つらつら日暮らし

マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・18

ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載18回目である。

18 煉獄にある魂が功績を持つこと、愛が増し加わる状態にないことは、理性によっても聖書によっても証明されていない。
    深井氏下掲同著・18頁


「煉獄」について、【前回の記事】で論じたのでご覧いただければと思うが、要は「煉獄」にある魂について、どのような状態であるのか、ルターは証明されていない、ということになるだろう。

つまり、煉獄にある者の「魂」に対して、現世の宗教権力者であるローマ教皇によって、何らかの許しを与えたり、逆に罰を与えることもまた出来ない、ということになるようだ。確かに「煉獄」という、或る種の中間的状態は把握が難しく、『聖書』にも出て来ない。そのため、キリスト教の主要教派に於いては、「煉獄」を認めない場合もあるという(『岩波キリスト教辞典』では、カトリックと東方正教会では認めるが、プロテスタント諸派では認めないという)。

よって、次の記事からは、徐々にこの「煉獄」に及ぶ現世の権力などについて、ルターがどう考えていたのかを見ていきたい。

【参考文献】
・マルティン・ルター著/深井智朗氏訳『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」』講談社学術文庫・2017年
・L.チヴィスカ氏編『カトリック教会法典 羅和対訳』有斐閣・1962年
・菅原裕二氏著『教会法で知るカトリック・ライフ Q&A40』ドン・ボスコ新書・2014年
・ルイージ・サバレーゼ氏著/田中昇氏訳『解説・教会法―信仰を豊かに生きるために』フリープレス・2018年
・田中昇氏訳編『教会法から見直すカトリック生活』教友社・2019年

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