カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

懐石・ステーキハウス やまと

2013年08月25日 | 京都
「ハンバーグ、揺蕩う。」

これはもう、シチュウである、そう言って過言ではない、たっぷりとしたデミグラス・ソース、何なら其の器の半面に白い御飯を投入し、カレーライスのように戴いてみたい、そんな欲求に駆られること請け合いの、なみなみと湛えられたソースの海、其の真ん中に柔らかなハンバーグが魅惑の孤島の如く浮かんでいる、と、全体、其のような様相の訳である、ハンバーグと銘打って、此れだけ大量のソースを滴らせた其の上で供される料理というのは、先ず此れまで見たことがない、何だか其れだけのことで、何なら2倍も得をしたような気分になれるというのは、実際幼少期より連綿と培われてきた貧乏性的な性、其れ故なのだろうか、其れは其れで幸せなことである、我ながらそう思わなくもない、お目出度いことである。

カウンター数席のみの此の料理店、太くはない街道沿いの住宅街の中、意識していなければ間違いなく通り過ぎてしまうであろう其の立地なれど、遠方からであっても、万難を排して出向く価値あり、特に此処の御店主は、其の様な客の来訪に著しく喜びを感じておられるようである、其のことを、あえて申し添えておきたいと存じます。

懐石・ステーキハウス やまとステーキ / 東野駅京阪山科駅山科駅
昼総合点★★★★ 4.5


伊佐夫

2013年08月21日 | 京都
「プログレッシヴ・ラーメン。」

抑揚も、およそ何の高揚感もなく、只ひたすらに己のペースで長々と其の知識と技術を披露し、垂れ流し続ける、プログレと呼ばれるひとつの確立されたジャンル、そんな音楽が世の中にはある。

などと言うと、其のファンに怒られそうではあるけれど、そんなものを聴いているのは、実は自分もそんな音楽を齧っているというような、いわば身内だけなのではないだろうか、正直そうとしか思えない。

実はラーメンという食べ物と、所謂ポピュラー・ミュージックに対して求めているものというのは、個人的にはそう遠くはなく、メンタルの部分で言えば、ほとんど同じであるのかも知れない、そう思わなくもない、そして、特に其処にロックを求める者にとって、ラーメンという食べ物は、時に大きなシンパシーを感じさせる、共感を催すものであることを、あえて否定するものではない。

先ず、気安さがあり、ノリがあり、多少の優しさもあり、しかし、ちょっとした行き過ぎがあり、多分、ヤケクソであり、実は自己破壊的ですらある、其れでこそ、其処に充実した満足感が訪れる、其のような実感があるのだけれど、此処のラーメンに其のような雰囲気は欠片もない、ロック・スピリットなどまるで宿ってはおらず、あえて言えば、他人行儀なプログレでしかないのだ、其れが幾ら技術的に高度なものであろうとも、其れこそが根源であるべき初期衝動を失くした存在は、最早、ロックではないのである。

そして勿論のこと、まさか此処の店主が己の一皿を以って、此れは当たり前のラーメンであるなどと口を滑らすことは、およそない、其のくらいに用意周到な計算高さを窺わせる此の麺ではあるのだけれど、では、此の料理を実際に戴いてみて、さて、どのジャンルに振り分けるべきなのかと自問してみると、先ず、ラーメン以外を連想する人物など、およそいる筈もない、とても困らされてしまう、そんな代物なのである。

だから、此処のラーメンが好みだとのたまうような人物というのは、きっとそもそも、ラーメンという存在に切実に向き合ってはいない、つまり、其の人生に、ロック・・・もとい、ラーメンという存在を必要としてはいない、其れが真実なのだろう、そう思われるのである。

伊佐夫ラーメン / 一乗寺駅茶山駅元田中駅
夜総合点★★★☆☆ 3.5


一喜蔵

2013年08月18日 | 京都
「トラディショナル・オリジナリティ。」

オープンしてまだ間もない、其れ故か、此のラーメン屋にて、本日はスープの出来が悪かったのでお休みしますとの旨を述べた張り紙に出くわしたことがある、調理に関しては其のくらいの入れ込み様であるから、勿論のこと其のスープは文句の付け様のない出来である、其れは実際に戴いてみてわかる確かなことで、だがしかし、そんな張り紙に出くわした人、其の全てが其の一文で納得してくれる筈もなく、むしろ性質の悪い開き直りだと捉えられかねない、もしそう思われても無理はないと思えなくもないのだけれど、其の解決法に関しては、後に述べたい。

白濁した豚骨スープを極細麺に絡ませる、表面的には単純に博多ラーメンの形式を踏襲しているだけ、其のように見える此のラーメン、だがしかし、其の麺というのは、よく見ると意外なことに全粒粉なのである、其処に店主の主張、其の独創性が垣間見えるような、其のような気はする、だがやはり、其れでも博多ラーメンとしての伝統的な味わいを失ってはいない、其処のところは、料理人としてのバランス感覚、其の賜物であるのだろう、白い御飯の炊き具合、煮卵の煮詰まり具合など、絶妙に納得の出来であるところにも、そんな事実は見て取れる。

伝統的でありながらも独創的なラーメン、胃に重過ぎるというようなことはないけれど、軽過ぎもせず、食後は程好い充実感を与えてくれる、店舗は小奇麗で、替え玉や裏メニュウに関しては、何やら一捻りあるようである。

だがしかし、都会から遠く離れた此の立地、其れなのに、遠方から訪れてみれば臨時休業の場合があるというのでは、わざわざ足を運んだ客は救われない、現時点で非公開とされている連絡先の電話番号、其れを公開するだけで、目敏いラーメン好きからの問い合わせが、きっと多々あることに気付かされることであろう。

一喜蔵ラーメン / 園部駅
昼総合点★★★★ 4.0


菓歩菓歩

2013年08月11日 | 京都
「野草の、ちから。」

厳密に、動物性の食材は使用していないとか、いるとか、まさかベジタリアンでもないのだから、其れをとやかく言うつもりなど端からないのではあるけれど、やはり其れでも、およそ野菜だけをメインにして此れだけ食べ応えのあるパスタを提供できるというのは、それなりのセンスあってのことなのだろうと素人目にも思わずにはいられない、少なからず感心させられる其の出来である。

そしてさらに言うのであれば、此の様な人家も疎らな立地にして、此の雰囲気、此の価格を固持する其のポリシーたるや、良くも悪くも並ではない、其れを押し通すのであれば様々な軋轢などもなくはないであろうと、ある種の困難を想像させるに難くない其の佇まいである。

其れは兎も角、近隣に道の駅など大きめの公共的施設が何軒か存在し、田舎ながらも通りすがりの観光客を期待できなくもないというのは、一見の集客に関して、そこそこの強みではあるのだろう。

つまり実際のところ、軽くカフェでスイーツでも戴こうかという客が其の多くなのではあろうけれど、其れだけではなく、一本筋の通ったしっかりとしたポリシーのこもった此の強い野菜料理を戴かずして、此の店の真髄を味わったとは到底言うことなど出来はしない、此の様な片田舎に存在していながらにして、強固なまでに其の主義を主張する此の料理店にあって、おそらく其れはきっと其の筈なのである。

菓歩菓歩カフェ / 和知駅
昼総合点★★★☆☆ 3.5


ピッツェリア・イル・ピッコリーノ

2013年08月04日 | 京都
「ナヴォーナ広場の、思い出。」

京都から丹波に至る道中、洛西の国道から少し外れた老ノ坂の麓、其の目立たない立地にある、一般的な建売住宅を改装したのであろう其の建物は、其れでも其の大きな窯と積み上げられた薪のあるお陰で、目指すピザ屋に相違ないと一見してわかるのではあるけれど、飲食店としては少なからず異形である。

少し離れた場所に点在する駐車場は意外にいっぱいで、案内された店内にはテーブル席が三分の一ほどと、如何にも一般的な住宅における座敷の風情そのままである席が其の残り、そして其の全てがお喋りに夢中の女性客でおよそ埋め尽くされ、空間は耳鳴りのするような喧騒に満ちている、座敷であるということが其の過剰な寛ぎを助長している、其れは否めない事実であろう。

そのような状況からして、もしかすると、やっつけ仕事、流れ作業であるかのような料理が提供されることになるのではないかと少々落ち着かない心持ちを抱いていたのが正直なところではあるけれど、其れはまったくの杞憂であって、実際には其のようなことなどまったくない、最上級と思える有名店のピザと比較してすら何の遜色もない旨いピザが、然程待たされることもなく提供され、だが、其のピザ以上に強く印象付けられたのは、個性的と言っていい其のパスタであった。

あまり味わう機会のない、太めながらも硬く茹で上がられた其のパスタ、其れは、かつてローマのナヴォーナ広場沿いにあったオープン・テラスで、片言の英語しか理解出来ない者が、何故こんなところで食事しようというのかと、給仕のイタリア女性にとことん無視されつつ、忘れられないある種の心象、其の辛酸と共に戴いた、あの驚きのパスタを思い起こさせるものだった。

其の帰国以来、其のような類のパスタには何れの料理店でも出会うことはなく、だが今、此処で、既にどの国の言葉とも判別しかねる喧騒の中、やはり此の国のイタリアンというのは、此の国に棲む人々の口に合わせてある、其れを当然のこととして、納得するでもなく受け入れていた自分に、ふと気付かされたのだった。

ピッツェリアイルピッコリーノピザ / 上桂駅松尾駅

昼総合点★★★★ 4.0