長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

白隠を眺めながら

2015-06-05 08:30:33 | Weblog

先週友達が白隠和尚の掛け軸をもってきた。二階に飾ってほしい、

というのでそうした。不思議なことだけど、それを見にいろいろな人がやってくる。

まるで京都のお寺の特別拝観みたいな感じだ。小西畳店から、新しい畳がきたし、

二階がとてもいい空間になった。今日は京都ゆかりの建築家の若いくんたちが、蕎麦会

にやってくる。世界的な建築家白井誠一さんの書など、ゆかりのものが多くあるので、話も酒

もすすみそうだ。

白隠和尚にこんな有名な言葉がある。池袋時代は階段のところに飾ってあった。

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき

夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし

況や自ら回向して 直に自性を証すれば
自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり 


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