Jazzを聴こうぜBLOG版

100の質問配布中。
カテゴリーの「100の質問」からどうぞ。

音楽を聴くのに、知識があるに越した事はない

2004-11-28 20:36:54 | 音楽一般
オーケストラをやっていると、年に一度くらい「奇跡」の演奏が起こる事があるそうだ。プレイヤー、指揮者、聴き手の上に、作曲者というか神様というか、そういうものが御光臨となる。こうなったらミスなど考えられず、作曲家がその音を書いた瞬間の頭の中が分かったり、体臭をかいだり、作曲している屋根裏部屋の情景が分かったりするという異常感覚となる。こういう演奏のあとは全員、しん、としてしまい、拍手などもあまりなく、その場にいる者が皆なんとなく至福の笑みを交し合って自然に散会するという至高の瞬間が出現するらしいのだ。
一度でもこれを知るともういけません。百回の屑演奏があってもなんのその、いつ来るか分からないその瞬間を待ちわびつつ薄給に耐える芸術のドレイとなりはてる。しかし、私見では、日本ではこういうことが起こりにくい。例の、終わるやいなや「ブラボー」と叫べばよいと思っている馬鹿者が、千に一つのチャンスもぶち壊してしまうからだ。

以上は、今読んでいる山下洋輔の「新ジャズ西遊記」という本の中に出てきた興味深い一節。
あるね、これはあると思う。
いや、僕は作曲者の体臭を感じた事はないんだけど(笑)、音楽でこういった「トリップ」しちゃう時ってあるよね。これは聴き手としても演り手としてもある。
僕の場合は演り手としては数度。
1番印象に残っているのは、ピアノトリオにギターを加えた編成をバックに歌っていて、ソロ回しの後にスキャットをとっていて、「ああ、このままずっと歌い続けられるなぁ」って思った時。
普通ね、アドリブソロをとる時って、ある程度ネタとしてストックしてあるフレーズを小出しにしていって間を持たせることも多いんだけど、あの時はそういう事一切なし・・・・・落ち着いて計算してる瞬間がまったくなくて、もう次から次へとメロディが降って湧いたように出てくる。どこまでもどこまでも行けそうだなって、そんな風に思った。
聴き手としては・・・・・しばらく前の投稿で「人間の声の力」っていうタイトルで書いたよね。
あれの他に1度。
クラシックのオーケストラの演奏を聴いていてそうなりかけた事も一度だけあったんだけど、「新ジャズ西遊記」で書かれているところまで行くには、自分の懐にきちんと落ちているクラシック音楽に対する知識が少なすぎた。
あれはハンガリーフィルだったかな・・・・・今でも口惜しく思ってる。

人に聴いた話なんだけど、ヨーロッパの教会でミサの時に聴くパイプオルガンの賛美歌は凄いよって。
これね、その人も話半分で「要するに石造りの建物内部に共鳴して、綺麗に聴こえるんでしょ」程度に考えてたんだって。
で、実際に新年のオーストリアでそういった場面に立ち会った時に、やっぱ凄かったって。
石造りの教会って事もあるんだろうし、あとヨーロッパの湿度や気温、そして風土や信仰そのものに対する真摯さってのも関係してるんだろうね。
もうね、集まっている人がみんな厳かにその場に臨んでいて、凄く静かで、日が暮れて深々と雪が降っていて、粛々となにひとつ揺らぐ事なくお祈りをするんだって。
そんな中でパイプオルガンの音がスーッと鳴りはじめて、空からキラキラと音が降ってくるみたいだったって。
圧倒的で身がすくんだって。
この人が体験した、これもそういった「至高の瞬間」のひとつだろうね。

僕はもうね、演り手としてのキャリアはもう終わっているんだけど、聴き手としてね、またああいう瞬間に巡り会いたいから、今日も音楽の本を読んだり、色々な演奏を聴いて原曲の譜面にそのアドリブを重ねてみたり、せっせと知識をつけようとしてるんだね。
ああいう瞬間に出会うには知識は必要だよ。
トリップしたくても、自分の中にトリップするだけの材料がなにひとつなかったら、やっぱ何も想起されないからね。
最初に引用した話だって、例えばその曲が屋根裏部屋で書かれたって知らなければありえないし、書いた作曲家がどんな人か知らなければ曲を書いた時の心情に思いが及ぶわけもない。曲想のモチーフになった情景(心情?、事象?)を知らなければ、曲そのものに関する印象だって不確かなものにならざるを得ない。
やっぱ知識はあるに越した事はない。
その先にもの凄い瞬間が待ち受けているから。

PS
ただ、知識は自分の懐にしっかりと落ちていないといけないって、思うね。
以前なんだかのオペラ聴きに行った時にさ、やっぱいたんだよブラボーと叫べばよいと思ってるヤツ。
何がブラボーだかわかって言ってんのかなあのオヤジ・・・・・・大体女性のソリストの時は「ブラーヴォ」じゃなくて「ブラーヴァ」だっつーの。
なんてね(笑)。

本日の安眠盤、Dexter Gordonの「American Classic」
ではでは。

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ホントに数度だけ (naruru21st)
2004-11-29 22:05:28
私も歌ってる時に

音と自分が完全に一体化してしまう事が

あります。

でも人生で片手で数えられるくらい。



一度だけ奇跡に近い演奏に関わったことがあります。

超有名なイギリス人指揮者の演奏会の合唱に

どうにかまぎれ込むことができたのですが、

本番の日、もう自分が自分でない感じでした。

歌いながら地球の芯と宇宙の奥を同時に感じるような感覚。

あんなことはもう一生ないと思います。



ヨーロッパの教会は確かに素晴らしいですよ。

私と姉はその場でボロボロ泣いてしまいました。



知識ももちろん、やはり聴きわける良い耳と

自分の感情に対して、敏感に正直に感じることができる心が

音楽には必要ですね。

「きっといい演奏なんだから感動しなくちゃ」って

焦ってるお客さんっていますからね・・・。

あと、すごく感動しても押し隠す人とかね。
返信する
ああ、なるほど (TARO)
2004-11-29 22:32:56
>naruru21stさん



や、こんにちはです。

やっぱり皆さんそういう体験をされてるんですね。

音楽と繋がっているようなあの感覚は、1度でも味わうと、もうね・・・・・ずっと忘れられないですよね。

人生の中でも格別の思い出だと思います。



>知識ももちろん、やはり聴きわける良い耳と

>自分の感情に対して、敏感に正直に

>感じることができる心が音楽には必要ですね。



ああ、仰る通りですね。

知識はあくまで感性と耳を研ぎ澄ます為の肥やしだと、僕も思います。

この「正直に感じる」ってのは実は1番難しくて、下手をすると知識や体面がその邪魔をしてしまう事もしばしば(笑)。

知識をつけることが主眼になってしまい、吸収した知識が感性に生かされていないのかなと・・・・・僕は自分で思う事、あります。

「知識をつけた=音楽を理解した」という勘違いというか・・・・・そもそも音楽は理解するものでなく、感じるものなんですよね。

ここら辺は自戒しないといけないですなぁ。
返信する