算ばかりにやや偏り気味ではあるが、ほかにも、マーケットの縮小による購買力の低下や土地価格の下落、国際社会での存在感や発言力の薄れといった変化が予測されている。
 日本の人口は、二○○六年をピークに、そこからは毎年約六○万人ずつ減少していく。六○万人という数字を都市に置き換えると、だいたい新潟市一つ分、二年で仙台市一つ分ということができるだろう。つまり、二○○七年から日本は毎年、新潟市一つ分の人口がボコリボコリと抜け落ちていく計算である。われわれは人口の自然減に任せるべきか否か。選択の時を迎えているのだ。
 その一方で野放図に流入する外国人とのあいだには治安問題を含め摩擦が高まる可能性も高く、一定のルールづくりという点からも、一度きちんと指針を示すべき問題であることは間違いない。
 外国人大量受け入れと聞けば、即座に反発を覚える読者も多いかもしれない。少なくとも漠然とした不安を感じる読者がほとんどだろう。それはやはり外国人による犯罪の増加や「日本的」な風俗・習慣が失われることを想起するからなのだろう。
 だが、現在日本が抱えているさまざまな流入外国人による問題は、むしろ徹底した一つの方針や政策をもたず、建前としては厳しい入国管理政策を維持しながら、現実にはなし崩し的に不法な外国人の流入を容認してきたことに起因するのではないか。言い換えれば、これまで積極的にコミットしなかったがゆえの弊害とも考えられるのだ。
 門戸を大胆に開く一方で、従来とは画然と違う体制で出入国を管理し、不正な流入をいっさい排除する。ただし、正式なルートを通じて受け入れた外国人に対してはきちんとしたサポート体制を整える。つまり、曖昧で一貫性を欠いた従来の移民政策に、目に見えるメリハリをもたせることをその最低条件とすべきだと考えられる。



 一部では日本社会のホワイトカラーの生産性の低さが話題になっているが、日本のホワイトカラーを刺激して活性化させるという作用も、この移民受け入れ構想は期待しているのだ。また、日本人の弱点ともされる「起業」においても、外国人プレーヤーの参加は大きな起爆剤としての役割が期待できる。

 優秀な人材が海外から移り住み、日本で事業を起こして成功させる。そうなれば当然そこには雇用も生まれる。大切なことは、こうした移民起業家たちが、最終的に日本に定着してくれるのかどうかであろう。

 残念ながら、現在の日本に対する外国人の評価、とくに高い技術を身につけた外国人の評判はけっして芳しくない。その理由の大きなものの一つにこんな問題がある??「日本では平等にチャンスが与えられていない」。技術や努力がきちんと報われないという意味でもあり、本当の競争原理が働いていないという意味でもある。

 これまでも多くの留学生を受け入れているにもかかわらず、日本で話題になる外国人起業家もほとんどなく、概して留学生の評判も悪いのが日本の現状である。一方、アメリカなどでは、中国人やインド人を中心に多くのサクセスストーリーが生まれ、一般にアメリカでの定住を望む留学生が多い。この一事をもってしても、彼我の差は歴然であろう。

衆参二院制を破壊せよ

 じつはこのことは、外国人の不幸である以前に、日本人にとっての不幸であることに日本人が気づいていない。

 われわれは「ネオ・ジパング構想」を位置づけるにあたり、誰もが自己実現できる国という言葉を用いた。それは、風通しがよく、時代の移り変わりにも敏感に対応できる体制下でなければ実現困難な目標であることはいうまでもない。

 第二の提案は、ダイナミックな改革を可能とするための制度の改革である。

 ここで、一つ思い起こしてもらいたい。日本にもかつて大量の外国人を受け入れ、飛躍的な発展を遂げた時代があったということを。
 細かい説明はここでは省くが、弥生時代には朝鮮半島から亡命者を中心に大量の外国人が日本に流入し、その彼らがもたらした稲作などの技術により急速に発展を遂げたという歴史があるのだ。

 いまこそ、風通しをよくすることで外国から運ばれてくる人材や技術によって、金属疲労を起こしている日本の空気を一変させるべき時期なのだとわれわれは考えるのだ。

さて、では改革の中身に移ろう。

 われわれは最初に、現在ある立法府の中身にメスを入れたいと考えている。具体的には、現在の政治システムの在り方を見直し、それぞれの役割を明確化する方向で政治家の役割を位置づけたいと思う。

 全体として国会議員の数を大幅に減らして、これまで与えられていた役目を画然と分けてしまうことが骨格である。道州制を中核とした抜本的な地域主権国家の形成が基本だが、ここでは中央政府、とくに議会の機能に論点を絞ろう。

 法律をつくる「立法院」と行政を監督する「監査院」に二分。もちろん現在の衆議院、参議院という二院制を壊して、まったく新しい制度を確立するのだ。とくに監査委員のほうは人数を最小限にして、ひたすら監査に専念させる。たとえば立法院委員三○○名、監査院委員一○○名程度。

 両者はまったく違う仕事に従事するので、人事的交流もむしろ遮断する。あるときには立法委員として法案づくりに携わり、あるときには政府の仕事を監督するという、矛盾し利益相反を生ずる二役をこなすこともなく、国民から付託された仕事がより明確になる利点がある。

 一方、立法委員はいまよりむしろ旗幟鮮明に政府と歩調を合わせて仕事をすることができる。世界でも稀な政府・与党の使い分けと曖昧な責任分担はこの際廃止し、政府与党を一元化することによって、議論百出して何も決まらないといった現在のような状況は打開できる。

 内外情勢が時々刻々激変し、技術やシステムも目まぐるしく変わり、社会や体制がそれに応じて機敏に反応しなければならない時代にあっては、阻害要因を早期に除去したり、新たに必要な措置や対策を講じたりしなければならない。それに順応できる体制づくりは必然であり急務だ。実際、イギリスではこの方式がスムーズに機能している。

 だが、その一方で歯止めとなるシステムも不可欠だ。ブレーキの役割は、監査委員が政府の行なう施策を徹底的に事後評価し、政策の効果を検証すること、政府の行き過ぎをチェックすることにより果たされる。

「ナショナルミニマム」の終焉
 リーダーシップの強化と国民によるチェックの強化を両立する制度としては「首相公選制」の採用も検討に値する。首相公選を実現するとともに、任期途中で選挙の洗礼を受けるような制度設計を導入すれば、トップはとりあえず自分がめざすべき政策をスピーディーに実現し、国民にはそれが鮮明に見える。少なくとも、掲げた目標が部会や国対で妥協を重ねた結果、骨抜きにされてしまうといった問題は、このシステムでは起こりにくいといえよう。

 首相はもちろん、大臣や次官・局長など官庁の重要ポストも、政治による任命で行なうべきだろう。その意味で首相公選は、首相個人だけでなく政権を担う人材がワンセットで問われることにもなる。こうした人事制度改革が行なわれてはじめて、鈴木宗男氏問題に見られるような権力の二重構造、官僚と族議員の結託のような現状が是正されるのである。

 また、このシステムは全国自治体にも同時に導入される。自治体の現状からすれば、国政にも増して思い切って議員の数を減らすこともできるだろう。そのうえで、監査委員の公選制も考慮すべきである。


月刊『Voice』2003年9月号掲載「1000万人移民受け入れ構想」
http://www.matsui21.com/media/03/08_10voice.htm
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