カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

Cafe/Bar OIL

2012年06月14日 | 京都
「静けさと、低音渦巻く彼の部屋。」

何にしましょう?
・・・じゃあ珈琲できます?
そんな遣り取りだから、メニュウなど当然ない。

あり得ない程に重い扉をゴロゴロと開けると、
廊下の先には明るく拓けた空間、ずらりと棚に並べられた瓶、

作れるドリンクの種類はそこそこにありそうではある、
だがメニュウはない、つまり、リクエストする側が知らないものは、当然飲めない、

実際のところ、彼にお奨めを尋ねなければ、そういうことになるだろう、
そしてそれは、ある意味、とても真っ当なことのような気もする。

きっと此処は、彼の個人的な楽しみの為の部屋、その延長線上で、
その床に置かれた巨大な音響システムを、自分独りだけで楽しんでいたのでは勿体ない、

よければ、その音を一緒に楽しみたい、そう望む人は来ればいい、
そういう意図で、あえてこの彼の部屋は世間に開放されているのだろうとカゲロウは思う、

そしてそうなのであれば、それはとても親切な、かなり気前のいい話だ。

一緒に音楽を楽しみたいと思う人と、同じ空間で同じ時を過ごす、それが第一義で、
煙草を燻らせ、酒を飲む、それらの行為というのは、音を楽しむことに付随するオマケに過ぎない、
おそらくは、そんな感じ、そんな空気。

ジャズ、そしてファンクを聴かせる空間だと、
小さな看板の何処かに書かれていたような気がするけれど、
いま流れている現代的なジャズは、少し、心持ち気取り過ぎているような、そんな気もする。

もしそれが、訪れた人物を見て、その好みを察し、あえて鳴らされている音なのだとしたら、
つまり自分たちというのは、そういう人柄に見られている、そういうことなのだろうか、
カゲロウは、ふとそう考える。

それを心外だと言うべきか、光栄だと言うべきなのか、それすらもわからない程に、
世間ずれしてしまっているのは承知だけれど、出来ればこの空間で、

遠慮なく、スライの創った音を聴いてみたい。
この音質でなら、ラリーのベースの細部まで、とことん味わうことができるだろう。

いやしかし、さすがにこの空間には、そんな激しく太い音は馴染まないだろうか・・・
それなら、ミーターズならばどうだろう、削ぎ落とされたアレンジの、しかし何処か泥くさいファンク。

無難なインストゥルメンタルのアルバムよりも、リジュヴェネイションが聴いてみたい、

次回訪れた時、他に人が居なければ、是非そう彼に頼んでみよう。
きっとそのアルバムは、此処に在るはずだ。

Cafe/Bar OILバー / 京都市役所前駅河原町駅烏丸御池駅



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