多聞 きもの手帳 <男の着物日記>

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「葉隠」 武士道といふは、死ぬことと見つけたり

2008年12月16日 | 男のきもの図書室
「葉隠」 山本常朝 (岩波文庫 上中下)
★原文に校註つき
「葉隠」 山本常朝  (中公クラシックス)
★現代語訳

「葉隠」は、江戸時代中期の九州鍋島藩にいた山本常朝という侍が、田代陣基という人物にに口述筆記させた書物である。
江戸幕府の形骸化した骨抜きの武士道に対して、本当の武士道を伝えようとあらわされた本なのだが、その極端な内容から当時は禁書となっていたらしい。本来は口伝するものであり、「葉隠」自身にも読んだあとは焼いてほしいとの覚書が付されている。ちょっと危険な香りがする本なのだ。

想像以上に読みにくい本であるが、想像以上に面白い。
読みにくい原因はおそらく本の成り立ちにある。
この本は、数年間にわたる口述をまとめたもので、その内容は山本常朝のまさしく覚書なので、まとまりにかけるのだ。
武士の心得に始まって、侍としての生活上の秘訣、周囲の者とうまくやっていくための処世術、武士道とたいして関係があるとも思えない世間話、さらには衆道(男色)の手引きにいたるまで、ありとあらゆる話題が、岩波文庫で三冊分、中公バックスで二段組み四百頁以上にわたって、論理的構成もなく並べ立ててある。
しかも、内容の繰り返しが多く、相互矛盾も往々にして見られる。

けれども、幸いなことに、一番有名な句は冒頭に記されている。
引用しよう。
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(原文)
武士道といふは、死ぬ事と見つけたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。
別に仔細なし。胸すわつて進むなり。圖に當らぬは犬死などといふことは、上方風の打ち上がりたる武士道なるべし。二つ二つの場にて、圖に當るやうにわかることは、及ばざることなり。我人、生きる方がすきなり。多分好きな方に理が付くべし。
若し圖にはづれて生きたらば、腰ぬけなり。この境危うきなり。圖にはづれて死にたらば、犬死気違いなり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。
毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり。

(現代語訳)
武士道とは死ぬことである。生か死かどちらかを選択しなければならない時は、死ぬ方を選ばなくてはならない。
別にそれ以上の意味はない。覚悟をきめて前に進むだけである。当てが外れて死ぬのは犬死だ、などというのは都会風の軽薄な武士道である。生死をかけるような場面では思いどおりに行くかどうかは分からない。私だって生きる方が好きである。人間は生きる方に考えようとする。
もし、思い通りにはゆかずに生きながらえたなら、それは腰ぬけである。その境目はとても難しい。逆に、当てが外れて死ねば、犬死にであり気違いざたであるが、これは恥にはならない。これが武士道の本筋である。
毎朝毎夕のように死ぬことを決心して、常に死んだ身になっていれば、武士道と自分は一体となり、一生落ち度がなく、職務をまっとうすることができるのだ。
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生きるか死ぬかという場面では、予測不能なことがある。
その場合の結果としては、
一、目的を果たして、生きながらえる
二、目的を果たして、死んでしまう
三、目的を果たせず、生きながらえる
四、目的を果たせず、死んでしまう

□現代の常識:一と三しか選択肢はない。自分の命が一番大切である。
□上方風の武士道:一が最も理想。二は名誉の死であり武士道にはかなっている。三は生き恥であり最悪。四は犬死にだから出来れば避けたい。
□「葉隠」の武士道:三の結果は何としても避けければならない。だから結果はどうあれ死を選ぶ

こう考えるとやっぱり危険な思想なのかなと思う。
中公バックス「日本の名著」の奈良本辰也の解説も「葉隠」における「狂」、あるいは文中に頻出する「死狂ひ」という言葉をキーワードとして解説している。
それでは次回は「葉隠」の武士道の内容を見ていこう。

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4 コメント

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すごい (Muti)
2009-05-25 00:23:49
このページはすごい!私は今「葉隠」を呼んでいます。英語での「葉隠れ」です。私の国では日本語での「葉隠」を見つけません。
私は「武士道」について卒業論文を書いています。大変難しいですね、武士道についてのテーマは。
あなたのblogはすごいです。私はちょっと助けられました。サンキュー。 blogを書くことを頑張ってください。

URL がありませんから、メールを残します。
私のメール: sho_ochan@yahoo.com
Indonesiaの学生、Muti.
BUSHIDO ( 多聞)
2009-05-31 22:00:53
Mutiさんはじめまして。日本語がお上手のようですので日本語で書きます。

おほめいただきありがとうございます。
武士道を卒業論文の主題に選ばれたのですね。頑張ってください。
このBlogの「武士道の旅」は、実はまだ途中です。
“BUSHIDO”という言葉を西欧社会に紹介した新渡戸稲造 Inazo Nitobe の「武士道 Bushido: The soul of Japan(1990)」に言及していないからです。

この本の紹介は「旅」の最後にと考えていまして、もう少し先になりそうなのです。
死ぬことを見つけたりは… (葉隠)
2010-03-12 10:50:14
葉隠の死ぬことを見つけたりの見解は、

死中に活を見出す…

機に臨んでは、死人で有る覚悟で闘わなければ、

勝機を手にすることはままならぬということを説いたものであると考えます

刀は人を切るに有らず、武士がなぜ腰に刀をさして往来を歩くかということは、

己が生き方をさらして歩くこと、

刀(太刀)とは己が迷いを断ち切るものであると…

長く武道に携わってきた者としての見解を述べさせていただきました。
武士道 (大和多聞)
2010-04-25 14:56:29
長い間コメントに気がつかなくて申し訳ありません。
葉隠さんはじめまして
貴重なご意見ありがとうございます。
本文にも書きましたが、「葉隠」は著者の覚書集のような本で、いろいろと解釈できることも、魅力なのだと思います。

武道を究めると私たちにはわかない世界が開けるのでしょうね。

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