ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

唸ることしかできない。

2011-10-25 16:20:58 | 日記



善悪や道徳など、世間の常識や普通と呼ぶもの、何が正しくて何が正しくないのか、正しくないのはどこが何が間違いであるのか、、、


あんまりことばで意識してみたことがなかった。



日本では厚生労働省が日本人の食事摂取基準について事細かに示している、この基準が健康な食事である、と。

それは学校の給食などもこれらに従っているものだと思う。
実際はわからないけど。


その基準というのは誰かが科学的に編み出した1番これが良いだろうってものだろう。

何に良いのかと言えば、健康な食事というのは"身体"にとって、良いと言えるだろう。


単純に病気の体と健康な身体とどちらかを選べるとしたとき、やはり健康な身体を選ぶ。
誰も病気になりたくてなる人なんていやしない。


では、健康な食事を摂るのは正しいことなのか、良いことなのか。
身体にとって良いことなのだし、病気にはなりたくないのだし、健康な食事を心がけるのは当たり前ではないか。


夜中寝るまえにラーメンが食べたいからと言って、その欲に従って食べてしまうのは間違いではないのか、正しくないのではないか。

ラーメンを寝るまえに食べるのは悪いことと言えるのではないか。




例えば、本屋さんで、ある本を欲しいからといってそれを盗んではいけない、人のものを勝手に盗むのは悪いこと。


欲しいけど盗むのを我慢したり、食べたいけどそれを我慢したりする、我慢するのは善いこと。


だからこれを教育の中でも、道徳教育の中で教えている。


人に迷惑をかけてはいけません
人のものを盗んではいけません
それは悪いことです

己の欲にばかり従ってはいけません
従った分、いつかあなたはその落とし前をつけなくてはいけないときがくるでしょう



最終的に、いつか苦労や苦痛を味わなければいけなくなるのは、あなた自身です

夜中寝るまえににラーメンを食べていると、早死にしますよ
タバコもお酒もそうですよ
わかっているでしょうに

タバコやお酒は許すけど、薬物はダメってなぜ?
法律で定められているから?
同じでしょう
どちらもあなたを害するだけですよ
やめなさい


勝手に人のものを盗んではいけません
それは法律がそう言ってるからではなくて、盗まれた人がいい気持ちはしないでしょう
あなたはその気持ちを考えた上で盗むのですか


私が言っていることはどれも正しいことです、善いことです
それをあなたに言うのはおかしいですか?間違っていますか?
間違っていると言うならどこが間違っていると言うのですか?



こう言われたとき、何を言っても跳ね返された。
太刀打ちできなかった。


私は間違っていると思う。
何がどこが?と問われればまだ整理できていない。
ことばで言うことができない。

だけれども、私は何かが違う気がしてならない。
というか、なんか単純に嫌だ。


健康な食事=しあわせ
        ⇅
長生きする(タバコやお酒、薬物をしない)

健康な食事をすればみんな健康な身体でしあわせ



ほんとうか?
それでいいのか?
それがいいのか?
いや、良くないだろう。

夜中にラーメン食べたくなるときだってあるし、タバコやお酒でこころが穏やかになるときだってある。

…けど、薬物は否定するよ。
薬物は人を壊すから。


うーん、タバコもお酒も人を壊すときだってあるでしょう、と言われたらそうですね、としか言えないんだけど。



我慢する(多分他にもいっぱいある。例えば、人に迷惑かけない、人を思いやる、人を慈しむ、とか?)=善いこと
      ⇅
    善い人

ほんとうか?
善いことをする人が善い人なのか。

悪いことをする人が悪い人なのか。

善悪の正義なんてあるのだろうか。


難しい。


なんかもっと、これ!という答えがないものか。
これをズバッと言ったらあっちが太刀打ちできないような…



この答えをゼミの課題で出された。
間違っていると言うなら、その間違っているところを、どこが何が間違っているのか答えなさい、と。


うー、、まだ唸ることしかできない。





電話と本。

2011-10-12 22:41:55 | 日記



東京にいる兄貴から電話があった。
兄貴から電話がくるってのもほんと珍しいことで、こっちとしてはとっても嬉しいんだけど、なかなか自分からはしない質みたいで。


お兄ちゃんでちゅよ~から始まるからね。
こりゃけらけら笑ってしまいますよ。
そんな兄貴なんです。


そんで、ドイツどやった?から始まった会話やったけど、やっぱ兄ちゃんとの会話は面白いし、なんか話してて安心する。

それに、兄が話すことに「ほんとそうだよねぇ」って頷くことばかり。


その発される言葉が胸にすっと入ってくるもんね。
もちろん、やっぱ兄ちゃんとなると私の一歩二歩前をいく言葉ばかりでうわぁそうかぁと感嘆したりする。



で、その兄ちゃんも実は彼が小学6年?5年?のころに母とドイツへ行って、
例のガビーさんとこにお世話になったことがあるんだ。

多分10日ほどなんかな。


やから、あっちで感じたものが伝わりやすいというのんか共有できてるような気がしてね。うん。



文化って言葉で片付けるのはあやふやなもんをなんか置き去りにしてしまうんやないかということなんやけど、それについても兄と話しててなるほど、と思えたのは。


やっぱりそこに暮らす人たちがそういう暮らしをしたいからそうなるんだよ、って言われたんやけど、、。


ほんとそうやなぁって思ったんだな。



チャイナタウンとか各国にできてしまうのもそういうことなんやと思うんだ。


やっぱドイツだからそういう暮らしがあってそういう暮らしをするわけじゃなくて、ドイツに住んでる人がそういう暮らしをしたいからああいう暮らしができたんじゃないかってこと。
指示語ばっかでわかりにくいったらありゃしない。




いやぁ。

あとね。最近やっぱし大学終えたらどうしようかえ、と悩んだりしてたんやけど、兄ちゃんと話してなんかすっきりした。


ほんとやりたいことも就職という就職もする気もないしで、こんなんで私いいのかな、大丈夫なのかな、と思っていたんだけど。



いやほんと、自分の思うようにやったらいいってこと、何か事を自分で起こさない限り何も変わることなく時間はあっという間に過ぎるものだぜ、ってこと。

あと、何かするにもお金が必要ってのはあるから100万でも200万でもとりあえず貯めてみるか、とやってみるのもええんじゃないか、っての。


そんなことを言われたらなんか色々気にしていたこととか、なんか大丈夫そうだ、と勝手に思ったのでした。



サンキューまいぶらざー!




ちょうどその兄ちゃんから電話がくる前によみ終えた本があって。

藤原正彦の「日本人の誇り」ってのなんだけど。



ドイツへ行くに当たって父に勧められたその本を持って行ってあっちで読んでいたのだけども、まだ全部読み終わってなかったんだけどもそれがいまやっと読み終えたもんで、ちょこっとの興奮がまだ残っているんだな。



なんか兄ちゃんとも話したけど、自分って自分の生まれた環境から培った価値観とかいろんな人との出逢いもあったりして、自分の想いとか自分考えや信念とかそういった、自分で自分と呼ばせるものって、やっぱり確固たる自分のものである、これが自分なんだって強く思っているものだけど、


実はそういうのってほとんどないんじゃないかって思った。


自分が思う自分自身の好き嫌いや自分の信じるもの、自分が考えることや思うこと、感じることも、自分から生まれたものなように思いやすいけど、案外そんなことはなくて、言っちゃ、自分から生まれたものって何があるのかと逆に言ってしまうくらいほとんどが、いわゆるの世間だったり、教育だったり、それこそ日本人を日本人と言わす何かでっかい精神性というのんか、そういうのんで出来上がってるもので。



案外自分ってのも歴史に普通に組み込まれてしまってるもので。


戦争っていうのもさ、いま現在紛争や戦争は世界のどこかで起きてる、ってのはことばで理解したとしても感覚としては何にも入ってこないんだ。

だって実感したことがないから、いつもあやふやで曖昧な感覚でしか戦争ってのを感じれないから。


そういう意味で日本にとっての戦争も歴史の中のものだって自分と切り分けてしまっていたんだけど、その本を読むと、あれ、なんだ自分自身も歴史っての中でうごめく見えない流れの中にたゆたゆ流されてしまってるやつなんだわ、と感じれた。



歴史ってのは昨日ももう歴史になるんだからね。
そうかそうか、とそんなちっちゃなことかもしれないけど、思ったよ。



毎度思うけど、話のまとまりがつかないんだよね、読みづらいねぇ。






報告のつづき。

2011-10-08 16:48:09 | 日記




ドイツで一番強く感じたことは、人の暮らしぶりが日本とこんなにも違うんか!というところだった。


ひとつの道にこどもから若者もおじさんおばさん、おじいちゃんおばあちゃんまで、みーんながそこにいて、みーんながそれぞれ友達や恋人や家族とゆったりした時間を過ごしている。

それは毎日そんな風景なのだから、なんてこった、こりゃ習慣だ、文化としてもうそういう暮らし方、過ごし方としてあるんだ、という感じで。



日本と比べてみるとこの人々の陽気でゆったりした感じはなんだろう、今日平日だよね?と本当に不思議に思うほどだった。


日本だとある年齢を過ぎれば、みんながみんなスーツやら何やらなTHE仕事な服を身につけ、明らかにいま仕事帰りか、とわかる様なのだが、あっちではみんな仕事してるのか?ってくらい仕事をしているというのが赤ら様には見えてこなくて、この感じはどっからくるんだろうと驚いた。



ほんと、暮らしぶりが豊かってこういうことを言うんじゃないかなぁと思ったのだ。



大抵生きるっていうことを言うとき日本の場合だと、仕事のため、家族のため、他人(ひと)のため、生きてるというのが定着していると思うのだが、あっちの場合、何か周りのひとや物事のためではなくて、ほんと自分が楽しみたいから、自分を生きるために生きてるわい、という感じがしてきたのだ。



けど、それはなんて言うのか、、それぞれがそういうふうにことばで思って生きているとも思えなくて、どちらかというとそのまんまそういう暮らし方、生き方が文化として人々の中にあるからそういうふうに生きてしまっている、という感じだ。



だからといって、ドイツさいこー!日本さいてー!とか言っているわけではなくて、いい悪いとかじゃなくって、あー、こんなにも違う暮らし方が存在してるもんなのか、世界って広いわぁ、と単純に感じるところなのだ。



そういう意味で他の文化に触れるというのはおっもしろいなぁと初めて思った。




暮らしぶりもそうだけど、食べものに対する感覚もだいぶ違うかもしれない。


化学調味料というのか、そういうのに対する不信感や不安が日本人より敏感なのだろうなぁと思った。


あっちでお世話になっていたガビーさんというドイツ人の彼女は、それはそれはこだわりがとってもつよい人で、レストランを選ぶにしろ、店内に足を踏み入れた瞬間に、ここはあんまりいい匂いがしないからやめよう、と言うくらいのこだわり振りで、それにはさすがにこれはドイツ人だからというよりはガビーさんという人がそうなんだろうとは思った。



けど、スーパーの商品の表示でBIOと書いてあるかないかで一目で判断できるようになっていたり、BIO専門のスーパーがあったりとか、やっぱり日本より敏感度が高そうに思えた。




料理はどれもおいしかったなぁ。

ガビーさんの手料理もまたいつも豪華でおいしくて感激ものだったし、レストランでもガビーさんが選んだところはみんなおいしいものばかりだった。


じゃがいもってのがあんまり好きじゃないんだけど、あっちのジャーマンポテトっちゅーのはおいしい。

もっちりしていて味が強い。

ドイツの雰囲気の中だからこそ、ドイツ料理をおいしく食べれるっていうのはあると思うけど。




いやぁ、なんか贅沢で豊かな日々やったなぁと改めて思ったな。








やっとのやっと。

2011-10-08 16:11:30 | 日記



ほんとにやっと。
更新することができました!


8月のほとんどを実家で過ごしてから、9月は母と2人で母の友達のドイツで暮らしているガビーさん(ドイツ人)のところにお世話になっておりました。つまり、ドイツに3週間ほどいたのでした。

初めての海外なわけではなかったけど、これだけ長いのは初めての経験で貴重な時間を過ごさせてもらったなぁというところです。




ということで、ドイツ旅行報告。


ガビーさんは旅行が大好きな人で、それこそ何十ヶ国に行ってるのやらやらというくらいの旅人。

そんな彼女は日本が大好きで日本にも何度も来ていて、日本に来たとき何度か私の実家の方に遊びに来てくれていた。
それこそ私が小学生の頃からの知り合いということになる。

今回ガビーさんと会うのは結構ぶりで(多分7年振り以上かな?)、ちっちゃいときの自分が抱いていたガビーさんのイメージしかなかったものだから、今の私が出会うガビーさんという人はそれはそれは別人のようなもんで、昔からの知り合いでもあるけど、言っちゃ初めまして状態に近かった。


というのもそれは、ガビーさんとは英語で話すのだけど、初めてガビーさん自身と会話というのができたからだと思う。
いままではやはり同じことばを話せなかったし、だからといって関わりを全然持たなかったというわけでもないのだけど。

まぁそんなんでこの旅行で改めてガビーさんという人物に出会ってきたのだった。




彼女はWuerzburg(スペル合ってるか不安だわ。)という町に住んでいて、私たちは3週間のうち最初と終わりの一週間をそこで過ごした。


真ん中の一週間はこれまたマイナーな牧場地帯っちゅーのか、牛がそこらじゅうにおるわい、というような、もうオーストリアがすぐそこの山の向こうというような田舎の町で過ごした。


ガビーさんがもう旅人すぎるものだからいわゆるの観光旅行みたいなものにはならなくて、どちらかと言うと3週間ドイツで過ごした、暮らした、という感じだ。


だからといって家で過ごす時間は半日もないくらい、毎日何かと車で街まで出て街中歩き回ったり、それこそ美術館や教会には行きまくったというくらい行ったし、2時間以上の散歩もいっぱいした。


こんな充実した時間を3週間も過ごしたことがなかったから、ちょっとひと休みが欲しいと思ってしまうくらいだったな。



それでだ。

ドイツで何を感じたかとかそういうことを書いていきたいのだけども、ちょいとひとまずこれはこのへんで終わっとこう。


書き出したらいちいち長いんじゃあ。



ほい、ではまた次回に続くということで。