たま多摩自由

たまには玉の輝きを覗いてください。

百歳時代のコミュニテイー

2010-01-23 19:41:28 | Weblog
   百歳時代のコミュニテイー       南野狐
今年の初日の出は2階の窓から拝んだ。少しばかりの雪雲を跳ね除けるような勢いで現れた。まるで沈滞した世相を蹴散らすような意志が感じられた。
 かって旅先の北海道で好感度NO1の地球岬で、子供の頃の阿蘇外輪山「鞍岳」からのダイアモンド光線はいまも脳裏に焼きついている。
 昨今は歳の所為か手じかな風物に惹かれるようになった。
 信心深くはないが正月は氏神様に参拝しないといきなりお屠蘇というわけにいかない。
先ずは落合白山神社に詣で、ついで小野路小野神社に廻る。ここでは甘酒が振舞われる。神社には珍しいことだが「鐘つき」をさせてくれる。
 神社由来とともに「小野神社氏子へのお誘い」なる呼びかけが記載されている。
 長い間、大山神社や高幡不動尊へお詣りしてきたが、手近な地元の神社や仏閣に参詣するようになると氏子意識が程よく芽生え合成されてくる。
 子供連れや意外に多い若い男女のぎこちない参拝作法はさておき、氏子意識がこの地で根づいた感がある。まさに氏子コミュニテイーであろう。
 お宮参りが済むとお屠蘇と雑煮。ほろ酔いの中で賀状を整理する。
 年賀状の添え書きからは品格が読み取れる。印刷だけの賀状は品格仕分け度0。
悪友の「下り坂は長い、しかし速すぎる」には「ギャチェンジを忘れたら免許証は返上せよ!」といってやった。
 また義弟からは「結婚48年を迎えました」とあったが、その連れ合いの添え書きには「良くぞ我慢できた」とあった。それに引き換え我が家の神さんは忍耐強い。もっともその返事には「金婚式は子や孫がやってくれるもの、予知効果としては評価する」と。
 また、かねがね「お酒はほどほどに」と叱ってくれる姉御からは「一病息災。人生100歳!」とあった。それには「気力ますます充実、節々の痛みは刺激と心得候」と。  了
写真は熊本南関

お稲荷さんのお告げ

2009-11-30 15:05:07 | Weblog
    お稲荷さんのお告げ           南野狐
 多摩の里山にもお稲荷さんがひっそりと佇んでいる。見当たり次第5銭をおき、景気回復と諸願成就を祈念する。儲けたためしはないが病気も軽く済み、無難なことが何よりのゴリヤク。
 赤い鳥居と狐はお稲荷さんのシンボルだ。キツネの像は神社の狛犬の代わりだろう。
狐は偽の縄張りを主張するため自分の臭いをこすりつける習性があり、他人を騙すと言われるが、これは神の定めた賢さであり習性としよう。
キツネソバやオイナリサンと手軽な食文化の中で、キツネの嫁入のように、様々なことわざの中でも人間社会にすっかり食い込んでいるようだ。
 狸はメタボの元祖、商い帳をぶら下げた置物から何年たっても卒業できずにいるが、そ
んな奴の××はみすぼらしい。
それに引きかえ狐に象徴されるお稲荷さんは氏神さんと共生して久しい、五穀豊穣や商
売繁盛、さらには家内安全、芸能上達の信仰の対象となり崇められてきた。
 大衆に親しまれるお稲荷さんは穀物、農業の神からまちの商売の対象にまで拡大されたのも稲や農作への祈りに起源するように思える。
 「狐と狸の化かしあい」というが、人様の愛や恋だって似たような手練手管の限りを尽くした騙し愛にすぎない。なべて生物たるものみな同じ。
 今夏の化かし合いの最たるものが暑いあつい選挙。「ブレル・バラマキ」の悪態と誹謗中傷合戦はあまりに醜い。政権にこだわる政党の執念はただの権力渇望に過ぎない。
 国民主権、市民主権と正面から向き合った論点はかげが薄い。
分権時代の自治体のレゾン・デートル(存在理由)はご近所の高齢者や子供の意見が尊重される点にこそある。
お告げによると「理念なき派閥は離合集散を繰り返すのみ、峻別を切望する」とでた。      
     了


多摩自由大学の紹介 

2009-08-25 11:02:11 | Weblog
多摩自由大学の       建学のスローガン
◆有権者の市政への参加意識を高める
◆市民自治の精神で地方から政治を変えていく
◆市政や政治をもっと身近に、分かりやすいものにする
◆市議会の機能を活性化させ、新しい市政の流れをつくる
◆地域に根差した新しい市民文化を創造し、発信していく
◆多くの市民団体や意欲ある行動人とのネットワークづくりをすすめる

 
  

天敵とのパトロール協定 

2009-07-17 16:07:45 | Weblog
天敵とのパトロール協定               南野狐
燃やせるゴミの日、黄色い指定ゴミ袋がカラスに喰いちぎられてしまった。
仄聞ではあるが黄色はカラスには識別できないことからの黄色なのに。
カラスも進化する。少なくとも当地の火・金曜日は燃やせるごみの指定日であるが、カラスのカレンダーにも書き込まれているようだ。
それではと、カラスの天敵である猛禽類、オオタカ、ハヤブサ、トンビそれにカモメやフクロウなどの説に従い、早速駅前の100円ショップでトンビをかたどった模型を求めた。
竿の先にぶら下げたところ、風に揺られて効果覿面(てきめん)。風に舞いギョロリとした眼が鋭く光り、おまけに手すりに当たり音響効果抜群とあいなった。「どうだ!してやったり!」と納得。
しかし、敵もさるもの最近では超低空飛行でゴミ袋を襲ってくる。手を叩き脅してみるがセセラ笑われる。
ついでながら、日本サッカー協会のシンボルマークは、日本神話に出てくる三本足の八咫烏(ヤタガラス)でありその説明によると太陽を表す黄の地に橙の帯の上に、翼を広げてサッカーボールをキープした姿で“素早さ”と“力強さ”を表すとされている。これは、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助氏に敬意を表し、出身地である那智勝浦町にある熊野那智大社の神使である八咫烏をデザインしたものと言われている。但し、出典を巡っては、中国古典由来説と、日本書紀出典説の論争があるらしい。
いずれにせよ、ヤタガラスは高貴なカラスであり国づくりを果たしたのに対して、残飯を喰い荒らしまわる下品なカラスとはそもそも“矜持(きょうじ)”が違う。
そこで街づくりへの政策提言。一本杉公園にオオタカの巣を見つけたことがあるが、ここのオオタカとパトロール協定でも結ぼうではないか、カラスの勝手抑止のために。人はポリ箱を使うことを条件に。狐狸連合。    了

セントラルパーク(中央公園)見られる公

2009-06-11 18:03:21 | Weblog
セントラルパーク多摩に見られる「公」     南野狐
多摩センター駅前のパルテノン大通りを登ると中央公園が広がっている。ヨーロッパの主要都市には必ず標準装備されている「セントラルパーク」がここにある。まさに市民が自由に憩える贅を尽くした公園がこの街の生い立ちを証明しているかのようだ。
公園は市民が寝ころがろうが、駆けっこしようが、大声を出そうが誰はばかることもない自由な活動が満喫できる。学び思索し遊べる格好の場所である。
世界各国の都市のシンボルは公園に見られる。文化・歴史・自然・動物愛護ばかりでなゲーテの公園の思想を俟つまでもない。哲学・思索が年輪を重ねている。カッパがいるかどうか、隊列を組んだ合鴨の行進、カップルの似合う鳥、お洒落なカワセミ、それに暦史の賢さを教えてくれる記念碑や古民家が添えられていると万全。
土地の生んだ偉人・賢人を偲ぶよすがは先進、開発途上を問わず各地で民俗の伝承が誇り高く展開されている。
公園の「公」はまさに「民そのもの」である。この「公」を官が支配したら台無しだ。「民が支配する公」でなければならない(「ソーシャルガバナンス」新しい市民社会の形成―官から民への分権=神野直彦氏)ゲーテは封建領主や貴族が独占していた美しい庭園を、すべての社会の構成員に開放しようと、「公園の思想」を主張した(出典宇沢弘文氏)。と。
多摩中央公園からグリーンボランティアの手で管理されている「緑の川」を北上すると、どんぐり山を経て一本杉公園にいたる。桜前線の高度化に符合するように。
「公」は多摩NPOセンターに限らず「公設備・民設・民営」こそが正統性を主張できると考えるが如何。
重要なことは「民の支配する公が」私物化さされたり、有力な口利き政治家によって補助金対象の管理事業よって金儲けの対象にならないための「法整備」が絶対条件である。        
「公」とはすべての社会の構成員、つまり「統治される者」である民に開放された領域である、というよりも、「民主主義」つまり、「民」が支配している領域でなければならない、もし「公」の領域が「官」に支配されているのであれば「民」が支配する「公」に改める必要がある、「官」から「民」へではなく「官」から「公」へのはずである、実際、「官から民へ」あるいは「民でできることは民で」を合言葉に、「公」を「私」化することが進行している、経済システムも社会システムも、さらには政治システムも崩壊していくのも、「公」を「私」化してしまっているからである、「公」を「私」化するのではなく、「官」を「公」にすることこそ求められている。  了

老いてこそ市民

2009-03-27 19:32:38 | Weblog
「老いてこそ市民」
 「先輩は引っ込んでて呉れ」!。
血気盛んだった若い時代、年長の上司や先輩に、「蟷螂の斧」とは知りながら闘いを挑んだ青二才の頃を思い出す。
同時に、生涯賃金・年功序列で安穏と野党精神がたやすく通用した現役時代の古き良き時代を懐かしく思い出す。
かといって、今日の役所の若者達の元気のなさ。上司の酒場での悪口をさえくちに出来ない無気力さには情けなくなる。
市民活動だって、NPO活動だって補助金欲しさにぺこぺこと、「恥知らずめ!」と怒鳴りたくなる。こんな市民やNPO活動者に改革や革新を期待するのは無理。
多くの志高い人たちが救われない。
頼まれもしないで、役所の下請け走狗と成り果て、自己満足の体制内怠け者。
こいつ等の権力迎合型と闘うには納得できる理論が必要となる。
こんな時は早速図書館へ。税を払わない高齢者であっても文句のひとつも言える論理的根拠を求めに。
 あった。「老いてこそ市民」と叫ぶ小田実だ。彼は60・70年代のオピニオンリーダーであった。鶴見俊輔、開高健等と並んだ「べ平連」の呼び掛け人だ。
 彼は言う“市民がデモ行進一つせずに問題が解決されるとしたら、それは「官的解決」であるし「企業的解決」である”。言い換えると人任せの解決は“「主権在民的」ないしは「市民社会的」解決ではない”。と、小田実の「戦争か平和か」を見つけ出した。
定年退職した当初、私が諦観に似た、妥協は「政治とか教養だとかと全く縁の無い世界」で老後を安穏に唯ひたすら趣味に生きることであった。
外国旅行であったし、市民活動として仲良しサークル活動であった。高校時代以来の絵筆を持ってみたり、記録としてのエッセイに取り組んだり、健康第一とウォーキングに精を出したり。しかし、こんな生き様では、何かが不足。
「何故、役所や政治や権力と対決してはいけない」のか。何か釈然としない。
「老いてこそ市民」のアピールは老いたからこそ納得出来る共感を覚えさせてくれた。
小田実は言う。「名刺交換などの肩書きは一切不要」。ともかく「デモに参加しよう」それからだ。
折りしも、まちづくり運動の中で似非市民派組織が「世代交代」を説く事に疑問を感じた。「チョット待てよ」「高齢化時代においてはその知恵とアイディアじゃなかったか」と。「歴史に裏付けられた高齢者の経験を活かす事ではなかったか」と。
 サムエル・ウルマンの詩「青春」に「青春とは」人生のある期間ではなく、心のもち方を言う。青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青年よりも60歳の人にこそ青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を喪う時初めて老いる。と。
 そうだ、生きてる限り自由と責任を持って胸を張って生き抜こう。
 日々是革新の御旗を掲げて。老旬を汚さぬ為に。歩き始めよう。
「行不由径」(往くに小道に由らず)。

協働について

2009-03-06 11:52:03 | Weblog
  「NPOセンター関連の協働」について一考察     
1・多摩市非営利団体との協働に関する基本指針
「協働」という用語が多摩市での公刊された文書で最初だと思われるのは、多摩市第3次総合計画(1,996策定)ではなかろうか。表現では「さわやか協働プロジェクト」として、あるいは「協働システム作り」となっている。
その後、1997(H9)年7月多摩市は庁内組織として「行政と非営利活動団体等の協働
 に関する調査検討委員会(課長・係長クラス)」が発足、この委員会の検討を得て首脳部会議は1999(H11)年2月多摩市非営利団体との協働に関する基本指針(下記2・)を策定した。さらに3月にはNPO支援センター設立に向けた「市民検討委員会」の市民公募につなげた。
2000年(H)12年)1月、市民検討委員会は「FINAL REPORT」「提言書」を纏め市長に提出し、行政はこれを受理した。
その内容は他市には例を見ない「自主自立の精神に則った公設備ではあるが市民設立・
市民運営」であり、同趣旨での多摩NPOセンターの開設(同年5月)につながった。
 この協働の歴史は、10年前の市民検討委員会へ委ねた「行政の度量」と、何よりもFINAL REPORTを纏め上げたミッションは「市民の覚悟」の表明ではなかろうか。

2・NPOセンターは「起業支援組織としての中間組織」での協働
  多摩市の基本指針は『多摩市は、法制度に基づく法人格の有無や活動分野に関わらず、市内に活動する市民団体を行政共々に地域社会を支える担い手と位置づけ、当該団体の活動に公益性があり地域社会の課題に対して市民参加の方法で取り組むとともに営利を目的としていない自主・自立した運営をおこなっている団体を非営利団体と定義する』となっており、「FINAL REPORT」によると「その要件充たす団体が支援センターの対象になりうる」。同好会とは性格が違うとしたと考える。
なお定義では・①公益性・②非営利性・③自主・自立性・④自発性・⑤組織性・⑥非政府性 となっている。

3・多摩NPO協会について
  「FINAL REPORT」を纏めた市民委員会を中心にNPOセンター運営協議会を立ち上げ、市からの随意契約のもと2000(H12)年6月から2005(H17)年3月までの間NPOセンターの運営にあたってきたが、同年4月、市により会の名称変更を理由にセンター運営受託団体から外され、現在は落合の事務所で「NPO協会(加盟団体50)」独自に創設時以来の活動を抗議活動とともに、継続し新規事業を展開してきた。
  この間、NPO協会では市長宛「協働の解釈に関する確認」を求めた。この文書回答では(H17・10・13)「ファイナルレポートの理念を今後も尊重する」とある。
また、平成19年12月13日NPO協会は市議会に対し「多摩NPOセンター運営に関する市民会議開設の陳情」を提出、全会一致での趣旨採択となった。

4・市民検討会議について
前記3で述べた市議会での全会一致の趣旨採択を受け、市民会議が開催されることとなったが。その会議は昨年、平成20年2月から7月まで11回開催された。その後さらに10月から本年2月まで10回の「NPO市民検討会議の準備会」となり、
さらに新年度、平成21年4月から22年3月まで1年間、運営検討会議の会議期間が予定されている(支援課作成案)。
この結果NPOセンターは、基本指針(参照1)には無い「市民活動支援課が実質的には2年間、管理し運営する」こととなった。
管理・運営権をめぐって官の失政(市民批判)あるいは民の失敗(行政の批判)によるNPOセンターの管理・運営権争いの展望のない「繰り返し」から脱すべきではないか。

5・まとめ
こんにちの福祉社会の再構築のための中間組織としてのNPOセンターの役割は大きい。「公・民協働による運営組織」として官・民とも減点主義ではなく、思い切った加点主義的事業評価組織に脱皮し、多少の失敗は寛容(次なる出発)すべきではないか。
NPOセンター検討会議は創設時の「自主・自立の精神」の原点を踏まえ、次なる「市
民が主役(公=民)の社会システム(ソーシャル・ガバナンス)」について議論し模索すべきではなかろうか。
 NPOセンターは行政と市民団体との間の中間支援組織である。個々のNPO活動ではなく、多摩市におけるNPOあるいは市民活動をサポートし、コーディネートするところにある。  (了)

多摩市議会改革への意見

2009-02-17 14:27:59 | Weblog
議会改革の本丸は「議員定数20名」にある        
―市議会基本条例の制定は議会改革の核心にこそある―
過日の市民アンケート調査による市民の最大の関心事は永住志向への環境整備にあった。これまでの住環境(ハード)は国内最大の贅を尽した人工都市であったことは間違いない。(本シンポ記録参照)
これは行政や議会、あるいは市民が創ったものではなく「個々の市民が選択し移住してきた」ものにすぎない。自己選択・自己責任という意味ではこれまでは賢かったが、何時までも上手くはいかないのが世の常ではなかろうか。
財政再建プランを見るとき維持管理経費や無駄な便乗施策では元の木阿弥の危惧を持つ。  
すでに都や公団は多摩市では終息宣言をしたように逃げの姿勢が随所に見られる。高度成長時代のユーザー不在の未来都市の管理運営は高齢化を迎えた多摩市民の背負い込まされる結末となった。ひいては行政責任とそれを監視すべき市議会にある。
まさに「地方政府のリスクマネージメント能力」であり、市民にとっては「人任せ体質」からの脱却であり「課題を先送りにしない」新たな責任を伴う行動と選択が求められる。
 
市議会の存在理由は“無駄をしないスリムで効率的な行政運営を監視し政策提言するための、市民と協働する議会”である。言い換えると傍観的存在は許されない。温情的(思惑的)な無駄は地域内民主主義の崩壊に直結する。
多摩市の最大の課題は中央集権的民主制からの決別であり、「身近な市議会」の創出によって、要望要求の取捨選択であり、「福祉優先」のルール創りにある。

「美辞麗句、自己陶酔型作文合戦で、実質は2名減だけの改革」で済ましてしまうような愚は無責任の誹りを免れない。16万市民の代議制は20名で充分。
本来、議員定数の策定(案)は市議会自身には無い。「最高規範たる自治基本条例に定める住民投票」に準拠することこそ多摩市のコンプライアンス(正当性)ではなかろうか。
早く、その条例制定の手続きに入り、この限りでの首長の責めは大きい。
折角の機会である、市民の率直(本音)な議論により、議員が喧伝してきた「身近な市民参画による市議会改革」の實を挙げられることを切望する。
議員定数を直接民主主義で決めた暁は、かって日経新聞が公刊した多摩市「市民参画度NO1」が「多摩市議会」でも全国自治体議会の範となり得ると考える。 (了)


シンポジウム=協働の研究発表会

2009-01-04 09:05:47 | Weblog
          市民提案型まちづくり事業補助金対象事業
     多摩市における「市民協働」の研究
      研究報告書の発表会
2月11日(祝日)午後2時~4時(1時30分開場) 
多摩市総合福祉センター7階大会議室

多摩市の市民自治・市民協働をめぐって
   対談「報告書を読んで」
渡辺幸子多摩市長  山内和夫多摩自由大学学長
     意見交換「私はこう考える」    会場の参加者
        定員60名  参加費(資料代)500円

多摩自由大学は昨年7月から12月まで、「多摩市における市民協働の研究」を主題として連続シンポジウムを行いました。5回にわたるシンポジウムのテーマと発言者は裏面の報告書目次の通りです。このシンポジウムは多摩市が目指す「市民がともに支えあうまち」を実現するためには何が求められているか、現状と課題を探るのが目的でした。
 「市民参画」「市民協働」は最近の流行語とも言える言葉です。しかし、それを実現するためには、いま現在の制度や行政の実態を明らかにすることがまず求められます。現実を見ない論議は砂上の楼閣の危うさを免れません。
 5回のシンポジウムには市長をはじめ行政の第一線を担うパネリストが参加し、会場の参加者も含めて活発な論議が行なわれました。
 その記録が「多摩市における市民協働の研究」としてまとまり、公刊することになりました。A4判140ページという大部なものですが、討論の内容を話し言葉で再現し読みやすいものになったと私たちは自負しております。
発表会では参加者の皆さんに報告書を見ていただき、意見の交換をしたいと考えています。
■ 会場の多摩市総合福祉センターは多摩市南野3-15-1(電話042-356-0303
■ 小田急唐木田駅下車5分)です。       主催 多摩自由大学 電話376・0038

にんにん介護時代

2008-12-17 16:53:54 | 私の意見
「にんにん介護時代の環」        南野 狐
 人気の朝メロ「だんだん」は双子の姉妹が音楽の世界にデビューするのか、親の轍(てつ)を踏むのか、緊張の毎朝である。
 どこの家庭にもある挫折した経験を持つ親と、多感な夢みる子供達との葛藤は何故か身につまされる。
 姉のめぐみが好きな音楽を捨ててまで、高齢者ホームでの介護の道を選ぶ「けなげさ」には共感を覚える。

「老老介護」という表現が、いまや「認認介護」と言われる。認知症者が認知症の連れ合いを介護する時代となった。しかし、目標は「人人介護時代」ではなかろうか。
「街づくり」はつまるところ「人づくり」にある。さらには、人づくりが希望に満ちて出来る環境の整備が必要である。
身近にいる、高齢者や障害者、あるいは権利の主張のできない子供たちへの施策は「公共の責任」である。

眼の見える地域における、総合的な実績のある社会起業家を中心とした医療や介護・看護、あるいは教育関係者、ソシャルワーカー等々の有機的な「環」が活動出来る場所が必要である。

認認介護社会での現状は深刻である。ここでの行政施策の不作為は許せない。
協働の「ネットワークなんて不要」論は「理論ばかりの現場知らづ」ではなかろうか。

今や何時でも何処ででも支えあいが可能となる「協働オープンスペース」の開設が望まれる。切羽詰った高齢化時代に於ける緊急解決策だと考えるが如何。

姉妹が唄う「袖すり合うも他生の縁」ではなかろうか。   だんだん。

多摩自由大学第5回(最終回)のご案内

2008-11-22 15:00:04 | Weblog
新しい流れをつくる 市民が主役の市民による市民のための
多摩自由大学  
市民提案型まちづくり事業補助金対象事業
     多摩市における「市民協働」の研究⑤
    シンポジウム「協働社会の課題と未来」
   12月14日(日)午後1時半~4時半 
パルテノン多摩第二・第三会議室
発言者 田村 一夫氏(多摩市副市長)
         小林  隆氏(東海大学准教授)
         谷本 寿男氏(恵泉女学園大学教授) 
         山内 和夫氏(東海大学教授・多摩自由大学学長)
      司会  西田 昌弘氏(多摩自由大学理事長)
        定員45名 参加費 資料代300円

私たち多摩自由大学では、これまで4回のシンポジウムを通して、市民が行政に参画する「市民協働」に関して、すでに始められているいろいろな分野やこれからの協働について討議を重ねてきました。その討議の中でさまざまな問題と課題が浮かび上がってきたのですが、なかでも行政のスタンスがかわらなければ、協働には限界があるということでした。
そこで最終回の今次シンポジウムで、これからの協働社会に対応していくうえで、いまの市民と行政のどこがネックになっているのか、あるいは市民同士がどういう関係を築いていけばよいのか等について、前回までのシンポジウムのパネリストと多摩市の副市長を招き討議していただきます。
 論点を明らかにする意味から、前半はパネリスト同士の討論を、後半には協働の具体的な方向について、会場の皆さんにも加わっていただいて意見交換をしたいと思います。
主催 多摩自由大学 電話376・0038
206-0032 多摩市南野3-5-29 大津山方

多摩自由大学市民企画講座(第4回)案内

2008-11-01 09:34:43 | Weblog
 多摩市における「市民協働」の研究④
    シンポジウム「少子高齢社会と市民協働」
    11月16日(日)午後1時半~4時半 
          パルテノン多摩第二・第三会議室
 
  発言者 中嶋  理氏(多摩市社会福祉協議会会長)
  湊  保弘氏(多摩市高齢者社会参加拡大事業運営協議会前代表)
  遠山 洋一氏(バオバブ保育園ちいさな家園長) 
  曽我 好男氏(多摩市健康福祉部長)
  福田 美香氏 (多摩市子ども青少年部長)
  司会  阿部 裕行氏(多摩自由大学理事)
        定員45名 参加費 資料代300円 
 多摩市は国内最大規模のニュータウンです。ここでの福祉社会の維持と充実は市民による支えあいとコミュニテイーにかかっています。多摩市構成員のそれぞれの役割分担による協働が試されています。
みんなで本音の討論を展開してみませんか。

「うちのオジーはしょうがないヮさー」

2008-10-12 07:55:32 | Weblog
「うちのオジーはしょうがないヮさー」           多摩狐
朝のTVドラマ「美しい(チュラ)海」での沖縄のオバーの「うちのオジーはしょうがないヮさー」発言は「シッカリもののオバー」を際立たせることには効果的だったが、ともするとグウタラ親父への失望表現として定着してしまった感がある。
 元々の用語用例によると、沖縄のチュラ親父達、言うならば「熾烈な沖縄地上戦と永い占領時代にあって被征服民族として生き延びた」働き者で、敬愛すべき男達への「感謝」と「ねぎらい」の言葉であった筈。歴史は時として言語の真の意味を歪曲する事の一例だ。 
多摩ニュータウン特有の集合住宅におけるデモクラシイー、とりわけコミニティーの形成にあたっては、保育やPTAでの出会いを期に逞しい女性群が育てられその功績は大きい。
地縁も血縁もない、抽選に当たったに過ぎない云うならばあてがいぶちの環境にあって、子供を介した日常生活と会話をベースに、形成された生活者視点と言うことだ。
ここで鍛えられた女性群は仕事にかまけている男達を尻目に強く逞しく育っていった。
そして、行きがけの駄賃と言うのは言い過ぎかもしれないが、「うちのオジーはしょうがないヮさー」を、「グーたらオジーはしょうもないない」と付け加える事で。なにかと口煩いオヤジへの鬱憤晴らしにしてしまった。と。思い過ごしかな。
ウッカリすると女系家族にあっては、間違い無しにのけ者となってしまう。
其処ではどんなに粋がってみても「犬の遠吠え」に過ぎない。隠居の身にあっては無残と言うべきか。
オジー諸君!。無駄な抵抗は止めよう。難しい事は賢いオバーや嫁に任せておけばいい。
高級機能つきの炊飯器、洗濯機、掃除機、などは元々難しく出来ている。オジーには所詮無理だ。「三種の神器時代の簡便な機能はトックに終焉した。
オジーには他に大事なことが一杯ある。惚けてなんかいられない筈。
文化、芸術、にポジティブに生きよう。焦らずユックリと。其処には歓喜し感動できるスリルにさえ満ちた隠れ家が一杯ある。
ご隠居の独身貴族は特にモテル。子供は鼻から相手にしないに限る。放りだされるか、たらい回しされるのがオチ。他者に縋り付くのは恥と心得よ。
既成の価値観からの脱却と自己改革、革新から。         了

多摩自由大学シンポ「街づくりとコミュニテイー」

2008-09-26 08:39:45 | Weblog
新しい流れをつくる市民が主役の市民による市民のための
― 市民提案型まちづくり事業補助金対象事業―
     多摩市における「市民協働」の研究」③
    シンポジウム「街づくりとコミュニティ」
   10月5日(日)午後1時半~4時半 
   パルテノン多摩第二・第三会議室
発言者  小林  隆氏(東海大学政治経済学部准教授)
大木 貞嗣氏(多摩市自治推進委員)
坂下  肇氏(多摩市自治連合会役員) 
太田 義次氏(多摩市企画政策部長)
司会 大津山壽久氏(多摩自由大学事務局長)
      当日会場へ直接お越しください。開場PM1:00
  定員45名 参加費 資料代300円 
 
 多摩市の街づくりとコミュニティは、多摩ニュータウンの開発を抜きにしては語ることができません。この開発は、ゾーニングという手法によって地域を分け、住区・公共施設・商業施設等を配置し、これを幹線道路と生活道路によって区切るという極めて計画的なものでした。
 このニュータウンに大勢の住民が転入して新たなコミュニティをつくるとともに、既存地域の住民とも交流が始まりました。それから三十年余、多摩市も都市としての成熟期を迎えました。市内には自治会・管理組合が組織され、地域住民のためのコミュニティセンターや各種の公共施設も整備され、様々な趣味から街づくりまでを目的にした市民の活動も活発です。行政も総合計画の中で「みんなが支え合い、安心して暮らせるまちづくり」を目指しています。しかし、本当に成熟した街になったのでしょうか、人と人とが助け合い共に暮らすためのコミュニティが形成されたのでしょうか。
今回のシンポジウムは、こうした問題意識のもとに、コミュニティとは何か、どうすれば生き生きとした住みよい街ができるのか、「協働」という視点から現状を検証しこれからの多摩市を見つめて行こうとするものです。

主催 多摩自由大学 電話376・0038
206-32 多摩市南野3-5-29 大津山方

多摩自由大学

2008-08-25 14:40:14 | Weblog
    多摩自由大学シンポジウム予定
  下記により、シンポジウムを開催します。当日 会場に直接お越しください。
第2回 9月21日 「多摩市の環境問題と協働」
発言者  薮田雅弘(中大教授・多摩市環境審議会会長)
谷本寿男(恵泉女学園大教授)
江川美穂子(ごみ・環境ビジョン21)
司会 白石省吾
 多摩市のごみ問題から都市環境、地球温暖化対策まで、協働の実際を検証して討論する。
          
第3回 10月5日(日) 「街づくりとコミュニティ」
第4回 11月16日(日)「少子高齢社会と市民協働」
第5回 12月14日(日) 「協働社会の課題と未来」
開催時間・場所 いづれも 午後1時半~4時半・パルテノン第2 3多摩会議室
 
   費用など=資料代のみ300円
     問い合わせなど=042-376-0038事務局