歴史は、おおまかにどんな時代だったか→おもな年号→年表と出来事の順序→ノートにながれで整理→問題を解いて暗記、が理想的な勉強パターン。参考にしてね。
めいじじだい【明治時代】
1868-1912年。江戸幕府(えどばくふ)から、明治天皇に政治の実権(じっけん)がかえされた。開国(かいこく)からの経済(けいざい)の混乱をおさめ、ロシア・イギリス・アメリカなどから植民地にされないために近代化(きんだいか)をすすめた時代。
1868年;ひとつやろうや、五箇条(ごかじょう)の御誓文(ごせいもん)」
1873年;いやな3パーセント、地租改正(ちそかいせい)
1877年;いやな内乱(ないらん)西南戦争
1868年;五箇条の御誓文→明治天皇の政治の方針
1869年;版籍奉還(はんせきほうかん)→地方の土地や人民(じんみん)を天皇へかえす、開拓使(かいたくし)を北海道に
1971年;廃藩置県(はいはんちけん)→藩(はん)を廃止して府(ふ)や県をおく、郵便制度、解放令、日清修好条規(にっしんしゅうこうじょうき)、
台湾出兵(たいわんしゅっぺい)、岩倉具視使節団(いわくらともみ・しせつだん)
1972年;学制(がくせい)→全国に小学校をおき、義務教育がはじまる、太陽暦(たいようれき)、新橋-横浜に鉄道、富岡製糸場(とみおか・せいしじょう)
1973年;地租改正→米でおさめていた税(ぜい)をやめ、地価の3%を現金でおさめさせた、徴兵令(ちょうへいれい)、征韓論(せいかんろん)
1974年;民選議院設立建白書(みんせんぎいん・せつりつけんぱくしょ)→士族を中心に、議会をひらくことをもとめる、板垣退助の立志社
1975年;樺太・千島交換条約(からふとちしまこうかんじょうやく)、小笠原諸島(おがさわらしょとう)が日本に
1976年;日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)→朝鮮(ちょうせん)に不平等条約(ふびょうどうじょうやく)を
せいなんせんそう【西南戦争】
江戸から明治にかわり仕事をうしなった、士族(しぞく)がおこした最大・最後の内乱(ないらん)。明治政府の官軍(かんぐん)と、鹿児島の西郷隆盛(さいごうたかもり)と士族たちの薩摩(さつま)軍が戦った。薩摩軍は敗(やぶ)れ、士族たちは国会の開設(かいせつ)をめざす自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)をおこなうようになる。
1979年;琉球(りゅうきゅう)を沖縄県へ
年表をもとに、ながれを整理します。明治の近代化には、三つのながれ。
(1)天皇を中心に政治をおこなう中央集権(ちゅうおうしゅうけん)へのながれ
五箇条の御誓文→版籍奉還→廃藩置県→地租改正(現金化で税収の安定)
(2)国境をさだめ、対等な外交へのながれ
開拓使(樺太に兵を送りこむロシアに対抗・屯田兵)→日清修好条規(初の対等条約)、台湾出兵(琉球の漁民が殺されたことから)、岩倉具視使節団(不平等条約改正の失敗・殖産興業へ)→征韓論→樺太・千島交換条約、小笠原諸島領有→日朝修好条規(朝鮮への不平等条約)→沖縄県設置(清との両属から日本統治へ)
(3)経済の安定と富国強兵(ふこくきょうへい)へのながれ
解放令→学制、鉄道、富岡製糸場→地租改正、徴兵令(国民皆兵)
征韓論からは、自由民権運動のながれとして整理ができます。三つの例にならって、試してみましょう。(塾長)
めいじじだい【明治時代】
1868-1912年。江戸幕府(えどばくふ)から、明治天皇に政治の実権(じっけん)がかえされた。開国(かいこく)からの経済(けいざい)の混乱をおさめ、ロシア・イギリス・アメリカなどから植民地にされないために近代化(きんだいか)をすすめた時代。
1868年;ひとつやろうや、五箇条(ごかじょう)の御誓文(ごせいもん)」
1873年;いやな3パーセント、地租改正(ちそかいせい)
1877年;いやな内乱(ないらん)西南戦争
1868年;五箇条の御誓文→明治天皇の政治の方針
1869年;版籍奉還(はんせきほうかん)→地方の土地や人民(じんみん)を天皇へかえす、開拓使(かいたくし)を北海道に
1971年;廃藩置県(はいはんちけん)→藩(はん)を廃止して府(ふ)や県をおく、郵便制度、解放令、日清修好条規(にっしんしゅうこうじょうき)、
台湾出兵(たいわんしゅっぺい)、岩倉具視使節団(いわくらともみ・しせつだん)
1972年;学制(がくせい)→全国に小学校をおき、義務教育がはじまる、太陽暦(たいようれき)、新橋-横浜に鉄道、富岡製糸場(とみおか・せいしじょう)
1973年;地租改正→米でおさめていた税(ぜい)をやめ、地価の3%を現金でおさめさせた、徴兵令(ちょうへいれい)、征韓論(せいかんろん)
1974年;民選議院設立建白書(みんせんぎいん・せつりつけんぱくしょ)→士族を中心に、議会をひらくことをもとめる、板垣退助の立志社
1975年;樺太・千島交換条約(からふとちしまこうかんじょうやく)、小笠原諸島(おがさわらしょとう)が日本に
1976年;日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)→朝鮮(ちょうせん)に不平等条約(ふびょうどうじょうやく)を
せいなんせんそう【西南戦争】
江戸から明治にかわり仕事をうしなった、士族(しぞく)がおこした最大・最後の内乱(ないらん)。明治政府の官軍(かんぐん)と、鹿児島の西郷隆盛(さいごうたかもり)と士族たちの薩摩(さつま)軍が戦った。薩摩軍は敗(やぶ)れ、士族たちは国会の開設(かいせつ)をめざす自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)をおこなうようになる。
1979年;琉球(りゅうきゅう)を沖縄県へ
年表をもとに、ながれを整理します。明治の近代化には、三つのながれ。
(1)天皇を中心に政治をおこなう中央集権(ちゅうおうしゅうけん)へのながれ
五箇条の御誓文→版籍奉還→廃藩置県→地租改正(現金化で税収の安定)
(2)国境をさだめ、対等な外交へのながれ
開拓使(樺太に兵を送りこむロシアに対抗・屯田兵)→日清修好条規(初の対等条約)、台湾出兵(琉球の漁民が殺されたことから)、岩倉具視使節団(不平等条約改正の失敗・殖産興業へ)→征韓論→樺太・千島交換条約、小笠原諸島領有→日朝修好条規(朝鮮への不平等条約)→沖縄県設置(清との両属から日本統治へ)
(3)経済の安定と富国強兵(ふこくきょうへい)へのながれ
解放令→学制、鉄道、富岡製糸場→地租改正、徴兵令(国民皆兵)
征韓論からは、自由民権運動のながれとして整理ができます。三つの例にならって、試してみましょう。(塾長)