雑居空間
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 五稜郭へ行った後、その近くにある四稜郭にも行ってきました。



 1868年に五稜郭を奪った旧幕府軍は、その周囲に次々に防御拠点を作っていきます。その中のひとつが、五稜郭の北北東約3.5㎞ほどの所に築かれた四稜郭です。
 東西約100m、南北約70mほどの範囲に、その名の通り四角く土塁を築かれており、その四隅には突起が設けられていて、それぞれ砲座が配置されていました。

 四稜郭は1869年に完成。周辺住民も動員して、昼夜を問わず作業をして、数日間で築かれました。
 新政府軍との戦いでは最前線になりましたが、四稜郭と五稜郭の中間地点にある権現台場が陥落してしまったため、守備隊は孤立を恐れて四稜郭を放棄し、退却したとされています。

 現在は国の史跡に指定され、その遺構は良好に保存されています。 





 まずはセイコーマートで水分補給。
 五稜郭から四稜郭まではおよそ3.5㎞。それほど大した距離でもないのですが、時刻は午後2時過ぎころの暑い盛り。四稜郭まではゆるやかに上りになっていたことと、だんだん建物が減って日陰のエリアが少なくなっていったこともあって、思っていたよりもキツかったです。
 暑いことは暑かったけど、一応日陰に入ったり、風が吹いたりすればそれなりに涼しくなる分、東京よりはマシな暑さでしたかね。



 そんなわけで四稜郭に到着。



 入口付近にあった案内板。



 全体の地図はこんな感じです。



 入口のある東側から四稜郭を眺めて。



 南側に内部へ入っていくための入口があります。



 「史跡 四稜郭」。



 四稜郭の内部をざっと見渡して。



 土塁の上。



 土塁の外側。一応空堀になっているようです。
 でも、突貫工事の悲しさか、高低差が少なすぎる気がするんですよね。



 クソ暑くてバテバテだったので、東屋でしばし休憩。身体中にため込んだ熱が全然発散してくれないので、再び歩きだすまで結構かかってしまいました。





 函館市街へ戻る途中、権現台場跡にも寄ってみました。ここは現在、神山稲荷神社となっています。



 西から眺める上山稲荷神社。高台の上にあります。



 時刻は午後4時を過ぎ、だいぶ陽も傾いてきました。でも、なかなか涼しくなってくれません。





 途中にあった梁川公園に、榎本武揚の胸像がありました。





 この日最後の訪問地は、若松緑地。新選組の副長だった土方歳三の最期の地です。

 

 旧新選組隊士は西にある弁天台場を守っていたのですが、そこが新政府軍に襲われ窮地に陥ります。土方はわずかな手勢を連れて救援に向かいますが、この一本木関門で新政府軍との戦闘となり、命を落としました。



 いやいや、暑い一日でした。北海道の涼しさを過大評価していたようです。

 四稜郭は急ごしらえの砦なので仕方がないのでしょうが、ちょっと小ぶりでしたね。旧政府軍も精一杯頑張っていたとは思いますが、やっぱり物量に差がありすぎて、新政府軍が本腰を入れて攻めてきたらどうにもならなかったでしょうね。旧幕府軍も局地戦では勝ったり負けたりでしたけど、勝ったり負けたりだと物量に乏しい方が先に手詰まりになってしまうわけで……。



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