長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

そばの名古屋打ち!

2017-02-21 09:04:07 | Weblog

昨日は「ダメ中」だった。

ダメから始める中国語。先生は名古屋の大学で勉強をしていて、

月に一度上京して、中国語を教えてくださる。時に中国語で演歌を歌ったり、

水餃子を食べる会をやったり、いろいろ工夫をしながら8年くらい続いている「寺子屋すくうる」

の人気講座のひとつ。昨日は名古屋でなにしおう「そばもんどん」をつれてきた。

そばもんどんは、朝打ったそばを持参して上京。昨日は「名古屋式」の蕎麦会で盛り上がった。

中国語の勉強中は、いつも仕込みが終わると、カウンターで独酌するのがならわしになっているが、

昨日は名古屋のそばもんどんと、花泉のにごり酒を久保さんの黄瀬戸の片口で飲んだ。

ぼくもそばを打ち始めのころ、名古屋から蕎麦をおくってもらい打っていた時期がある。

ざるそば(800円)を食べ、ホボブラジル珈琲(500円)を飲む、というセットは、珈琲の値段が

半額になり、1050円。ホボブラジル珈琲を飲み、おかわり珈琲を所望されると、二杯目が半額になり、

750円也。これも喫茶文化の王様のような「名古屋式」を採用している。

「ときめいてキュン」のTQ技術も、名古屋で産声をあげたものだ。天真庵で使っている久保さん

の器で、織部、黄瀬戸、志野というものも、桃山時代に美濃で始まったものだ。

天真庵を改装してた3人の中の中心人物が名古屋出身、もひとりが岐阜の関市。いろいろ不思議。

酔った勢いで、女子たちが「5月のダメ中は、名古屋のそばどんちでやろう」ということになった。

奇人が酔うと、変態になることが、ままある。でもそのままなりゆきで前にいくところが、天真庵流かもなんばん。

今日は「味噌作り」&「満つまめの会」&「タイムドメイン」

今日は、美濃賀茂市から味噌をつくりにくる女性がくる。なにをかくそう中国語のまいか先生のねえちゃん。

なんやかんやで、その界隈と濃い関係。ついでにいうと、満つまめの会で、いろいろな人の体の調整を

やってくれている「まーくん」も、名古屋でオギャーと生まれた人だで。天恩感謝。

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おしゃれな着物でそばを喰う!

2017-02-20 07:15:03 | Weblog

昨日は、そば雑誌が、「ゆさそば」の取材にきた。

YOU TUBEで「ゆさそば」を検索すると、天真庵でもライブの模様がでてくる。

3人が「そばや」の格好をして、オリジナルのそばソングを奏でる。悲しい恋愛の歌もあるぞ!

昨日はCDを持参してくれたので、さっそく聴きながら取材。タイトルは「ゆさそば一杯」という。

スーパーなどで♪さかな さかな さかな さかなを食べるぞ~ みたいな音楽がよくながれていた。

あの音楽を聴くと、魚の売り御揚げが大幅にアップするらしい。

ぜひ、「そばや」の人たちには、この「ゆさそば一杯」をBGMにして、いっぱいそばをひろげてほしいものだ。

「おまけ」みたいに、天真庵のそばも、その雑誌に紹介されるらしい。

来月の「南島原のそば会」用に、久保さんがつくってくれた「黄瀬戸のそばちょこ」をつかって撮影。

黄瀬戸(きせと)の器は、黄色の少しざらついた肌(油あげて、なんて粋人はいう)に、胆礬(たんぱん)という緑もほのかに染み込んでいる

のがいい、とされる。それに土色した「おこげ」みたいなのが少し入っていると、「いいね」とこころからいわれる。そこに蕎麦汁を入れ、そばを手繰る。

春風駘蕩とは、こんなことをいうのだろう、というような香りがかすかにする。そば通は、そのへんのところがたまらないらしい。

昨日の記者には、そのあたりのことを説明しなかったけど、日本一の蕎麦雑誌の記者さんだから、きっとわかっていたに違いない。

魯山人翁が「器は料理の着物」という名言をはいた。けだし名言である。ぼくは、久保さんの器を20年くらい使わせてもらっているけど、

花も器に教えてもらい、そばも珈琲も、器に「こんなものつくったら」と教えてもらっているように思う。

今朝は庭に咲いた椿を、久保さんの古瀬戸の花器に投げ入れて、床の間の「江南春」の軸のところにおいた。

これから「卵かけごはん」。夜は「ダメ中」今日は名古屋のそばもんが、そばを担当してくれる。

 

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ゆさそば  と検索すると、不思議な蕎麦メルヘン♪

2017-02-19 09:01:27 | Weblog

すると、You tubeのライブがでてくる。

2015年の6月の彼女たちのファーストライブを今朝はじめてみた。

蕎麦屋でライブができる場所を探していたら、天真庵にたどりついたらしい。

そこからスタートして、台湾でもライブをやったり、かなり知名度があがってきた。

なによりも、3人がまじめに「そば」が好きで、音楽が好き。このスタイルで、一生懸命

やっているのが、なによりもいい。

最近蕎麦の雑誌に続けて取材を受けた。「珈琲と蕎麦」の組み合わせの妙がおもしろいらしい。

40年前から珈琲をやり、15年くらい前から蕎麦道にはいり、10年前にお店を始めた時から、この二枚看板。

でも、ほんとうにここでやりたいのは、お客さんと音楽など芸術にふれあいながら、「共に楽しみ」「共に育つ」ような「共育」をめざした「寺子屋スクーリング」

が根底にあり、お茶やお花の文化とも切ってもきれないようなものが、こころの底にへばりついているように思う。

いろいろなライブを10年やってきたけど、この「ゆさそばライブ」は、毎年すぐに満席になるし、その人たちの9割が「マタキタクナール」

という素敵な菌に感染しているので、きっと今年ももうすでに満席状態だと思う。

そんな「ゆさそば」をそばの雑誌が見逃すはずはない。

本日は日曜日なので16時に閉店。それから、ぼう有名な蕎麦雑誌が、「ゆさそば」の取材にくる。

二階では「お花のお稽古」&「味噌つくり」。

明日は月曜日。月曜の朝は「卵かけごはん」夜が「ダメ中」こと「ダメから始める中国語」。

 

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普茶料理の会

2017-02-18 08:36:31 | Weblog

昨日は、IT業界の重鎮さんたちが「普茶料理の会」をやってくれた。

その中のふたりは、池袋時代からぼくの蕎麦を食べているオールドフレンド。

普茶料理とは、「普く大衆に茶を施す」といういう意味があり、黄檗山万福寺を開いた隠元和尚

が、禅と茶と普茶料理を日本にもたらした。「普茶一如」とかいって、ひとつのお皿に盛られたものを、

みんなで取り分けて、仲良く食べる、というのを基本にしている。だから、二階でやるこの会は、そばも

久保さんの備前か伊賀焼の大皿にのせて、みんなで食べる、というのを基本にしている。

公私ともに、迷惑をかけあってきたきくじーが、床の間の「江南春」をいきなり吟じる。

「千里鶯鳴いて・・・」なかなかいい声だ。彼は、大学時代に「詩吟倶楽部」に属していた。

「無法松の一生」を吟じてから、九州病にとりつかれた、という奇人だ。小倉の祇園祭り、戸畑の提灯まつり、

博多の山笠もいっしょにいったことがある。熊本の「ぼした祭り」もいった。お互いに「祭り」にとり付かれたころがあった。

久保さんを知るきっかけをつくってくれたのも、きくじーだった。昨日もいつものように、タクシーを十間橋あたりで降り、「ながしま」で

お菓子を買って、「現地調達のもので失礼します」といって、やってきた。二階にあがるやいなや「久保さん、こんなものつくったか。

ぼくも最近バリスタめざして珈琲を毎日いれとるんや」といって、「珈琲ドリポットをいっこちょうだい」ということになった。

業界の今昔物語みたいな話もはずみ、楽しい「普茶の会」にあいなった。

この会には、京都のたる源の豆腐樽で、湯豆腐をだすのがならわしになっている。そこにふたつきの織部の酒器(醤油をいれる場合もある)

がついていて、久保田万太郎 の湯豆腐の句がかいてある。

♪湯豆腐や 持薬の酒の 一二杯

江戸一で徳利をいっぱい並べたころに比べ、酒量は半分になったけど、この句のような、奥深い酒の世界を逍遥する

ような領域に入ってきた感もある今日このごろ。

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バレンタインデーの季節は 煎茶がうまい

2017-02-17 08:36:36 | Weblog

2月は、味噌作りを毎日している。バレンタインデーには、毎年手作りのチョコが届く。

が、と届くの間に「いっぱい」と書きたいところだが、いい年して見栄をはるのもなんだから、遠慮。

水曜日・木曜日は、味噌作りと、珈琲の焙煎教室と、無茶しぃの会(煎茶のお教室)と、が重なった。

最近珈琲店で、お茶うけのように、手作りチョコなどをかわいらしいお皿にちょこんと出すお店が増えてきた。

昔の京都の喫茶店では豆皿にピーナッツがのって供されるようなお店があった。四条木屋町を少し下がった

ところ、つまり南座の近くに、元歌舞伎役者の女形の方がやるお店があった。珈琲を入れる所作が日本舞踊の

ように美しくて、学生時代によくいった。秋葉で会社を始めた昭和50年代にはまだあって、上洛するときは必ずよった。

水曜日は能登半島から毎月煎茶を勉強しにくる三輪福さんたちと、みくちゃんがくれた手作りチョコケーキを

お茶受けに、楽しいお茶会。6月に「梅林ガールズ」の梅仕事が始まる。みんなで能登にいくぞ。

昨日の焙煎塾は、ノロとインフルでふたりが欠席になり、マンツーウーマンで、じっくりコロンビアを焙煎し、

生チョコといっしょに楽しんだ。違ったベクトルの甘さが口の中で交差して、不思議なハーモニーを奏でる。

夜の無茶しぃの会は、煎り番茶をほうろくで煎って、久保さんの蓋つき茶碗で飲んだ。掛け軸は「江南春」。

「千里鶯鳴いて・・・・」の始まりで、春の情景が浮かぶ。

木曜日はお抹茶の先生たちが煎茶を習いにこられる。朝届いた久保さんの「ヤンポ」を皆で拝見。

金平糖などをいれる器。「清水の金平糖が食べたくなった」と、ひとりがつぶやく。

さすが茶人。京都百万遍の老舗を知ってはる。感謝。

 

 

 

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こんな素敵な小学校でそばのお勉強

2017-02-14 08:18:59 | Weblog

3月の11日、12日、南島原の公民館と廃校になった小学校で「そば会」を

やることになった。昨日素敵なパンフをなつきくんがつくってくれたので、

「長屋茶房 天真庵」のHPの表紙にアップしてみた。小学校が、かわいらしくて、一見の価値がある。

昨年の11月に縁あって、島原の名刹にて蕎麦会をやらせてもらった。それが「島原の乱」よろしく

南島原まで飛び火したかたちになった。今回は島原の乱の舞台になった原城の跡地に宿泊しながら、

地元と人たちとそば交流を行う予定だ。沖縄にはじめていった人が、しばらく沖縄の話をするようになる

のを「沖縄病」という。島原や南島原にいくと、骨董病にも似て、不治の病のように、かの地の話をするようになる、

くらい自然といい、人といい、素敵な場所だ。魚もうまい。島原の「ペシコ」にいくと、疑いもなく「うまい」がわかる。

長い鎖国時代に、唯一外国との交流があった場所なので、いろいろな文化が育まれた場所。

京都の黄檗山万福寺で隠元和尚がひろめた「お茶」も、もともとは長崎から始まったものだ。

島原半島にも、煎茶を愛好した先人があまたねむっておられる。今回は「そば」がメインだけど、

できたら、この地で煎茶会をやってみたいと、思っている。南島原に「くちのつ巷焙煎所」という

のが今月オープンした。主人のなつきくんは、ぼくの珈琲とそばのお弟子さまである。煎茶は

まだ教えていないけど、昨年引っ越し祝いに床の間にかける軸として「楓橋夜泊」をおいてきた。

床の間といえば、本来は仏様のことで、華道も茶道も、そこから生まれた場所である。仏教も

キリスト教の玄関みたいな「くちのつ」で、お店をやる、というのは、歴史的な一ページかもなんばん。

今日は「満つまめの会」

味噌作りもある。

明日明後日が「無茶しぃの会」と「卒啄焙煎塾」  無茶しぃの会は、まさに「煎茶道」を少し体験する会。

 

 

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月曜の朝は卵かけごはん

2017-02-13 07:28:58 | Weblog

風邪が大流行しているみたい。

昨日も味噌作りをおそくまでやった。

英語の岩本先生が流行りの風で寝込み、奥さまが4歳になるたーくんといっしょに

ふたつつくった。彼らは天真庵で出会い、結婚し、ふたりの嫡男が生まれ今は4人家族だ。

岩本先生は、池袋時代から「英会話」をやってくれていた。その前にビル・スメール

という変な先生が英語を教えてくれていた。IT時代の友人で、自分の名前をもじったオジサンギャグで「ビールとスルメで英会話」

といっていた。それが岩本さんにバトンタッチされ、「英語でそば会」になり、それが発展して「英語でポンビキ」になった。

2001年のニューヨークのテロの日も英会話だったので、足かけ20年くらいやっている。「継続は力」であーるぬーぼー。

南島原で3月に「蕎麦会」をすることになった。ビルとは、20年くらい前に島原にいっしょに旅したことがある。島原の駅前の

「骨董屋」にいくと、そこの主人のおばあちゃんが「ようきんしゃった。」といって、ビルに骨董の皿をプレゼントしてくれた。当時は

外人が珍しかったのか?今おもえば、きっと遠い昔にそのあたりを闊歩していたキリスト教の宣教師とだぶっていたのかもなんばん。

そこで見つけた古伊万里の豆皿は、今でも大事に使っている。その骨董屋は昨年界隈にいった時はなくなっていた。

でも「ペシコ」という、東京ではありえないような素晴らしいイタリアンと出会い、島原がまた近くなった。12日は廃校になった小学校で、

ペシコとなつきくんと、協力して「そば会」をやることになった。今からウキウキしている。天恩感謝。

 

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大山のすしや

2017-02-12 08:45:59 | Weblog

大山というのは、古くていい商店街がある。そこから少しはいったところに

「いわもと」という鮨やがある。店主は今年還暦を迎える「岩本」さん。

もともとボクサーで、日本チャンピオンだった。ヨネクラジムに所属していて、

ときどきジムでいっしょに汗を流した。10度くらい防衛したけど、試合ごとに流血し、

そのころのトレナーは、「血止めの松本」とあだ名をもっていた名トレーナーがいた。

彼のお店にいくとカウンターの中に、有りし日の松本さんの写真がある。たぶん、

リングの外で今でも彼の背中に「がんばれ」と叱咤激励しているかのような写真だ。

昨日の夜岩本さんから電話をもらった。「誕生日おめでとうごさいます。奥さんを大事にしてください」

とのショートメールのようなメッセージ、を防衛回数より多くいただいている。

ヨネクラボクシングジムは、後援会に入る時に記入するカードに「奥さまの誕生日」という項目がある。

その日に、家に薔薇の花束が届く。花束の中に手書きのメッセージカードが入っていて、

「奥さま、誕生日おめでとうございます。ぼくたいちがリングでがんばっていけるのは、奥さまの力です」

と書いてあり、差出人のとろに「ヨネクラジムはりきりボーイズより」と結ばれている。できすぎたような

話ではあるが、そんな「こころのこもった話」は少なくなってきたように思う。

現在のヨネクラジムは、島田くんが名トレーナーとしてがんばっている。その当時、彼は新聞配達を

しながらボクシングをやっていた。住んでいた板橋が彼の配達エリアだったので、よく見かけ、声をかけた。

「新聞配達をしながらチャンピオンになれない」というジンクスがあった。でも彼は、日本チャンピオンになり、

世界戦も2度経験した。ときどき後楽園ホールで見かけると、笑顔で手をふってくれたりする。

今日は「味噌つくり」。味噌を仕込んだ日づけがわかるように、その日の新聞で包むようにしている。

人数が多い時には、近くの朝日新聞の販売店にいき、そこの店主に二部ほど譲っていただく。

今日も6人が味噌つくりにくるので、蕎麦を打ったあと、販売店にいく。

新聞配達をしながら大学を卒業する人たちに表彰状をおくるセレモニーも長くやっているらしい。

今年は約200人。その中で日本人は一割くらいで、一位がベトナム。それに中国、ミャンマーなどが続くらしい。

新聞を読む人が少なくなり、新聞を配達する人も少なくなっているようだ。そんな苦労をするなら奨学金で

いったほうがいい、というのがはばをきかせているらしい。借金というのは、帰していくもの、というのを後で体感する。

国の借金も、若者の借金も、同じようにしてふくらんでいく。「今だけ 自分だけ 金だけ」ではアカンよね。

そんなことを思いながら、今日も朝から「借金なし大豆」を寸胴でことこと煮ている。

今日は日曜日なので16時まで。それから「日曜蕎麦道場」

二階はまーくんの「満つまめの会」。

明日の朝は「卵かけごはん」夜は「福の会」 ♪しあわせって、なんだっけ なんだっけ・・を考える会。

 

 

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インヨガの日は、イブリガッコと黒豆茶が売れる?

2017-02-11 08:18:28 | Weblog

うちにくる車やさんが、2月10日と2月11日が新車が一番売れる日だといった。

その人の縁起のいい日なのか、その車の会社の戦略なのか、ひょっとしてバレンタインデー

とあわせただれからの陰謀?なのかわからいが、そうらしい。風が吹いたら桶屋が儲かる、以上に摩訶不思議な話だ。

今日は建国記念日、昔は紀元節。うちのかみさんの誕生日でもある。

記紀、つまり古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位 日をもって定めた祝日で、終戦後

アメリカの意向で廃止され、今のよび名になった。

あわせてこれも奇妙キテレツな話だけど、昨日はイブリガッコがいっぱい売れた。

昨日は「インヨガ」。ヨガ美人たちが二階で静かにヨガる日だ。夕方珈琲豆が切れそうになったので、ヨガの時に

下で焙煎をした。ヨガの人たちはけっしてこのブログを読んでいないと祈りながら書くと、下で焙煎をすると、煙は二階にまん延する。

ヨガ美人さんたちの足を、だいこんだとみたてさせてもらうと、珈琲のイブリガッコ?みたいなものかしら。

大根はもともと、「おおね」と呼ばれ、日本人の生活になくてはならないものだった。「大根役者」などと蔑まされた言い方を

されたりするけど、その意味の根拠もはっきりしない。煮てよし、生でよし、燻してよし、いろいろなガッコにしてよし、

主役になれないけど、いろいろな役目があるから、そう呼ばれたのだろう。大根足も、健康で元気な足の象徴である。

ヨガの人たちと蕎麦を手繰り、談論風発し、帰り際にまたイブリガッコがあまた嫁いでいった。大根は健康で持続可能の生活の

中に根を生やしている。すばらしい。ちなみにぼくは、ふろふき大根が大好物である。人はぼくのことを「ほらふき大根」と呼んで

いるらしいが・・・

 

 

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おでん 熱燗 昔のおんな

2017-02-10 09:15:30 | Weblog

誰かのエッセーにあったけど、この言葉の並びが好きだ。

昨日はお休みだったけど、味噌つくり 満つまめ おとこかっぽれ  の日だったので、

寸胴に一晩つけた「借金なし」をストーブにのせ、そばを打った。午前中に幼稚園にこどもを

おくったママさんが最初の味噌作り。今年は小さなお子様といっしょというケースも多く、「食育」

という意味と、共に育つ「共育」もかねて、味噌作りの大いなる意義を感じる日々。

その後は、3人のベテラン組が、ふたくちの味噌をつくり、二階でマーくんの整体を受ける、という

今年からはじまった「天真庵ゴールデン梯子」が続いた。どちらも「持続可能な生き方」をするに

不可欠なものだ。

ぼくは「おとこかっぽれ」に参加するので、昨日は昼間に「おでん」をしこんだ。

ストーブが大豆に占領されているので、炭火をいれた「てあぶり」の五徳に土鍋をおき、

そこに大根を昆布で煮る。こうすることにより、大根のでしゃばった味が整い、おでんの鍋に

あとで合流させても、問題がない。おでんやでも、こんな手間は普通かけられない。

厨房のおでんの鍋は、昆布とあごの出汁に、こんにゃく、うすあげ、山芋、豆腐、焼き豆腐、ちくわぶ(これをいれないと江戸

の人におこられる)などをいれる。

もともとおでんは、焼き豆腐に味噌をつけた「田楽」が始まりで、その後江戸時代に江戸で

濃い汁にうかべたもんになったらしい。それが関西にいって、薄味で「関東だき」とかいう名前になった。

関東大震災の炊き出しに関西から薄味の文化が逆輸入される形で、今のような「おでん」ができた、らしい。

小学校時代は塾の帰りに、駄菓子屋みたいなところでおでんを食べた。もちろん熱燗はのんでいないし、おんなもいない。

京都時代は大学の近くに「シャンクレール」というジャズ喫茶があり、そこから30mくらい下ったところに「安兵衛」

というおでんやがあった。ぼくは「うすあげ」が大好きで、九条ネギが刻んであるものをはさんで供してくれたのをつまみ

に、伏見の名誉冠で飲む、という日が、学校にいく日よりも多かったきがする。「おんな」」というかそのころの彼女とのデート

ももっぱら、この荒神口の「安兵衛」だった。

江戸にでてきてからは早稲田の「しのぶ」でよく早稲田出身の友達と飲んだ。冬にすーすーすーな感じで、隙間風が

吹き込んでくるところで飲む熱燗とおでんは、たまらない。

今日は「インヨガ」 味噌 満つまめ インヨガ    健康で持続可能な人生の根本みたいな寺子屋が続く 日々是好日。

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