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雑感録

福岡なるほどフシギ発見~おまけ9~ お櫛田さんは、山笠ばかりじゃないのよね

 
櫛田神社
757年(奈良時代)~

藤原純友の乱の941年(平安時代)、朝廷軍の反撃で本拠地・伊予を追われた純友は西に逃れ、博多湾に上陸すると、水城を抜いて大宰府を占拠(ちなみに純友の父親は元大宰少弐。純友自身もその頃大宰府にいた可能性があるらしい)。
しかし、純友の弟の軍が柳川に迫ったところで大宰権帥の橘公頼(たちばなのきみより)に破れ、小野好古(おののよしふる/小野妹子の子孫で小野道風の兄だとか)らの朝廷軍が九州に着くと大宰府を焼いて博多湾にこれを迎え撃つも、大敗。
純友は伊予に逃れるも捕まって斬首、晒し首となった。


博多の総鎮守・櫛田神社。
いまさら私が言うまでもないが、一応言っておくと、博多っ子が誇る天下の祭り・博多祇園山笠の舞台でもある。
創建は757年と言われ、藤原純友の乱の際には、追討使・小野好古が戦勝を祈願して京都山城の祇園社(現八坂神社)の素盞鳴大神(すさのおのおおかみ)をここにも祀ったのだとか。
平安末期(12世紀後半)、日宋貿易のために袖湊を整備した平清盛が肥前神埼(平家の荘園の一つ?)の櫛田宮から分社したという説もあるが、それだと小野好古の頃には神社はなかったことになってしまう(と言い切るのはいささか乱暴なのだが)。
清盛が起こしたのは野芥の櫛田神社ではないかという話もあるが、こちらも創建はおよそ1200年前と言われているし、貿易のための祈念ならば内陸に置くのもちと変な気がするんだけど。

いずれにせよ古い歴史をもつ神社であることに違いはないが、博多の寺社の例に漏れず、戦国期の博多争奪戦の中で焼失してしまう。
これを再興したのが太閤秀吉で、現在の社殿はこのとき造られたものだとか。
詳しくは後に述べることになると思うが、博多にとっては秀吉様々なのである。

江戸時代の神仏習合期には東長寺の管理下に置かれ、現在の櫛田会館がある場所には東長寺系の神護寺があったという。
いまさら私が言うまでもないが、山笠の清道が東長寺前にも設けられるのはそういう由縁からなのだが、山笠の発祥はお櫛田でも東長寺でもなく、承天寺といわれてるんだよなあ…(だから「承天寺参り」というものはあるんだけど)。



赤くてでっかい提灯が下げられる楼門。提灯の向こう側には干支恵方盤というものが下げられていて、その年の恵方が示されている。
関係ないけど、節分の「恵方巻き」ってのはコンビニが広めた関西の風習。九州人が太巻きなんか食って喜んではいけないのである。


拝殿にはやたらと天狗の鉾(?)がある。祀られている神様と何か関係があるのかな?(いろいろ見てたらどうもたいていの神社にはあるみたいだけど)
ちなみに本殿は左に天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、まん中に大幡主大神(おおはたぬしのおおかみ)、右に素盞鳴大神が祀られているらしい。

2011.7.24追記
昨日の博多っ子講座での宮司・阿部さんのお話によると、天狗は福岡あたりに多かった山岳信仰によるものではないかということで、他所にはあまりないものらしい。



頭上の破風(はふ/屋根の下の三角部分に施された板)にある博多風神雷神。左(写真上)の雷神が嵐を起こそうと風神を誘っているのだが、右(写真下)の風神は赤ちょこべ(博多弁で「あっかんべ」)をしながら逃げ回っているそうな。


同じく破風にある妖しげな怪物。もしかしたら烏天狗?



拝殿前にある霊泉鶴の井戸。
一口目には自分の不老長寿を
二口目には家族の不老長寿を
三口目には親類縁者の不老長寿を

願いながら三口で飲めとあるのだが、その裏にはこんな説明書きが! 欲張ってガブガブ飲んでは危ない、危ない。



本殿右手にある博多べい(秀吉による博多再興の際に、割れた陶器や瓦などを混ぜ込んで造った土塀)は、当時の豪商・島井宗室の屋敷跡にあったものを移築したものらしい。



昔、有名力士が力自慢に持ち上げた石を奉納したという力石。「朝青龍」と彫られた石もあるが、たぶん本人が奉納した訳ではあるまい。


樹齢1000年といわれる櫛田の銀杏。「ぎんなん」ではなく「ぎなん」と読む。



境内にある博多歴史館。かつて櫛田神社には、1818年(江戸時代後期)に創設された世界初の公立図書館とされる『櫛田文庫』があったのだとか。ここにはその古文書の一部や、秀吉の朱印状(展示はレプリカ)、太閤検地に使われた間杖の複製(本物は豊国神社にあったが、空襲で焼失)、細川幽斎愛用の茶入などの社宝が展示されている(山笠関連の資料については、いまさら私が言うまでもあるまい)。
確か小野好古に因んだ刀もあったと思うのだが、よく覚えていない。また行くことがあれば確認しておきます。

追記:再度行って確認したところ、小野好古ではなく、海側から純友を攻撃した大蔵春実(おおくらのはるざね)の短刀「天国」でした。説明書きによると、大蔵晴美(とも書くんだろう)は櫛田神社で退賊祈願を行ない、見事純友軍を撃退すると、その功績で朱雀帝より短刀「天国」を賜り、征夷大将軍(征西将軍の誤りか?)に任ぜられたとか。説明も少々混乱しているようです。ちなみにこの大蔵春実、後に土着して糸島の豪族・原田氏の祖となっています。


神社の祭りとしては、博多祇園山笠については今さら私が言うまでもないが、2月の節分には楼門に巨大なお多福の面が飾られ、博多座ができて以降は二月歌舞伎の出演者が豆まきに参加することでも有名(ちなみに博多でもっとも節分祭が賑わうのはここと東長寺というのも兄弟関係ならではなのか?)。
10月23、24日は「博多おくんち」が行なわれているが、私は未だに見たことはない。

櫛田神社
 大きな地図で見る
福岡市博多区上川端町1-41
駐車場:あり(有料)

博多歴史館
入館料:一般300円
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜(正月、大祭期間中は開館)

関連スポット
「博多町家」ふるさと館

櫛田神社の楼門向かいにある民俗資料館&お土産どころ。昨日'10年4月22日、展示棟が14年ぶりに全面改装してリニューアルオープンしたそうな。館長は漫画家の長谷川法世氏。


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