山鹿灯篭(とうろう)まつりは、こうした背景とも関係があると思います。
灯篭まつりの始まりとされる室町時代(1500年ごろ)は、和紙や生糸(きいと)などの商品作物の生産とそれを取引する商業がさかんになった時代です。そのころから山鹿で灯篭が、江戸時代(1600年ごろ)には来民(くたみ)でうちわや和傘が、地元の和紙を使ってつくられていました。
このように和紙を使った灯篭づくりは古いものなのですが、頭に灯篭をかぶる灯篭踊り(おどり)はいつ始まったのでしょうか?ろうそくを使っていた時代では、展示はできても踊ると焦げてしまいそうです。
芝居小屋である八千代座は明治43(1910)年、自動車輸送が始まる前の山鹿が一番栄えたころ、豊前街道ぞいの商店主たちが山鹿の街を楽しくしようと自分たちでつくりあげたものです。続いてすぐの明治45(1912)年には元号が大正にかわります。大正時代は、鉄道が通り、ラジオで唄(うた)やドラマを聞き、休日に家族や友人と芝居や映画を見て温泉に入る、新しい楽しみが増えた時代です。
山鹿灯篭踊りの「よへほ節」も、その少しあと昭和8(1933)年に現在の形になっています。古くから伝統のある和紙工芸と当時の唄や踊りの遊びを組み合わせて、よそから訪ねてくる人たちにも楽しめる祭りとして生まれ変わったものなのです。昔から何も変わらないまま引き継がれてきたと思った地元の祭りも、そこに住む人たち自身が工夫を積み重ねつくりあげてきたものだったのですね。これもイノベーションです。(塾長)
灯篭まつりの始まりとされる室町時代(1500年ごろ)は、和紙や生糸(きいと)などの商品作物の生産とそれを取引する商業がさかんになった時代です。そのころから山鹿で灯篭が、江戸時代(1600年ごろ)には来民(くたみ)でうちわや和傘が、地元の和紙を使ってつくられていました。
このように和紙を使った灯篭づくりは古いものなのですが、頭に灯篭をかぶる灯篭踊り(おどり)はいつ始まったのでしょうか?ろうそくを使っていた時代では、展示はできても踊ると焦げてしまいそうです。
芝居小屋である八千代座は明治43(1910)年、自動車輸送が始まる前の山鹿が一番栄えたころ、豊前街道ぞいの商店主たちが山鹿の街を楽しくしようと自分たちでつくりあげたものです。続いてすぐの明治45(1912)年には元号が大正にかわります。大正時代は、鉄道が通り、ラジオで唄(うた)やドラマを聞き、休日に家族や友人と芝居や映画を見て温泉に入る、新しい楽しみが増えた時代です。
山鹿灯篭踊りの「よへほ節」も、その少しあと昭和8(1933)年に現在の形になっています。古くから伝統のある和紙工芸と当時の唄や踊りの遊びを組み合わせて、よそから訪ねてくる人たちにも楽しめる祭りとして生まれ変わったものなのです。昔から何も変わらないまま引き継がれてきたと思った地元の祭りも、そこに住む人たち自身が工夫を積み重ねつくりあげてきたものだったのですね。これもイノベーションです。(塾長)