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雑感録

福岡なるほどフシギ発見~おまけ13~ 福岡にもあった!日本の都

 
朝倉橘広庭宮公園
661年(飛鳥時代中期)

661年、百済が唐・新羅連合軍に滅ぼされ、百済救援軍派遣のために斉明天皇が朝倉宮に乗り込んできたのは先述の通り。
いろいろ調べてみると、これは単に朝倉に下ってきて陣を敷いたとかいう程度のことではなく、後飛鳥岡本宮から朝倉の橘広庭宮に遷都した(日本の都を朝倉に移した)ということらしい。
斉明天皇に従って中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人皇子(後の天武天皇)兄弟や中臣鎌足らも朝倉入りしてるそうな。

都があったといわれてるあたり(正確な場所は未だ不明)は橘広庭宮公園として整備されていて、丘の上には橘廣庭宮之蹟の巨大な石碑が建てられている(TOPの写真)。
また、400mほど手前(朝倉IC側)には天子の森というところがあって、この付近が宮だったという言い伝えがあるらしい。

天子の森(といってもほとんど“林”だけど)。ここの案内版には斉明天皇の大本営跡と書いてある。あたりは一面の果樹園(たぶん)で、GWというのに人影もない(天気が悪かったけどね)。


斉明天皇は朝倉に入って2カ月ほどで崩御したため、朝倉が日本の都だった期間もそれで終了。
後に中大兄皇子が斉明天皇を弔うために発願したのが太宰府の観世音寺である。

2011.8.18追記
先日、九州国立博物館で、この朝倉橘廣庭宮の主・斉明天皇にちなんだトピック展示『斉明天皇と飛鳥』を見てきたんだけど、なんと朝倉橘廣庭宮は第I期大宰府政庁跡だったという新説があるそうな。
そういうことなら観世音寺が大宰府に建てられたのもナットク?
『斉明天皇と飛鳥』展が8月28日まで。(終了したら上のリンクも切れるかも)

2012.7.9追記
さらに新説。
福岡にあった!日本の都2 いったいどこなんだ!? 朝倉橘広庭宮


朝倉橘広庭宮公園
朝倉市大字須川
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