ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

映画「西の魔女が死んだ」を観て

2011-06-30 23:52:18 | 映画/アニメ









監督  :長崎俊一
製作国 :日本
ジャンル:SF/ファンタジー
キャスト:サチ・パーカー
     高橋真悠
     りょう



ジャンルがファンタジーと書いてあったが、いわゆるのファンタジーな魔法がでてきてどうこう、という感じではない。
ふつうのヒューマンドラマだ。


ある中学生の女の子、まいが登校拒否になり、その子を山の中で暮らす祖母のところで少しの間、預かってもらう事になった。


まいが持つ悩みというのは、誰しもが抱くような中学生のころの特別な不安や戸惑い。
教室にはいくつかのグループができて、グループ内ではさして興味ない話題にもついていかなくちゃいけないし、トイレも一緒に行くし、で大変だ。

でもそれをしなくなったとたん、自分一人だけが仲間はずれになって、いくつものグループは
私というひとりの敵を持てた事により、結束され、教室はひとつの仲いいグループが出来上がった、まいをのぞいて。


祖母は、山で野菜やハーブやミントなどを育てながら、自然と共に暮らす自給自足の暮らしをしていた。
昔の知恵を生かしながらの生活はまいにとって、とても新鮮そのものだった。

そんなまいに、祖母は、魔女修行という名のもと、早寝早起き、食事をきちんと取って、規則正しい生活をすることを課した。
おばあちゃんはまいに、「まいは、そんな当たり前なことが修行?と思ったでしょう。
けど、今のまいにとっては、その当たり前なことが一番難しいんじゃないの?」と言うのだった。
朝起きてから、寝るまでの時間割をつくらせ、日記も毎日つけさせた。



映画のある印象に残った場面。


まい「死んだらどうなるの?パパに聞いたら、死ぬというのは、最後の最後ってことだ、死んだらもう何もなくなる、って言ったよ。
私が死んでもまた朝がきて、ふつうの毎日があるの?って聞いたら、そうだよって言った。」

と泣きそうな声で言う。

そんなまいに
おばあちゃん「それは、まいはずっとつらかったね。実は、おばあちゃんはまだ死んだ事がないから、死んだらどうなるかわからいんだよ。
けど、信じていることならありますよ。おばあちゃんは、死んだら身体から離れて魂が自由になるんだと思う。」

まい「それならはじめから身体なんてなかったらいいのに。私はいまあれこれ考えているこの意識がなくなってしまうのがこわい。
苦しむために身体がある気がする。」

おばあちゃん「そうだね、魂と身体があって、それがまいだから、身体から離れた魂は今のまいであるかはわからないね、こわいね。
けど、身体があるからいろいろなこともたくさん経験できるのですよ。
色々なことを経験して、魂は成長するのです。」

まい「成長なんてしなくてもいいじゃない。」

おばあちゃん「ほんとにそうですね。だけど、草木が光を浴びて、成長するように、魂も成長したがっているのです。それが魂の本質なのです。

それに、身体があると、たのしいこともたくさん経験できますよ。
まいは、冬にあったかいこたつで寝るとき幸せだと感じませんか?
夏の暑い日に、木陰で涼むとき、幸せだと思いませんか?」




私のことばたちなので、少し変な会話になってるかもしれない。
けど、この場面、なんかよかったなぁ。
この映画、とっても静かでゆっくりで、展開がないようであるような映画なんだけど、
じっくり魅せて、いろいろかんがえさせられたなぁ。








あなたとわたしとかいわ。

2011-06-29 03:54:55 | 日記



ぴょわわーっと風がわたしの左腕から右に流れていく。

かぜって、見えないけど、いま確かにわたしの腕を抜けていく。

夜のちょこっと冷えた風。

なんか、おやすみなさいな、ひかりがまぶしいよって言ってる。

わたしは、うん、そうだね、目がもうとろんだよ、ってこたえた。

ふふって、ちょっと上品でうつくしい女の人が笑った。



なーんて、夜はじっくり会話できるね。

昼間は暑いし、あなたと会話もできないでいる。



こころがとってもおだやかで、ここちよいよ。

さて、寝るとするかいな。







音痴、そして、音痴。

2011-06-27 19:51:40 | 日記




今度3日に発表会がある。
それは私が所属するサークルの中での内輪な発表会だ。
それは、音楽サークルで、けんど、いわゆるの軽音サークルではなく、
アコースティックギターを使うサークルなのだが。

軽音とかよりも、ジャンルの幅を問わないため、いろんなジャンル好きがいる。
Folk, Jazz, Rock, Pop, Reggae, やらやら。

だからこそ、色んな曲を聴く事ができるし、聴く側としては、とても楽しめると思う。



それでだ。今度私は仲のよい男友達代表のふたり、合わせてばっぺーと呼んでいるのだが、
彼らとはじめて一緒に出ることになった。

ばっぺーとは、とても仲がいいと思っている。
というか、仲がいいとか言うよりも、私がとりあえず、ふたりの事がすきなんだな。
よくばっぺーに誘われては、夜中に遊び通す。

そして、今日というか、昨日の夜というか、それもまた突然の誘いだった。
バイトが終わり家に着いた頃、見計らったかのように電話がきて、
いまから部室来いよ!あの曲やろうぜ!だから、練習をしよう。とのことで、
私もそのあの曲ってのをできたら、と思っていたので、
早速部室に向かった。


そっから、練習の開始。
ばっぺーのうちのばーやんはうたもギターもできるすばらしいやつ。
ばっぺーのうちのぺーくんはカフォン(手で叩くドラムの代わりがきくもので、アコギにはこれが合う)ができるすばらしいやつ。

私はなにができるかって、ギターは弾くけど、ばーやんほどではないしで、
あの曲ってのは女性の曲だから、必然的に私がうたうってことになるんだけど、、。


私は昔からうたうことがすきだ。
自分が気持ちよく唄う分には何にも困る事なんてない。もちろんね。

だがしかし、こうやって、ギターとカフォンのすばらしい伴奏がついて、そこの音楽に混じって、
うたうってのは、あんまりない経験だ。
自分で弾きながらとかならあるけど、ね。

いやー。何が困るかって。
あたしゃ、極度のリズム音痴なようでして。
ほんとうに困っているのです。

ばっぺーが逆になんでわからんのかわからん、と言うくらい、私はリズムに乗れないのだ。
単に早口が言えないだけじゃね?とか、考えすぎなんだよ、とか、自信がないからそうなるんだ、とかとか。
散々つきっきりで朝まで教えてもらった私は未だ掴めず。

これはひどい。
自分でもなんでこんなんなるのか、って不思議に思うよ。
はー、リズム音痴ってことが、私と音楽を引き離すのだった。
自分でやっている分には、全くリズムなんてあるようでないような世界でうたっているから。

けど、やっぱ音楽ってのはリズムあっての音楽だから、これは苦しい限りなのです。
特訓したらわかったりすることってあるのかな。


そもそもリズム音痴ってなに。
けど、音痴ってさ、私そこまで音痴ではないけど、リズム音痴ではあるのよね、
するとだね、出すとキリないですね。
私、方向音痴だし、運動音痴でもあるかも。



音痴って、わたし、とことん音痴じゃないか。

けど、そんな自分も悪いことはない、かもね。
困るんだけどね。


そんで、一睡もせずに運動音痴な私が向かった先は体育館。
今日はマンデイ、バスケの日。
ばっぺーたちとまたいい汗かいて、がむしゃらに走ったのでした。










おっかさんの味。

2011-06-26 11:24:14 | 日記




ぐーぐー。

ピンポーン!「おはようございます!」


ん?誰だ!と思えば、多分荷物が届いたということで、ドアの前には配達屋さんが立っているのだろう。
寝起きで出るのがちょっとこんなのよろしいのかと思いながら、まぁ出るしかないので、出たのだ。

荷物は久しぶりの実家からのものだった。

送り主はうちのマム。

荷物の目的が今回は書類やらを送るためだったので、手に収まる小さな荷物だった。


うちのマムは料理が上手だ、何よりも料理に対するこだわりが強い。
マムは一切料理に砂糖を使わないし、科学調味料を含んだものも一切使用しない。
醤油はちゃんとしたとこの、ちょびっといいものだし、
酢や味噌、梅干し、それらも全部自分でつくったものだ。
だしもちゃんとと言うより、当たり前に自分でだしをつくる。

そんな味で育てられた私たちは、そりゃ一人暮らしなんてしてみたもんなら、困る困る。
どこで食べる料理も大抵、甘いのでごまかした味だ。
普通に食べられるけど、いやに恋しくなるのはおっかさんの味だ。



荷物の中にちょっとのふきが入っていた。
ふきを食べた事もない人は多いだろうけど、ふきってのは、んー、、、
カエルがよく乗っていそうなあの丸くてそんでもって、ちょっと切り込み入れたような葉っぱのこと。
その茎を調理してくれたものだったのだけれど。


早速、一口食べてみると、途端にうわー、この味。
と、妙にとってもおいしく思う。
いや、実際においしいのだけれど、実家にいたころはそんな、うわっこれおいしいわ、
と私がふきに対して特別そう言ってなかった気がするけど。

今ほど、なんじゃこのうまさは、と思えることはない。
かつおぶしのきいた絶妙なしょっぱさ、なんともなんとも。



けど、こういうものを大学生のものに送ろうとするところがおっかさんだよな、と思った。
けんど、ありがたやありがたや。








TRIO.

2011-06-24 23:55:16 | 日記






今日は50代トリオさんたちとの会話にもまれにもまれた、いい意味で。
ひとりは、私のバイト先のフランス料理屋さんの料理人で店長のムッシュ。
ひとりは、ムッシュのお店の左となりのとなりの洋服やら屋さんのコトさん。
ひとりは、ムッシュのお店の右となりのオーディオ屋さんのコヤマさん。
3人はとてもいい感じの雰囲気がある人たちで、
彼らがお店を開いたときからの仲らしく、もう26年もの付き合いになるらしい。
いつかみんな同じ老人ホーム入ってわいわいしようやって笑って言ってる。


お店が開く前やお店が暇なときに、たまにひょっこり顔を出してはおしゃべりしにくるコヤマさん。
お店を閉めるぞーってなときに、たまにひょっこり飲みにくるコトさん。
私もだいぶ彼らとも親しくなってきて、私も混じってムッシュと3人でおしゃべりするほどだ。


今日はお店を閉めるってなときにコトさんが飲みにきて、私はまかないを食べながら、
3人でおしゃべりしていたらムッシュが風もお酒飲んだらと言ってくれたもんだから、
コトさんと一緒にカウンターに座ってお話をしてた。
ら、それを目にしたコヤマさんも加わった。このトリオの中に私一人というのはちょいと変な感じだった。

トリオさんたちは、若い子ふうちゃんに色々言いたいことがあるみたいで、
懸命に色んな話をしてくれた。
それは、50代のリアル?で、率直なお話だった。
それがなんともうれしかった。

大人な会話だった、いろんな意味で。
社会について、節電について、天皇について、日本について、
宗教について、男と女について、愛について、音楽について、
ドイツについて(これは今度私がドイツに行くもんだから、3人が持ってるドイツに関する知識を引っ張りだして色んなことを話してくれた)、
とまぁ、ほんとに、色んなことについてお話した。

私と話した、というよりは、私に話してくれた、かな。



私が育った環境上、私は一般より、何が一般かってむずかしいことなんだけど、
その上で使わせてもらう、私は親や先生以外の年上の人との交流が一般より多く持てていたと思う。
そのおかげか、同年代の子よりも年上の人の方が未知なふうに感じないし、すぐに好感がもてやすい。

それこそ、実家で暮らしていたころは、大人は大人同士でと、あんまり自分からつっこんで
仲良くなろうとしなかったように思うが、いまは逆に自分からつっこんでいく事が多い。
たぶん人よりたくさんの教授と仲がいいと思う。自分でもびっくりするくらいに。


そんな私が今日は3人の大人に囲まれて真っ向から向き合って3時間もおしゃべりしたのだった。
なんか、あーとうとう自分もこっち側に混ざって会話したいと思えて、
彼らのことばにいちいちうーむむと思わされたり、たのしいなと感じたり、
そんな感じがちょっこし不思議なきぶんだった。



帰り、コヤマさんが送ってくれたんだけど、

コヤマさんが私に『人は、自分にしかわからん苦しみや悩みがある、けど、それがないといかんのだよ。
特に若いときは何もわからんから、もっと知りたいとかわかりたいとかで、懸命にやれるんよ。
毎日精一杯学べるんよ。それと、人には運ってものがある。風は仲のいい家族に育てられかわいがられ、
親がそう育てたから、俺らもみんなお前をこんなにかわいがりたくなるんだな、それはお前の運、幸運。
これからお前がどう生きていくか知らんけど、自分を大事に大事に生きてくれ。」

と言ってくれたんだ。


じーんときた。
なんだかとってもうれしかったんだ。
あたしゃやりますぜ!だから、みててくんなせい!と思おたのだ。
ほんとに、ありがとうです、トリオさん。