わたくし高橋桃子は、本日をもちまして鉄工団地自動車学園を退職いたします。
平成28年4月から、2年2ヶ月と短い期間ではありましたが、みなさまに大変お世話になりました。
教習生のみなさまには
「なぜ指導員をやろうと思ったのですか」とよく聞かれたので(若くてかわいらしい教習生の皆さまに「先生って何歳なんですかぁ(^^)?」ともよく聞かれました。ふふ。)、最後はそれについて書きます。
ときはさかのぼり、平成27年11月。
当時生後6ヶ月の我が子を連れ、保育園の入園申請に締切直前に駆け込みました。
翌年28年2月に無事入園が決まり、喜んだのもつかの間。私は焦りだしました。
「仕事を決めなくては!」と。
しかし、子がまだ小さいことを理由に面接を断られる日が続きました。
仕事が決まらないと保育園も数ヶ月で退去になる。というもどかしい状況でした。
その日々の中で、鉄工団地自動車学園の求人を目にし面接希望の電話をしました。
応募したのは単純な動機で、自動車学校に通った思い出が楽しかったから。
なぜかというと、教習中よくほめられたからです。人にほめられる経験は、個人に差はあれど成長するに連れ非常に少なくなります。
私が大型二種免許の教習を受けた教習指導員の方は、私を教習中によくほめてくださり、卒業後就職してからも風の噂で「俺の卒業生がバス運転士になった!」と教習生によく話していることを知り嬉しく思いました。
また、バス会社に就職してからも、指導係の方にバス業務を習う日々の中、ときには厳しい言葉もありながら、愛情ある「ほめ言葉」をたくさんもらいました。「運転を習った経験」が人よりは多少多いであろう私は、その日々を通して自己肯定感を持ち、社会人になり、大人としての歩みを進めてきたのです。
安全運転は、自分を大切にし、相手を大切にし、人生を守ること。だから車を運転するときは自分をよく知り、振り返り、改めること。そう教わってきました。
教習指導員を目指したのは、自分の経験を活かし、今度は人の役に立ち、人を認められる人間になりたかったからです。
教習指導員の職を通し、自分に足りないものや今後の課題を考えることができました。これからも「車の運転」を考え、向き合い、その中で人との関わりや優しさを持てる人間を目指したいと思っています。
最後になりましたが、これまで鉄工団地自動車学園を通して関わってくださった方々に感謝を申し上げます。
これまでありがとうございました。
わたしのことは忘れても鉄工団地自動車学園のことは忘れないでくださぁいッッ( ;∀;)
高橋桃子