京都の洋館シリーズも十一回目となりました。
高野第三住宅集会所・管理事務所(1908,明治41年)
旧鐘淵紡績京都工場、設計は横河工務所
1975(昭和50年)に紡績工場が閉鎖となり、1981(昭和56年)に住宅公団が分譲住宅しました。工場部分で残っていたボイラー室を改造した集会所・管理事務所です。
明治京都の近代遺産の一つと言えます。
煉瓦がとても魅力的です。左京区高野東開町
元立誠小学校(1928,昭和3年)
京都木屋町通りの中心に位置しています。(四条通り木屋町上ル)
角倉了以が開削し、森鴎外が「高瀬川」を描いた、高瀬川にかかる橋が玄関口です。
アーチ型の玄関など凝った意匠が特徴的です。
小学校は1993年に閉校となり、以後は自治会行事やイベントの拠点として活用されています。
ここは日本映画原地でもあります。
寿ビルデイング(1927,昭和2年)
旧銀行で昭和恐慌のあおりを受けて倒産しました。
現在はGALLERY GALLERYが入っています。
下京区河原町通り四条下ル東側。
京都芸術センター(1931,昭和6年)
旧明倫小学校で、2000年に芸術センターとしてオープンしたものです。
設計は京都市営繕課、鉄筋コンクリート造りです。
公立小学校はどこも画一的な造りが多いのですが、京都は近世からコミュニティが小学校を支えていました。祇園祭を支える京都町衆の伝統を誇る建物になっています。
中京区室町通り蛸薬師下ル
京都聖マリア教会礼拝堂(2000,平成12)
旧礼拝堂は、1911(明治45)に建てられたレンガ造りの風格ある建物でした。
いつも前を通ると圧倒されるような存在感がありました。
しかし、老朽化と阪神大震災で大打撃を受けて、新しく建て替えられたものです。
幼稚園
立誠小学校は高瀬川の西側にある学校ですね。伝統ある、いい建物でした。このような建物も京都の景観をつくっています。
以前、夜の京都を案内しようと人を連れて木屋町に来たことがありますが、風俗案内の店や、ビル壁の風俗の看板などで、昔の風情は消えていました。
後に、この小学校が廃校になったことを知り、規制が外れたんだと自分なりに納得しました。
学校が壊されずに今でも利用されていることは、他所の住人ながら嬉しいことです。
木屋町の件ですが、最近は少しは改善されていると思います。あまりにもひどい状況に、地元自治会、行政、警察が共同で防犯や規制にのりだしています。
木屋町は若いときは行きましたが、最近は京都の地元の人はあまり行かないのではないでしょうか。
京都市の看板景観規制で先斗町などもかなりすっきりしてきました。