晴耕雨読

本年三月に退職、現在は京都で通勤農業に励んでいます

障害児学級に学ぶ

2008-06-22 11:55:04 | Weblog
私は尼崎市の教育委員会に17年間在職したがそのうち14年間は同和教育関係の仕事であった。この間一貫して述べてきたことは「人権を尊重すること」「一人ひとりを大切にすること」であった。
学校の長として「人権を大切にする」「一人ひとりを大切にする」ことを実践する立場に立った。学校での同和教育の実践は1)不合理な差別を初めとするあらゆる差別や人権侵害の背景を正しく理解させ、差別や人権侵害に組しない生徒を育てることであり2)同和教育の精神を根底にした学習指導、生徒指導をすることである。
この内、とくに2)は日々の教育実践できわめて大切だと考えていた。これは具体的に言えば、学校の中で、あるいは学級の中で一番辛い立場に立っている生徒に焦点をあてた教育実践をすることである。
私は「障害児学級」で学ぶ生徒を焦点化することにした。なお現在は障害児学級は「特別支援学級」と呼称するようになっているが、ここでは当時の呼称をつかうことにする。

「障害児学級に学ぶ」

          昭和63年5月23日   教員向け

私は、今までに知恵遅れの生徒や肢体障害を持つ子供で、普通学級にかよっていた生徒の世話をした経験はあります。しかし、本校のように、難聴学級、言語学級として特設された学級にかよう生徒と接した経験はありません。
校長として、この二つのが学級は本校の教育の原点だと考えていますし、私自身としてもこの学級に深くかかわりを持たなければならないとも考えています。
ただ、残念なことに、これらの学級にどうかかわればいいのか分からないのが実情です。そこで、まずこの問題についての自己研修をすすめることが大切だと思い、研修には積極的に参加するよう努めています。
第二には、できるだけ、これらの学級に足を運び、授業の様子を見るとともに、生徒たちと交流を深めることが大切だと考えています。
難聴学級、言語学級は水谷先生、石井先生、さらに升形先生がかかわってくれています。私はこの三人の先生の授業を見せてもらいました。先日も、水谷先生の一年の国語の授業を参観したのですが、このとき大きな感銘をうけました。

  「生きた授業」
取り扱っていたのは、宮沢賢治の「オツベルと象」でした。
白板には、会話のやり取りの一部が書かれており、短冊も掲げてありました。私が入っていったとき、「息を殺す」という言葉の説明をされておりました。一人ひとりの生徒の顔を見つめながら、身ぶり手ぶりでこの言葉の意味を理解させようと必死で取り組んでおられました。
授業は平板ではなく、絶えず波立っており、授業が生きているという感じがしました。答えた生徒に対してはほめてやり、時には、頭に触れて称賛するというやりかたでした。

   「生徒理解がまず前提」
水谷先生の授業の前提になっているものは、「生徒の耳が不自由である」ということと「言語生活が貧しく語彙が貧弱である」ということにあるように思えました。ここのところは、素人である私の勝手な判断かもしれませんが・・。
この前提にたって、教師が話をする時には、常に生徒と正対面した位置に立つよう努力されており、言葉も出来る限り、平易なものを使うよう心がけておられる様子でした。

   「授業する姿勢
この授業を見て、20年ちかく前の私の授業について反省させられることの多いことを知りました。ここで幾つかのことをあげ、私自身の反省とします。
先ず第一に、自分自身の目の前で授業を受けている生徒たちのことをどれ程理解しているかということ。一人ひとりの生徒を理解したうえできめ細かな指導をしていたかどうか。
第二には、生徒に背を向け、板書をしながら話をしていなかったかどうか。生徒は、黒板の字をノートに書き写しながら先生の話を聞き、理解することは出来ないのではないか。
第三には、教える内容により、表情豊かに、身体全体で教えていこうとしていたかどうか。口先だけで説明に終始していたのではないか。
第四には、授業中で、叱るべきところはしっかりと叱り、褒めるべきところははっきり褒めていたかどうか。

以上のようなことを学びました。
難聴学級、言語学級の担任の先生には、きわめて迷惑かもしれませんが、時に触れ折に触れ、これらの学級の授業を参観してください。特に若い先生は是非参観してください。そうすれば、障害児教育の理解も深まると思います。さらに、教育の原点が見えてくるのではないかと思います。