ここのところ、許すということについて考えています。
自分を見つめていくと、けっこう許せてないことあるなあ~~と。
すべて(行為があっての結果ですので、)過去のことなのに・・・。
3年前に我が家に来た猫がいて、尊敬しています。かっこいいのよね、こだわらない感じが。根にもたないというかひとつのことにこだわないというか、臨機応変というか、立ち直りが早いというか、かっこいい。
元野良猫で、池袋で物乞いをしていて生きていた猫なので、大変なことがあったのでしょう。だからそうならなければ生きてこれなかったというか、そうだったからこそ生きてこれたというか、そういう感じ。
みなに愛されている。あたし自身も癒される。たぶんこの子は、銀座でナンバーワンホステスになれるタイプってこういう感じの振る舞いをするんだろうなとおもっておる。
もっとも、猫の場合はホステスさんとは異なり女優をしているわけではなく、トラウマだとかそういういい方もできてしまうかもしれないわけであって、だから裏切らないようにしよう、からわかないようにしようとおもう。
あたしもこだわらずにまいりたいものですわねん~~(遠い目)。
許せないのは、誰かであると同時に、自分。というかどちらか片方だけというのはありえない、エネルギーの法則です。
なので人のこと言えたりするほど大した人ではございませんが、誰かを許せないというのは結局のところ、自分を許せないのであって、それはとても苦しいし。ご自身がかわいそうなのです。
ひとつひとつ引っかかっている過去の記憶を見つめなおしている。過去の浄化はときおり、エネルギー的にも、理性的もやる。ここのところ、あまりそこに注力していかなったので、久々という感じ。
やらない期間が続くと、いろいろ滞りだすので、定期的にやるのがやっぱりいいですね。
許す って 『緩(ゆる)し』と同源なんですって。うん、まさに緩める。眉間のシワよ、しこりよ、さようなら~~
集中してぜんぶやってしまえばいいかというとそういうわけでもなくて、そのときに課題になっていることしか、人は浄化できないいものな気がしています。
歩みながら、生きながら、少しずつ。生きているっていうのは、変わるチャンスを持ち続けているってことであって、それは肉体があるからこそのことであり、本当にすばらしいです。
今日も明日も、あたしなりに生きてまいります。みなさまにも、幸ありますように。
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
◆エネルギーサロン・タンタン
~身体の健康と無意識のパワーへ Have a Beautiful Day~