goo

六月の風1 支笏湖・苫東

『六月の風』。
このツーリングをこう名づけようと思いついたのは、ツーリングの終わりの頃だった。

5月、6月と、忙しい日々が続いていた。
慢性の疲労から来る肩凝り、頭痛、5月下旬にはひどい風邪もひいた。
足の裏が凝り、関節は固くなったようで、仕事の山を何とかしようと格闘しながらも、自分の限界点が近いような、そんな感じにさいなまれていた。

だから、6月16日、17日と今までの休日出勤の代替で休める目途がついたとき、
走りにいかねば、という思いと、ぐったりと倒れていたい、という思いが交錯していたのだ。
天気予報は16日に曇りが付き、17日は回復傾向を告げていた。

結局ぎりぎりまで踏ん切りがつかないまま、15日を迎え、僕はやはりだるさと憂鬱に悩まされていた。
「明日は出るの?」
と心配そうな妻に、
「絶対無理はしないつもり。もし目が覚めて、行けるようなら、行ってくる。」
と告げ、布団に入ったのが11時だった。


目が覚めたとき、時計は4時15分を指していた。
もしも今日、心の中で描いていたルートをたどるツーリングに出るなら、5時には出発した方がいい。
妻を起こさぬよう、静かに寝室を抜け出し、今にも泣き出しそうな早朝の空を見上げる。
やはり体が重く、憂鬱な気分が僕にまとわり付いていた。

一度玄関から外に出、冷たい空気を肺の奥まで入れながら、大きく伸びをする。
玄関先のヒメウツギが白い小さな花を咲かせていた。

カバーがかかったGPZを眺める。
カバーの下からチラッとリヤタイヤがのぞいている。
寝間着のまま、カバーをはぐると、GPZはその青い車体を見せて静かに眠っていた。

WAKE UP。

具合が悪くなるようなら、いつでも中断する。
事態が深刻化する前に引き返す勇気を、僕は年齢とともに身につけてきたのではなかったか。
本当はバッグにはもう荷物は積めてある。
行動せずに愚痴るよりも、一歩を踏み出す。
それが僕のスタイルだったはずだ。

Gパンの下に防寒のためにタイツを履き、その上から膝と脛のプロテクターを着ける。Gパンを履いたら、その上にさらにオーバーパンツを履く。
下着のシャツ、ボタンダウンのシャツ。ポーラテック2000の14年もののフリースの上に、ダイネーゼの脊椎パッドを背負い、その上からジャケットを着て、さらに雨合羽を羽織る。

グローブはいつものグリップスワニーG2。
長距離、長時間のときはAraiRX-7RRⅣを被る。

たぶん寝ているふりをしてくれてる妻に、そっと行って来ますの挨拶をして。


旅立て。
日常を切り裂いて、路上の人となれ。
家の前の坂道を、エンジンをかけずに滑走しながら、チョークレバーを引き、ギヤを4速に入れ、家と家の間が開いているところを見計らってクラッチをつなぐ。
セルモーターの力を借りずに、GPZのエンジンは目覚め、おだやかに坂を下っていく。
坂の下の信号まであと300m。
信号が青に変わったら、自分と相棒の暖気運転をしながら、進路を南へ向ける。

旅の始まり。

泣きそうな空。
低い気温。所々に立ち込める霧。
支笏湖までの国道453号線は、20年前、「現役」だった頃、毎晩のように通った道だ。
札幌市真駒内から常盤の町を抜け、除雪センターから支笏湖ポロピナイの岸まで、約30㎞にわたって山の中のワインディングが続く。
あの頃、漆黒のスカイラインが夜12時から1時頃にまるで幽霊のように現れ、我々全員を毎回ぶっちぎっては闇をつんざく排気音とタイヤのスキール音とともにまた闇の中に消えていったものだった。

今でも、走り屋の「朝連」は存在しているようだが、この霧の中では、1台のバイクと遭遇することもなかった。
明るい洞爺湖に比べると、支笏湖はいつも何か暗さを僕に感じさせる。
神秘の湖。孤独な湖。
夏には人で賑わう様を何回も見てきたというのに、僕にとっての支笏湖はどこか陰のある、それでいてそこが魅力的な湖なのだ。

5時59分。湖畔にバイクを停め、しばし佇む。
釣り人の姿が一人。車もバイクもやって来ない。


支笏湖から国道276号線を苫小牧へ。
苫小牧から国道235号線で東に向かう。

途中、苫小牧東部石油備蓄基地に立ち寄る。
この一帯は勇払原野と呼ばれて、釧路湿原などに似た湿原帯だった。
そこに大規模な港を作り、火力発電所を作り、石油備蓄基地を作り、
湿地を埋め立てて大規模な工業団地を作って苫小牧東部工業団地とした。

いくつかの工場は来たものの、広大な敷地は多く荒野となっている。
国内の賃金水準で、しかも材料から製品まで多くの輸送コストのかかるこの地は、多くの企業の選択肢から外れたのだ。
公共事業。
多くの税金をつぎ込み、道も借金をして造った工業団地。
北海道開発局の官製談合事件がかまびすしいが、貴重な自然を壊して、開発時の土木建築特需で潤う、そんなことが繰り返されてきたのも、北海道の歴史の一つの側面だ。

いや、二酸化炭素を余計に吐き出して遊びに着た大型バイク乗りなぞに、そんな感慨は持ってほしくないかもしれない。


この場所から1キロ以上遠くにある、巨大な火力発電所にGPZを重ねてみる。
どちらも日本が誇る工業製品であることは確かだ。

「だからエコ。」
などと明るく前向きになるのが正しいのだろうが、
あまりに明るいと、どこか胡散臭いものを感じてしまうのは、根がひねくれているからなのか。

7時04分。発電所に別れを告げ、さらに東に向かう。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
« 『六月の風』... 六月の風2 日高 »
 
コメント
 
 
 
Unknown (弾正)
2008-06-19 23:00:13
走るか休むか悩んでしまったら走ってしまいます。
休むときは休むと思わないと休めなくないですか。
当方はというと今は、例え寝不足でも体調不良でも跨って走ってしまうと全てを忘れてただ進むことが楽しかったりしてます。
ただ、帰ってきてバイクを降りたときにはどっと疲れてその後は爆睡です。
 
 
 
Unknown (弾正)
2008-06-19 23:01:33
追加ですみません。
お気に入りに入れてもいいですか?
もし都合良くなければ言ってください。
 
 
 
休憩するようにしてます。 (樹生和人)
2008-06-20 05:38:33
弾正さん、こんにちは。
一度走り出すと、なかなか止まりたくなくなるもので、給油のタイミングを逃してしまったりすることも多いです。

日帰りでふらっと走り出すときは無計画にとりあえず走ってしまうことが多いのですが、始めから長時間、長距離を走るつもりのときは、1時間に1回は短時間でも停まってバイクから一度降り、リフレッシュするようにしています。これがなかなか停まりたくないんですが、休憩を入れるように自分に課しています。
そうしないとその日の後半に肩凝りがひどくなりつらくなることが多いんです。
私の場合。齢とともに、自分をいたわりつつ走る、走らざるを得なくなってきました。

でも、「例え寝不足でも体調不良でも跨って走ってしまうと全てを忘れてただ進むことが楽しかったりしてます。」っていうの、わかります。
というより、これがバイクの魅力ですよね。

「お気に入り」追加、光栄です。
 
 
 
まだまだ朝晩は冷えます (こばま)
2008-06-20 19:17:11
樹生さん、お久しぶりです。

私も長時間体を冷やすと消耗が激しいので、
この時期は似たような装備になってます。

Gパンの下にタイツ+ニーシンガード。
厚手のシャツ、ジャケット+肩パッド+肘パッド+脊椎パッド。
早朝ならレインスーツ+フェイスマスク。
 
 
 
装備、似てますね。 (樹生和人)
2008-06-20 21:32:35
こばまさん、こんにちは。
おお、似たような装備ですね。
パッドって、意外と防寒にも効果在りますよね。
若い頃は凍えながらでも走れたものでしたが、
私もおっしゃるとおり、体力の消耗が激しくなり、防寒には特に気をつけるようになりました。

この日も朝は寒かったのですが、上記の装備のおかげで寒さを感じずに走ることができました。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。