現役職員が匿名告発! こんなに杜撰だったJデビューの制作現場

2009年07月02日 | メディア・芸スポ
現役職員が匿名告発!
 こんなに杜撰だったJデビューの制作現場
   NHK放送総局職員X

準備不足で"突貫"制作

 あの番組NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」の第一回、「アジアの"一等国"」が放映されたのは四月五日の夜でした。新生NHKを象徴する番組として鳴り物入りでスタ下トした大型ドキュメンタリーでしたが、親日の台湾を反日と印象づける一方的な内容だったことは、今さら言うまでもないでしょう。

 NHK内部でも疑問の声が多く、放送直後から各職場で「これ、やばくない」「やりすぎだよ」といったささやきが漏れました。案の定、視聴者コールセンターには抗議の電語やメールが殺到。その数は三千件を超え、NHKが最もカを入れるNHKスペシャルとしては、前代未聞の抗議の嵐となったのです。

 私自身、番組づくりで外部の有識者や専門家らと話をする機会が多いのですが、「NHKはどうしちゃったの」などと何度も言われました。

 何故、あんな番組をつくってしまったのかー。「日台関係を離間させるつもりか」とも、「中国共産党の宣伝工作の片棒を担ぐのか」とも批判されましたが、私の知る限り、そんな大層な目論見があったわけではありません。ディレクターの意識の低さと取材のお粗末さ、上層部のチェックの甘さという、極めて次元の低い問題でした。要するに、いい加減だったのです。

 そもそもこの番組は、じっくり練られたものではありませんでした。相次ぐ不祥事発覚で、二十年ぶりに外部から福地茂雄氏(元アサヒビール会長)がNHK会長に招聰されたのが昨年一月。この会長の下で、目に見える改革方針を打ち立てなければと新経営計画が策定されたのが昨年十月。
 大型番組の制作を謳ったこの経営計画に基づき、プロジェクトが本格化したのが今年一月ごろ。以後、わずか三カ月余りで第一回「アジアの〃一等国〃」は放送されました。

 NHKは六月十七日、批判に対する説明をホームページに掲載し、その中で「日本統治五十年を記録した二万六千冊の『文書』を丹念に読み解いた』などと説明していますが、明らかに嘘です。どんなに手分けしても、その百分の一の文書も読み解けなかったでしょう。せいぜい、背表紙を数えたりパラパラめくった程度だったはず。準備不足のまま"突貫工事"でつくられたのが、あの番組でした。

 番組を直接制作したディレクターは以前、大戦末期の台湾航空戦に関するドキュメンタリーを手掛けたことがあり、台湾について全く無知だったわけではないようです。とはいえ、台湾の事情に精通していたとも聞きません(精通していたらあんな番組はつくらなかったでしょう)。

 聞くところでは、スタッフら関係者が熱心に読んでいたのは小林よしのり氏の「台湾論」ぐらいで、そのマンガ本は今もプロジェクトルームの本棚にあります(もっとも「台湾」とは似ても似つかない番組でしたが)。

PDは恣意的編集の常習犯

 このディレクターには、何でも自分が決めたとおりでないと気が済まない、思い込みの激しいタイプだとの悪評が以前からありました。

 ドキュメンタリーには、構成表というのがあります。映画やドラマの台本のようなもので、まず粗構成(粗い筋書き)をつくり、それに沿って取材や撮影が進められます。当然、実際の取材にはハプニングがつきもの。想定した構成と現実が全く異なっていたり、識者のコメントが見当外れだったりすることは頻繁にあります。

 そんな時には構成を修正し、現実に即した番組にしていくのが一般的なのですが、彼はそれを嫌い、最初に決めた筋書きに拘泥する傾向がありました。
(以下、略)
『正論』8月号
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1111906/




日清戦争─「国民」の誕生
2009-04-05

きのうNHKで「プロジェクトJAPAN」というシリーズの「プロローグ」を放送していた。スペシャルドラマ「坂の上の雲」を中心として、日本の近代史を追う3年もの長大なシリーズだ。プロローグだけで2時間半もあるが、資料フィルムで「平和主義」を説教する退屈な内容なので、途中で消した。

今どき、司馬遼太郎で近代史を語るセンスはいかがなものか。日清・日露戦争までは日本がアジアを指導した栄光の歴史だが、1930年代以降は軍が暴走した、という彼の歴史観では、日本の近代を統一的にとらえることはできない。軍だけを悪者に仕立てるご都合主義は、いまだに大江健三郎氏のような幼稚な歴史観として根強く残っている。

こうした歴史観を「自虐史観」として批判し、近代を「国民の物語」として描こうとしたのが「新しい歴史教科書をつくる会」の人々だったが、彼らは逆に司馬史観の栄光の歴史の延長上で昭和の戦争を描いただけだ。よくも悪くも、司馬史観の呪縛は強い。

最近はそうしたイデオロギーから距離を置き、ミクロな事実を拾い上げる「社会史」的な研究が多い。本書もその一つで、「国民意識」の形成をメディアから見たものだ。研究としては目新しくもないが、メディアがナショナリズムの形成の主役だったという事実は再確認する価値がある。著者もいうように、日清戦争は近代国家としての日本が誕生する「巨大な祝祭」だった。それを主催したのが軍だったことは確かだが、祝祭を演出したのはメディアである。

日本がなぜ勝ち目のない対米戦争に突っ込んでいったのか、というのは近代史の最大の疑問だが、最近の研究ではメディアの役割を重視するものが多い。二・二六事件のような軍事クーデタについても、当時の新聞は圧倒的に青年将校に同情的だった。対米戦争についても、軍の中枢では慎重論もあったのに、新聞は一致して主戦論だった。あの「空気」を読むと、対米開戦に反対することはむずかしかっただろう。

今も昔も日本のメディアに共通する特徴は、多様性の欠如である。かつて新聞が軍を絶対に批判しなかったように、今はテレビも新聞も総務省の電波政策は絶対に批判しない。それを批判する(私のような)者はブラックリストに載せられ、大手メディアには執筆も出演もできない。このような言論統制が破局的な結果をもたらすことは過去の歴史で明らかだが、その教訓も学ぶことのできないNHKが近代史を説教するのはおこがましいというしかない。

JAPANプロジェクト (池田信夫)
2009-04-05 19:22:39

というシリーズが20年ぐらい前にあり、私も参加しました。こんな漠然としたタイトルがつくのは、企画が絞り込めなかったからで、散漫な内容になることが多い。この種の大型番組は、「受信料をこんなにたくさん使ってますよ」と宣伝するために必要で、特に海外取材を多用するのが特徴です。今回のシリーズも「国際的な視野から見る」と称してあちこち海外取材していますが、私の経験でいうと、こういうのはハッタリとしては効果があるが、中身は薄くなります。今度のシリーズも、旧態依然の歴史番組をつなぎ合わせた印象はまぬがれない。

池田信夫 blog
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/df5c66807f3b8daa18265b4fe1d92714






台湾人出演者ら、NHKに抗議文
【7月4日 産経新聞】

 NHKスペシャル「シリーズ JAPANデビュー 第1回『アジアの一等国』」(4月5
日放送)が偏向している問題で、出演した柯徳三(か・とくぞう)さんら台湾人が3日、
編集の偏向、歪曲(わききょく)がうかがえる」とする抗議文を、福地茂雄・NHK会長
あてに郵送した。放送法は、放送後3ヵ月以内に、出演者などから放送局に請求があった
場合、局が調査し、真実でない場合は訂正放送するよう定めている。
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NHK番組「JAPAN・デビュー」に対する抗議と訂正を求める文書

 去る4月5日に放映されました「JAPANデビュー・アジアの一等国」では、台湾で
の取材で、多くの意見が出たにもかかわらずそれを公平にとりあげていなく、編集の偏向、
歪曲がうかがえます。

 ことに下記の四つの点の歴史解釈については、間違いであるとして此処に抗議と訂正を
要求いたします。

1、人間動物園
  これは当時の白人の優越感から生れた言葉ではあるが、バイワン族の正装した写真
 を「人間動物園」と字幕つきで紹介するのは、不適切である。高士村の人々は、今でも
 これを村の栄誉としており、英国へ行った村の人々は、非常に優遇されていた様子が、
 1910年台湾総督府発行の「台湾日日新報」9月29日と30日付けの1面記事に詳しく記載さ
 れている。彼等の踊りは後に旧制台北高等学校で毎年の記念祭でも、圧巻のショーとし
 て披露されている。パイワン族に対する人権問題である。

2、日台戦争
  戦争という言葉は、この場合不適切である。清国が台湾を日本に割醸して日本領台当
 初は台湾における反抗は強かったが、それは戦争ではなく「武装抵抗」という表現にす
 るべきである。

3、漢民族
  台湾では、戦後大陸から逃げてきた中国人を除いては、自らを漢民族と思うより、台
 湾人と思っている人間が圧倒的に多い。番縄で漢民族と強調することは、DNAも漢民
 族とは異なる台湾人に対して恣意的な解釈を押し付けられる感を免れない。ここ二十年
 間、台湾人としてのアイデンティティーが根付いてきて普及している現在、今更なぜ
 「漢民族」を強調するのか疑問に感じる。

4、中国語
  当時台湾の人々が使っていたのは、所謂台湾語と呼ばれている●南語、それに客家語
 と、先住民族の各部族の言葉であり、決して中国語ではない。なぜ、( )までつけて
 (中国語)と説明するのか不可解である。

 以上の四つの点を特に、NHKに対して抗議し、訂正を求めます。

           台湾台北市●●●●●段●号●  柯 徳三 (印)
                            2009/6/15

*文中「●南語」(びんなんご)の●は「門の中に虫」です。


柯徳三氏のNHKへ「抗議と訂正を求める文書」全文
http://www.melma.com/backnumber_100557_4520870/
台湾・友愛グループの「NHKへの抗議と訂正を要望」全文
http://www.melma.com/backnumber_100557_4526704/
パイワン族の方々がNHKに送った「公開質問状」全文
http://www.melma.com/backnumber_100557_4530265/







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蛮地を近代化した日本人の神技
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     明治37年ロンドン・タイムス

<1904{明治37}年9月24日、ロンドン駐在の日本台湾殖民経営のレポート
を担当するタイムス誌の特派記者のレポート:極めて短い時間で、他の
民族が出来なかった「険悪な野蛮地を近代化」に成功したのは、感嘆す
べき神技! すべての殖民国家の典範である。>NHKはこれをよく読
め。

芸術作品の完成には3つの要素が必要である。生まれながらの才能、綿
密な対応と経験である。 殖民の芸術にも例外は無い、ドイツ人はその
殖民地経営の過程で、試みに失敗した。

綿密な対応にも拘らず、天性の才能或いは経験に乏しかったかを問わず、
現実問題として最初の芸術作品は失敗するのが当;然である。ドイツ人が
その殖民地経営に失敗した原因でもあろう。

多くの殖民国家は日本人の最初の殖民地経営の試みに興味を持っていた。
特に荒涼、陰険な野蛮地(訳者註:清朝は台湾は鳥鳴かず、花香わず、
男は強盗、女は売女、とまで蔑んだ)を「最初の殖民地」とする日本の
経営が多くの殖民国家が抱えている解決不能な諸問題を克服したのは、
特筆に価する。

台湾はシナ及び諸外国の無法者が逃げ隠れる巣窟であった。環境は険悪
で無法者の住民達は、度々来た外来侵略者に殖民の機会を与えなかった。
スペインもオランダも台湾の殖民を試みたが、失敗し放棄した。

清朝(訳者註:漢民族というシナ人ではなく女真族、満州族の王朝、即、
通称のシナ人が満州人に征服統一された王朝史実である)の入殖後も事
実上この土地を放置し、その荒涼な無法者天国を放任状態に置いた。

フランス人も英国人も台湾への攻略は簡単であったとはいえ、この険悪
な荒廃蛮地に長く留まる事は無かった。

野性の薫陶

日本人が日清戦争の終結で台湾島を所望した時、清朝は寧ろ喜んだであ
ろう。清朝の宰相李鴻章(総理大臣)は其の所望を諷刺して、曰く「日
本はやがて、台湾を割譲したのは、非常に悪い取り引き、と後悔するだ
ろう」。

日本人が台湾島に上陸した時の台湾は、海岸沿岸は海賊の蟠踞でコント
ロールされ、内陸では険悪な無法住民に制御されているか、部分的には
土匪武力集団の犯罪組織の制圧下にあった。 

彼らは海難の難破船又は航海中の船舶が島に接近の際に襲撃し殺害、略
奪を繰り返した。清朝が台湾島を領有していた間に、米国を始め、諸外
国の多くの紛糾クレームはこの海賊行為であった。清朝はこのトラブル
メーカの台湾を日本に割譲することを喜んだであろう。

日本は台湾島を完全掌握するに約1年の時間を費やした、1896年3月31日
にこの野蛮地を文明の管轄下に治めた。しかるに、この島に在任してい
た清朝の官吏と現存地位を失う恐れを持つ旧官吏達は島の無法者と組み、
新しい統治者の日本に反抗抵抗した。ましてや、この島は元来常に不安
定な動乱状態にあったので、日本軍隊の掃討作戦で1902年にやっと平定
された。

法律執行下の寛容

日本統治下の数年の平和は、険悪な住民達の行動と精神面での顕著な変
化を齎した。日本の統治に理解、賞賛又は恩恵を感ずるにいたった。即、
日本の非凡な成功は住民の偏見を尊重し、温和な指導を行い、高圧的な
威嚇を避け、台湾の住民を文明の道へと導いた。

例えば、日本人は台湾に古くから伝わる補助性質の「義警」組織を保留
した。この組織は清朝統治下には民間人が土匪の略奪、火災、洪水や其
他の天災地変にお互いに助け合い、身を守る仕組みであるが、この仕組
を通して新しい日本の法律を住民に伝えた。

当時の法律は台湾に移住した日本人の為に有った。この新法律は文明に
疎い住民達に即刻理解と受け容れられる物ではない。必要程度の手直し
は、過度期には必要であり、住民の尊敬を勝ち得た。

アヘン患者の治療

台湾在住の日本人アヘン使用患者は、其の事情により、牢獄刑罰を受け
るが、台湾人患者の刑罰は無かった。アヘンの使用量を逐次減少する原
則下、最終的には使用を断ち切る意味で、日本政府はアヘン販売を「専
売制度下」に置いた。アヘン使用が法の許可するものであるが、使用禁
止の方向原則をも、併用した。

アヘン患者と認定された者に限りアヘンを購買できるが、厳しい監視下
に置かれた。極少量の供給制度で販売店制度のライセンスが与えられ、
警察の監視は現在の使用者と使用者が増加しないよう、厳しく取り締ま
った。

同時に道義上の教育と管理が併用された。医師は不断にアヘンの害を説
明し、学校でも教師がアヘンの習慣性の邪悪が身体と人生そして道徳的
な害を使用者に強制すると広く教育した。

当時の人口は約300万人で、1900年に169,064人のアヘン使用患者がいた。
1902年3月末には152,044人いたが、これはすべて登録した使用ライセン
スを持っている。

減少した17,020人は死亡かアヘンの使用を断ったものである。アヘン使
用人数は懸命な政策下で、急速に減少している。やがては撲滅されるで
あろう。

1900年のアヘン輸入金額は3,392,602日本円が、1903年には1,121,455円
に激減した。政府収入面で云えば、アヘンの制限政策は歓迎されない政
策である。即、国の収入が減り、政策の推進に費用の支出が増加するた
めである。

日本政府は住民の宗教や風俗に干渉して感情を害する事無く、他の方面
で、多くの改革改善を行い、事実上、日本の統治が良いと実証すよう努
めた。

先ず、法を守る仕事人は最早土匪や強盗集団の暴威の威嚇を受け無くな
った。公正な政府の統治下で、自由も有り、住民達の身体の健康にも、
益する福祉建設も多く施された。

この島は流行性疾病に悩まされていたが、主因は不浄不潔な飲用水にあっ
た。日本人は大幅な改善を行った。浄水の供給である。当時の台湾には
深堀井戸又は自噴井戸は無かった。 新しい井戸の数字資料は無いが、
台北地域人口の一割程の800個の井戸が掘られた。

学校制度の革新

教育は進歩の始まりである。日本人は素晴らしい学校制度を台湾に導入
した。日本人の子供のための学校は60人の教師と2,000人の日本人学生が
いた。台湾本島人のためには130校の小学校があり、521名の教師、そし
て、18,149人の本島人生徒がいた。これは、現地人を文明文化人へと導
いた始まりでしかない。

日本人はこの程度の改革に満足せず、最善の教育を台湾に敷く事に尽力
した。医学の専門学校と日本語普及のための日本国語学校又は、教師養
成に師範学校を創り始めた。

台湾の医学専門学校は素晴らしい声誉をかち得た。遠東地区の唯一の、
現代科学過程を学び、医学を実習する医学専門学校が台湾の住民に与え
られた最初の学校である。校舎は台北に有り、師質充分な教授の指導下
で、約150名の台湾の学生が医学の専門教育を受けている。

日本語国語学校は2つの目的がある。島民の日本語普及と日本人が現地
の言葉を学ぶ事である。(訳者註:シナ人が1945年に台湾を占拠した後、
北京語を強制し、すべての台湾現存言語の使用を禁止した。

これは、時効の無い、戦争犯罪行為である。台湾人はこの歴史を明記す
べきである。また、台湾のホーロー語をローマ字で書いたキリスト教の
バイブルを捜査燃やしたのは、侵略者の地方文化の破壊行為としての戦
争犯罪である)。これ等の人材は島民の教師となり、また日本人の通訳
として活動した。

個人の幸福とは暴力を受けない健康な身体の安全の他に、繁栄もまた重
要である。日本人は其の新しい植民地の台湾人に繁栄を齎した、又、其
の繁栄は確実に継続するだろう。

鉄道交通網の建設

日本人が台湾を入手した時点に鉄道と言えるものは無かったが、不思議
なことに、使い物にならい短い鉄道は有った。建造がお粗末なうえ、管
理運営はは話にも成らない。切符値段も貨物の運送料も毎日変動するう
え、運転ダイヤも無い。お都合次第で走行する実情であった。

日本人は台湾の実情と基本的な需要を見極めた後、各地鉄道建設の計画
に着手した。先ずは、地図上で鉄道建設の全般計画を建てた。予算は日
本円28,800,000円、英国ポンドに換算すると3,000,000ポンドであるが、
当時は目玉が飛び出る程の膨大な金額である。

元来の古い鉄道を完全に立て直した。新しい建設は、新竹から高雄の鉄
道は南北両端から、最大の努力で建設が始められた。1897年から1903年
の間に95マイルの新鉄道が完成された。37箇所の駅と、210車両の貨物車
と客車、そして、20両の機関車も整備された。

この間の鉄道の成長は目覚しく、乗客数は4倍増え、貨物の運搬量は10倍
も増えた。このほかに、数ヶ月の短期間で、軽便鉄道が敷かれた。先ず、
125マイル敷かれ、次に、52マイルが建設中という具合に敢行された。

郵政、電報と電話業務も引き続き成功を収めた。1896年から1902年の間
に87箇所の郵便局が全島で、一斉に営業を始めた。1902年の業績は
13,285,105件に上る手紙と葉書、114,779件の小包みを扱い、為替送金も
336,207件あった。 

電報線も1896年の900マイルから1902年の2600マイルに急成長し、平行し
て、電話線も1902年の1350マイルで、通話記録も3,690,228通と近代化へ
の躍進である。

日本人入殖時の台湾産業は時代遅れの不合理方式であった。科学的根拠
とか成果の検討等に関心も無く、其の知識さえない。

台湾の住民たちは伝統的な大自然の恵まれた環境下での慣性に始終する
のみで、付加価値の観念も能力もなかった。確かに、天の恵みで、1期
作、2期作そして3期作の恩恵はあったが、その収穫は耕地面積と比例
せず、また収益も充分では無い。

日本人は改良改革方法を導入し、米作の生産量は1896年から1902年には
10%増加、お茶の生産量も5倍に増加、そのほかの農産物は、例えば、砂
糖、芋、砂糖キビ、苧麻、黄麻、ウコン(生姜類台湾で姜黄とも呼ばれ、
香料、染料の原料)も大幅な増産記録を記した。

巨大な森林も充分に利用活用されていない。島民たちは可也な資源浪費
をしていた。例えば、クスノキから樟脳を抽出する過程で、樟脳油は廃
物と看做されていた。日本人の改良案が実施された後の成果は、樟脳生
産は1897年の1,534,596斤(台湾斤は600g)から、1903年の3,588,814斤、
樟脳油は1897年の638,603斤から1903年の2,670,561斤と激増した。

鉱業も又しかりである。極めて原始的な「掘る」に過ぎず、不経済で、
投入の動力に採算を無視した単なる「掘る」故に、成果は微弱であった。

日本人は辛抱強く、温和な態度と強い堅い信念で台湾人をよく教え導い
た。幅広い分野で改革の成果を上げた。特に田畑の収穫は増加し、森林
も科学方式が実施され、数百万株のクスノキも正しい場所に植えられ、
鉱業も入殖の初期で大きな成果進歩を遂げている。

(ロンドン・タイムス 1904(明治37)年9月25日)日本語訳 陳辰光
(検索・提供:藤原徳太郎氏)

http://www.melma.com/backnumber_108241_4530267/



 3)若い人にはこのサイトを読んで、世の中の動きを判断するよう
薦めています。

1593号の明治37年(1904)ロンドン・タイムスの記事を拝見しました。

NHKの偏った特集番組を観たときに、私が最初に思い浮かべたのは、
1994年にプリントされた台湾奇美実業董事長 許文龍氏の書かれた「台
湾の歴史」という小冊子です。

これは、ロンドンタイムズの記事が書かれてから25年ほど経た台湾で生
まれ育った方が書かれたものですが、ロンドンタイムズ記者の目の確か
さが偲ばれます。 

許氏は戦前の日本統治下の台湾で生まれ、終戦時17歳でした。工業高校
を卒業されてから自営の会社を興し、合成樹脂関連の巨大企業に育て挙
げた実業家です。

第4回日経アジア賞経済発展部門賞を受賞された方です。
 
この冊子は、氏が社員教育講座で「奇美の発展史と私」というテーマで12
回に亘って講演された内容の一部が骨子になっています。冊子100ページ
ほどのものですが、内容は次のような構成になっています。

1.「台湾の歴史」(含 序文)
 (400年さかのぼる台湾の歴史の要約 ? 原住民時代、オランダ 統
治時代、鄭成功時代、、清朝時代、国民党政府時代(蒋介石・経国 時
代)、李登輝時代 を日本統治時代と比較している)

2.植民地時代と今日の台湾の比較
3.第4回日経アジア賞経済発展部門受賞者 受賞挨拶文
4.素晴らしい日本人
5.危機は危機にあらず「転機」なり!
6.許文龍プロフィース 

全文を紹介できないのは残念ですが、日本人として生まれ、十代は日本
人として過ごし、途中から台湾人として再教育されて起業して成功され
た方の話は説得力があります。

NHKのプログラムとは全く違う実態が感動的です。

なおこの冊子は、旧同僚(団塊の世代)が許氏の企業に再就職した際に、
奇美社から渡されて読み、感動して私に譲ってくれたものです。(中村)

http://www.melma.com/backnumber_108241_4531012/


袋井の偉人「鳥居信平」 エコ先駆け『奇跡』のダム 再評価され台湾から胸像
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