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ニュースは踊る

ニュース、その他に関する個人的感想です。「正しいこと」、など書きません。私は名は「三太郎」。

天皇メモは現代の「聖断」である。

2006-07-23 | Weblog

「聖断」か。でも良かったが、たまには「断定口調」にしてみようと考えた。

太平洋戦争、日中戦争が「聖断」で終わったことは誰でも知っている。立憲君主制のもとでは「聖断」は「原則はずれ」、の行為である。まあ事実としてはちょこちょこ「聖断」は行われていたから、特に終戦の「聖断」だけが異常だったわけではない。

「聖断」を仕組んだのは鈴木貫太郎の側近と重臣、および内大臣木戸幸一だと言われている。貫太郎さんだっていきなり天皇のとこ行って「どっちにしますか」なんて聞くわけないから、裏折衝があったのは誰でもわかる。

本土決戦主義者の暴走を止めるには憲法違反だろうがなんだろうが、「聖断」しかなかった。向こうに原則なんてないのだから、終戦工作をしている側ももう原則なんて言ってる場合じゃなかった、のだろう。

今の日本もそうである。小泉に原則なんてない。あるのは非論理と幼稚な信念と伝統の破壊への情熱だけである。「イラクに大量兵器がある」なんて「大嘘」も今では誰も追及できない。選挙制度に欠陥があるのだろう。前回の選挙だって民主党の得票率はそこそこだったが、議員数では小泉の完勝。で、今の自民は勝ち馬に乗る人ばかりなので、「民主独裁」という奇妙なものが成立してしまっている。

小泉内閣とその一派の「暴走」「衆愚をとりこんでの独裁」を止めるにはもう「聖断」しかない。と考えた勢力がいたとしても不思議ではない。「衆愚」というのは小泉にのっかて「先制攻撃」とか叫んでいる人、現代の尊皇攘夷主義者。何故か攘夷は中国、朝鮮だけに向けてるけどね。あと必要以上に力を入れて「自分こそは国を憂えている」と言ってる「知識はあるが自分は見えない人」。

「聖断」をしくんだのは今度は総理ではなく、財界、宮内庁、いわゆる抵抗勢力の一部、自民党良識派などがその勢力の候補として考えられる。

とくに財界にとっては、これ以上、中国、韓国との関係を悪化させることは、経済面からの国益を考えた時、耐え切れぬ事態だと言ってよい。

先帝の声を聞くの憲法違反である。しかしこれが「ソフトな聖断」であるなら、それは是非に及ばぬ事態なのかも知れない。つまり法治国家の原則を破り続ける指導者が暴走した場合、それを防げるのは天皇の権威だけであり、たとえ憲法違反だとしても、それは国を守るために許される行為なのかも知れない。

右翼さんにも左翼さんにも「受け」が悪そうな意見である。賛同者がいないことは分かって書いている。

でも一応ブログ投票を。