日米中韓台、歴史教科書比較~戦争賛美せず、愛国心あおらず、日本は最も抑制 ー スタンフォード大学教授

2008年12月19日 | news
【教科書】 日米中韓台、歴史教科書比較~戦争賛美せず、愛国心あおらず、日本は最も抑制/読売新聞[12/16]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1229612455/-100


【論点スペシャル】日米中韓台 歴史教科書比較

 先の大戦に対する各国の歴史認識問題が、アジアの国際関係に影を落とし続けている。米スタンフォード大学アジア太平洋研究センターは、日中韓と米国、台湾の高校歴史教科書比較研究プロジェクトを実施し、日本の教科書は戦争を賛美せず、最も抑制的だと指摘した。研究チームの主要メンバーである日本史学者ピーター・ドウス氏に研究成果を、元米紙東京特派員ダニエル・スナイダー氏に研究の趣旨を報告してもらった。論点スペシャルとして紹介する。

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戦争賛美せず 愛国心あおらず 日本は最も抑制
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ピーター・ドウス氏

 スタンフォード大名誉教授。専門は日本近代史。ハーバード大で歴史学博士。英国帝国史研究で進展した「非公式帝国」論などを導入、戦前日本の帝国史・植民地統治研究に貢献した。早稲田大などで数えたこともある。

暗黙の教訓
 日本の高校歴史教科書は過去30年間、海外のマスコミで悪評を買ってきた。太平洋戦争の開戦に対する日本の責任や、日本軍が占領地にもたらした苦難に教科書が十分な注意を払っていないという批判があり、教科書の内容がますます愛国主義的になっていると主張する人々もいる。
 スタンフォード大学アジア太平洋研究センターの「分断された記憶と和解」研究は、こうした批判が間違っていることを明らかにした。日本の教科書は愛国主義的であるどころか、愛国心をあおることが最も少ないように思われる。戦争をたたえることがなく、軍隊の重要性を強調せず、戦場での英雄的行為を語らない。物語的な叙述をほとんど省いた出来事の年代記となっている。
 日本の教科書が示しているのは、暗黙の教訓だ。それは、軍国主義の拡張は愚かなことであり、戦争は市民に甚大な犠牲を押しつけるものであると諮る。日本の歴史教科書の戦争記述は、戦後日本が外交政策の手段として軍事力の保持を拒んでいることと完全に歩調を合わせている。
 日本の学習指導要領は、近隣諸国との友好的で協力的な関係の発展、アジアと世界の平和と安定の必要性を強調している。
スタンフォード大が比較研究した高校の歴史教科書。(右上から時計回りに)中国の「中国近代現代史」、日本の「日本史」、韓国の「世界史」、台湾の「歴史」、米国の「アメリカン・ページェント」

奇妙な結果
 対照的に、ほかの東アジア諸国の大半は自国史の教科指針で、歴史教育の基本的役割として民族の自尊心と国民のアイデンティティー(帰属意識)の増進を主張している。
 民族の自尊心を強調することは、時に奇妙な結果を生む。例えば、韓国の教科書は、1937年に中国で勃発した戦争や真珠湾攻撃、広島と長崎への原爆投下など他国の教科書が取り上げている戦時中の主要な出来事に言及していない。代わりに、日本の植民地統治に対する朝鮮人の抵抗運動や文学における文化的発展にもっぱら焦点を当てている。言い換えれば、解放に向けた民族闘争の継続が韓国の教科書の物語の筋である。

自国中心の記述
 最も愛国主義的に戦争を描写しているのは、おそらく中国の教科書だ。英雄的な軍事作戦の記述に満ちているうえ、最終的に日本を敗北させたのは中国、とりわけ中国共産党だったと示唆している。
太平洋での戦争や同盟国の果たした役割はほとんど言及されていない。原爆投下が戦争終結に果たした役割は強調されず、日本軍に対する毛沢東の総攻撃要求とソ連の対日参戦が決定的要因とされている。
 中国と台湾の教科書は、抗日戦争の勝利が、中国の権利と利益を無視した帝国主義勢力による1世紀の恥辱をすすいだと書く。中国の教科書はまた、戦後も米国を新たな敵として反帝国主義闘争が続いたと強調する。新中国は、東アジアの”進歩勢力”を追い出そうとする米国を阻んだ、朝鮮戦争の勝者として描かれる。
 奇妙なことだが、米国の教科書にも戦勝に酔ったような叙述がある。米国で最も広く使われている教科書「アメリカン・ページェント」は、米国が世界的大国へと成熟するうえで戦争が決定的な転換点になったと善いている。
 戦前、米国の人々は外の世界から逃避し、現実を直視しない孤立主義に閉じこもっていた。だが、真珠湾攻撃によって、国際的な無政府状態の中で安全な国はなく、孤立主義でいられる可能性はないことに気づいた。米国人は孤立主義や宥和政策の危険性を悟り、反民主主義陣営との戦いに責任をもって自らの力を使うべきだと結論付けた。
 米国の教科書は、中国ほど露骨に愛国主義的な言葉を使っていない。だが、中国の教科書が共産党の勝利を支持するのと同じように自国の冷戦政策を支持している。
 「アメリカン・ページェント」の戦争描写は、トルーマン大統領とアチソン国務長官からニクソン大統領とキッシンジャー国務長官まで、リペラルにも保守にも受け入れられるように書かれているのだ。そして、米国の大衆文化と非常に似ていることだが、第2次大戦を”いい戦争”とたたえている。

平和教育の徹底
 日本の教科書の戦争記述が愛国的情熱に欠けるからといって、驚くべきではない。結局のところ、日本は戦争に負けたのだ。戦争を祝うような叙述の余地は限られている。日本国民の大多数にとり、戦争は戦った男たちにも銃後の家族にも悲しみを与えたものとして記憶されている。
 日本の教科書が戦争描写を抑制していることは、「平和教育」という考えが日本で真剣に受け止められていることの反映でもある。戦争が日本人に与えた教訓は、軍事力の行使は道義的に正しくはなく、賢明でもないということだった。戦争で、中国の恥辱の世紀と米国の孤立主義は終わったかもしれないが、国の誇りは軍事力によってしか保たれないという日本人の幻想も終わったのである。

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ダニエル・スナイダー氏

 スタンフォード大アジア太平洋研究センター研究副主幹。クリスチャン・サイエンス・モニタ一紙の東京特派員、インド特派員、モスクワ支局長を歴任。専門は北東アジア地域研究、米国のアジア外交。

各国、自国史の教育を優先
 3年間におよぶ「分断された記憶と和解」研究は、戦時中のアジアにおける歴史の記憶が、いかに形成されるかを理解するために行われた。歴史認識の問題は、この地域の国際関係を混乱させ続けている。和解が必要だと恩っても、歴史の記憶が分断され、しばしば衝突するために、長い歴史論争が解決されないと、我々は考える。
 研究の第1段階は、日本、中国、韓国、台湾、米国の高校歴史教科書を読むことで、歴史の記憶を形成するうえで教育が果たす役割に焦点を当てた。各国・地域で最も広く使われている世界史と自国史を翻訳した後、今年初めにスタンフォード大学で歴史家と教科書執筆者を集めた国際会議を開き、その分析、比較を行った。
 各国・地域の教育制度は世界史より自国史に優先権を置いている。その結果、過去に対する見方は限定的なものとなっている。研究のウェブサイトは、http://aparc.stanford.edu/research/divided_memories_and_reconciliation/

読売新聞 2008/12/16

ソース:読売新聞<日米中韓台、歴史教科書比較>
ネットになし:紙面キャプttp://hisazin-up.dyndns.org/up/src/84394.jpg 


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「ザ・スクープ」真珠湾以前に米国が日本爆撃を計画していた
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid591.html
アメリカが計画した日本本土奇襲攻撃
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1506935






「韓流“自己絶対正義”の心理構造」
櫻井よしこ(ジャーナリスト)/関川夏央(作家)/古田博司(筑波大学大学院教授)

櫻  金両基さんと対談したのは97年でしたが、当時、「従軍慰安婦」問題が論じられるなかで、私は「そもそも『従軍慰安婦』という言葉そのものが、当時の文書 のどこにも出てこないおかしな言い方ではないか。それに、必ずしも強制連行されたわけではない」と言って、各方面からすごくバッシングをされたんですね。 そのとき、最も反日的な人と意見を言い合ったらどうか、という企画をいただき、すぐに思い浮かべたのが金両基さんだった(笑)。

実際に議論してみると、金さんは物凄く激昂するんですね。ときどき灰皿が飛んでくるかと思ったくらい。対照的に休憩時間になると、非常ににこやかになる 方でもありました。私が、心したことは冷静に話すことでしたが、いま読み返してみると、もっと激しく言い返せば良かったな、と。

関 読んでいると、金さんはご自分にあまり知識がないテーマ、たとえば、19世紀末ロシアの膨張圧力、日露戦争の原因や評価などのくだりがことにそうですけれど、ことさら激越な口調になられるみたいです。 

櫻 「日中韓『靖国参拝』大論争」(文芸春秋2005年8月号)のときにも感じたのですが、韓国の人たちは都合の悪いところ、自分にとって弱いところを突かれると答えようとしない。そして、まったく別のところに話題をポンと変えて、また怒りだす。

関 そうして、自分で自分を徐々に激昂させながら、涙と汗の反日に話を運んでいく傾向がありますけれど、いまだそういうテクニックは有効なのでしょうか。

櫻  以前、呉善花さんと話していたら、「櫻井さん、あなたの話し方では絶対ダメよ」と言われました。「とにかく相手より大きな声と尊大な態度、相手より大げさな形容詞と身振り手振りで非難しないと、韓国では論争に勝てない」と(笑)。

関 もうひとつ付け加えると、相手の話は聞いてはいけない。一方的に自分の言いたいことだけしゃべりまくる。

古 韓国語に「声討」という言葉があるんですよ。声で討つ。

櫻 やはり怒鳴ることが効果的ですか。

関 いやいや、櫻井さんは声が小さければ小さいほどみんなが耳を傾けるんですよ。私のように気の弱い者が怒鳴るしかない(笑)。ただ、先方が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないということは認識しておかないといけない。
古 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ(笑)。当事者なのであまい詳しくはお話できないのですが、たとえば意見が対立しますね。日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかー!」と怒鳴る(笑)。
関 「ない!」と答えてはいけないのですか(笑)。

古 さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。

関 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望と言うか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。

(中略)

古 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。

櫻 それは、韓国の大学の歴史研究者ですか。

古 イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。

要するに、「自分(韓国人)が絶対に正しい」というところからすべてが始まる。しかし、実はこの「自分が正しい」という命題は実証不可能なんです。この 思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想に他なりません。その本質は何かといえば、「自己絶対主義」にほかならない。したがって、何をやろうと、彼らの 「正義」は揺らがないのです。

「自分が世界の中心にあり、最も道徳的に優れている」とするのが、中華思想です。韓国、北朝鮮、中国、それぞれ独自の中華思想を持っている。そして、こ の「自己絶対主義」の論理をたどっていくと、彼らの社会構造の根幹をなす「宗族」に行き着く。「宗族」というのは、文献上で遡れる自分の先祖に連なる一族 のことで、要するに「血族」です。彼らの言う「道徳」とは、この宗族の中だけの道徳であり、正義ですから、宗族以外の人間には何をしても構わない。他の宗 族と墓争いをすると、相手の墓を暴き、遺骨から何から全て焼き尽くして、その上に自分の一族の墓を平気で建てる。こうした例が、李朝時代の記録には非常に 克明に記されています。

櫻 靖国参拝に関する論議のおおもとにも、そうした他者に対する倫理観の違いがありますね。

関 まさにそうです。自分の祖霊だけが大事で、相手の霊魂などまったく考慮しない。いわんや他国の神社の霊においてをや、です。儒教もまた、この宗族の論理と支えあう論理なのです。(略)
(文藝春秋 『諸君!』 2006年4月号より一部抜粋)
http://kazu2002.iza.ne.jp/blog/entry/839289/


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【正論】国学院大学教授・大原康男
2008.12.16 02:25
大原康男・国学院大学教授

 ■村山談話の空虚性を撃つべし
 ≪田母神問題の陰の主役≫

 田母神前空幕長の論文問題は発生から2カ月近くになろうとするのに、まだ論争は収まりそうにない。その論点も筆者の歴史認識に対する評価や政府のとった措置の妥当性をはじめとして、文民統制の意義、自衛官の言論の自由、さらには論文応募の是非とそのタイミングからマスメディアの論調に至るまで多岐にわたっており、保守派の中でも見解が分かれるが、これまでの論議を踏まえ、遅まきながらも少しばかり私見を述べてみたい。それは今回の問題の陰の主役と言ってもいい「村山談話」についてである。

 辻元清美衆院議員の質問主意書に対して11月14日に出された政府答弁書によれば、空幕長解任の理由は「先の大戦に関する政府の認識と明らかに異なる見解が述べられている」ことが「不適切である」とともに、「憲法に関連する重要な事項について不適切な形で見解を述べている」ことにあるという。

 後者は、現状では自衛隊は領域警備も集団的自衛権の行使もできないとの批判に対してであろうが、集団的自衛権については麻生太郎首相も見直しを示唆しており、単なる付け足しに過ぎない。もちろん、問題は前者にあって、明言してはいないものの「先の大戦に関する政府の認識」が「村山談話」を指しているのは疑うべくもない。

 ≪定義できぬキーワード≫
 周知のように、「村山談話」は、平成7年6月9日に衆議院でなされた“終戦50年国会決議”への不満から、終戦の日にあらためて村山富市首相の談話として発表されたものであるだけに、「過去の一時期、国策を誤り」「植民地支配と侵略」「多大な損害と苦痛を与え」「痛切な反省」「心からお詫(わ)び」といった自虐一色に塗りつぶされた章句のオンパレードである。

 この一面的かつ粗雑な歴史観についてここで論ずる余裕はない。何よりも強調したいのは、そうした歴史認識の具体的な内容に立ち入るまでもなく、そもそも本談話が歴代内閣によって金科玉条のように墨守されるほどの実体を有しているのかという根本的な疑念である。

 ここでのキーワードの一つは「国策を誤り」であろう。「村山談話」の11年近く後に長妻昭衆院議員が出した質問主意書に対する政府答弁書(平成18年6月13日)は、驚くべきことに「お尋ねの『国策を誤り』については、個々の行為に対する評価等をめぐり様々な議論があるところ、政府として、その原因を含め、具体的に断定することは出来ないと考える」と述べ、その判断を完璧(かんぺき)に放棄してしまった。終戦60年に当たる前年の終戦の日に発表された「小泉談話」から「国策を誤り」がすっぽり抜け落ちていることと見事に符合している。

 それ以上に重要なキーワードは「侵略」である。この語の定義について鈴木宗男衆院議員が提出した質問主意書に対する政府答弁書(平成18年10月6日)でも「国際法上の侵略の定義については様々な議論が行われているが、確立した定義があるとは承知しておらず、お尋ねについてお答えすることは困難である」と答弁、同じように確固とした見解が出せないことを正直に告白している。

 ≪侵略も植民地も消えた≫
 ここでふと想起するのは、“終戦50年国会決議”を最も熱心に推進した加藤紘一自民党政調会長(当時)と決議案の内容について折衝したときのこと。私が「どうしても『侵略的行為』とか『植民地支配』という言葉を入れたいのならば、それらが何を意味するのかきちんと定義してほしい」と求めたところ、加藤氏は「われわれは学者じゃないから、そんなきちんとした定義は出さなくていい」と平然とうそぶいた。「村山談話」のいい加減さはここから始まっていたのだということを再認識した次第である。

 このようにキーワード中のキーワードですら確かな定義ができない「村山談話」がいかに空虚なものであるか、これ以上多言を要するまでもない。そんな曖昧(あいまい)な基準で田母神論文「日本は侵略国家であったのか」を裁断できるはずがあるまい。

 興味深いのは「国策を誤り」を削った「小泉談話」が出される直前、平成17年8月2日の“終戦60年国会決議”では、50年決議にあった「侵略的行為」や「植民地支配」という文言がきれいに消えていることだ。これら一連の事実は10年の間に何らかの変化が生じ、「村山談話」が必ずしも固定的な「政府見解」ではなくなっていることを示唆しているのではないか。

 何をおいてもこのような代物を担ぎ続けることの愚かさを広く訴え、歴史観を含めてあらゆる面から「村山談話」を検証し直す論議を巻き起こすことが肝要であろう。(おおはら やすお)

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/081216/trd0812160227003-n1.htm

繰り返される「過去の歴史発言」での更迭

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