晴耕雨読

本年三月に退職、現在は京都で通勤農業に励んでいます

中学生としてのマナーを身につけよう

2009-05-17 08:10:25 | Weblog
服装や言葉使いの乱れ、乱れというより新しい文化と見るべきなのか判然とはしないが、年配のものからみるとやはり「乱れ」ではないかと思えることが多々ある。
私は服装、言葉使い、マナーなどで最低限度身につけなければならないことはあると考えている。この最低限身につけなければならないことを生徒に身につけさせることが「しつけ」であり、このしつけは一義的には家庭が、次いで学校が行うべきであると考えている。この考えのもとに時に触れ折に触れ家庭への呼びかけをおこなった。

      「中学生としてのマナーを身につけよう」

「この学校の生徒は行儀が悪いですね」とインフルエンザの予防接種の応援に来てくださっていた他校の校医さんがおっしやつていましたよと校医さんから話がありました。
また、教育研究発表会の手伝いにきてくださっていたPTAの役員の方から「校長先生、生徒の行儀が悪いですね。お客さんに道もあけないのですよ」と言われました。
こんな話を聞くと校長として身の縮むおもいがします。
生徒のしつけについて考える場合、学校でしつけるべきことと家庭でしつけるべきことがあるとおもいます。先の二つの事例は学校がしつけるべきことだったと反省しています。
今回は保護者の皆さんに力をいれていただきたいことを書いてみます。

       <言葉つかい>

言葉は自分の意思を相手に伝えるために大切なものですが、生徒たちの会話を聞いていますと、極めて簡単な「ことば」のやりとりにとどまっているようです。
彼らの会話のなかには「論理的なもの」はなにひとつなく、「単語のやりとり」に終始しているようにおもえてなりません。
しかも、絶えず口にする言葉は「むかつく」「腹立つ」「どついたる」「誰に物言うてんねん」であり、極めつけは「殺したる」となります。
これらの言葉は、相手が年上であるとか、親であるとかにかかわらず口をついてでてきます。時には女子生徒の口からも・・。
これから社会生活をしていくうえで、言葉使いは大切な要素になります。したがって「ていねい語」「尊敬語」ぐらいは正しく使えるようにしたいものです。
そのためには、家庭においても日常会話の中で、先にあげたような言葉を子供が使った場合には、根気よく正していって欲しいものです。

        <服装を正そう>

学校に来るときには、標準服を着用することになつています。校門指導をしていますと、標準服を着用していても、第一ボタン、第二ボタンをはずしている男子生徒、ネクタイを短くしたり、別のものを使ったりしている女子生徒、靴のかかとを踏んでいる生徒など指導しきれないほど服装面では問題があります。
人を外面的に評価するのは間違いですが、世の中では往々にして外面的なところから評価されるものですし、心の緩みが服装の乱れとして出ることも多いのです。
整った服装は、周りのものにも気持ちのよいものですし、他の人からも好感をもってみられるものです。
子供たちが、朝、家を出るとき「気をつけていっていらっしゃい」と戸口で声をかけるとともに、子供の服装にも気を配る習慣を親自身が身につけて欲しいものです。

       <ごみの始末>

昼食後や土曜日の午後など、教室や廊下を回りますとパンやホッカホッカ弁当の空き殻があちこちに捨てられているのを目にします。
汚れた教室や廊下ではしっかり勉強しょうという雰囲気がわいてきませんし、外見的にもだらけた学校と目に映ります。
学校でも清掃には力をいれて指導をしていくとともに自分の作ったゴミは自分で始末をするようしつけていきます。
日本人には、ヨーロッパの人びとに比較して「公徳心」が薄いといわれますが、子供のときから自分のゴミは自分で始末すると言うような基本的な習慣を身につけさせたいものです。
そのためには、家庭でのゴミの処理などを積極的に手伝わせてください。生ゴミをだすときは、水をよくきり、しっかりと袋に入れ、決められた日に、決められた場所に出す。
そうすることが、ゴミを収集してくださる人も仕事がしやすいし、町を美しくすることにもなるということを親の口から子供に教えていただくことも、子供の公徳心をつけていくことに成ると思います。
きっちりとした服装で、美しく清掃された教室で丁寧な言葉で話し合われる学校、そのような学校に一日も早くしたいと願っています。ご協力をおねがいします。
           (S63・11・21)