バイクライフ・バイクツーリングの魅力を北海道から。
聖地巡礼-バイクライディングin北海道-
エドウィン・ダン記念館

(エドウィン・ダン記念館正面入り口。真駒内の中心部に公園を背に建っている)
札幌市南区、真駒内にある「エドウィン・ダン記念館」を訪ねたのは、七月終わりも近い休日の午後でした。
北海道は明治以降、日本によって本格的に「開拓」が行われましたが、そこで外国人の果たした役割もたいへん大きなものがありました。
最も有名なのは札幌農学校(現北海道大学)に来たクラーク博士でしょう。
「お前ら、野心家でいろよ!」(Boys be Ambitious!)
(=「小年よ、大志を抱け」)
で、有名な彼の銅像は、札幌市の羊が丘公園に立っています。
しかし、北海道の酪農にとって、また農耕に必須だった馬の飼育にとって、非常に重要な役割を果たしたのがアメリカ出身の体の大きな若者、エドウィン・ダンだったことは、意外に知られていません。

(館内の様子。明治初期の北海道に建てられた様式の建物の特徴をよく表している)
エドウィン・ダンはアメリカはオハイオに1848年に生まれました。
明治6年、アメリカの畜産技術を日本で指導するために来日。
明治8年、函館に訪れ、道内の牧場を視察、意見書を出しています。この年、日本人女性と結婚、日本に永住する決意を固めます。
明治9年、札幌に転勤します。
彼の功績は非常に大きく、競馬を日本で始めたのも彼ですし、日高を馬産地にしたのも彼の功績が大きいのです。
その他、牛の飼育、羊の飼育でも、畑作の指導でも、大変多くの仕事をしました。
妻の死、再び日本女性との再婚、アメリカ在日公使着任など、札幌から離れ東京に住んでからも日本にとって大きな存在であり続け、日本での石油採掘事業を始め、三菱に勤務するなど、晩年まで精力的に働きました。
1931年(昭和6年)に東京代々木の自宅で永眠しています。

(資料室の出窓は上下スライド式。館内は当時の写真や地図等の資料も豊富。)
エドウィン・ダン記念館の建物は、旧北海道庁真駒内種畜場事務所の一部で、
明治9年、開拓使牧牛場として、エドウィン.ダンの手により建てられたものです。創立されて以来、北海道の酪農畜産はこの建物を中心として展開されたとのこと。
現役を退き、補修された今は記念館として北海道での明治建築の構造を残した建物として大切にされています。

建物の裏手は広い公園になっています。
昔からの樹と、植え直された樹が混じった木陰の小路沿いには、野生の鴨のいる池もあり、写真奥手側はひろい芝生の広場になっていました。
男の方がひとり、空手の型の稽古をしていました。

公園の中、樹々に囲まれて、エドウィン・ダンの銅像がありました。
ふるさとオハイオを遠く離れ、ひとり異国で農業畜産業の指導を行いながら暮らしたエドウィン・ダン。
彼の子孫は健在で4代目の方が東京からこの地に訪れたことも、記念館のアルバムの中に記事がありました。
札幌市南区、真駒内にある「エドウィン・ダン記念館」を訪ねたのは、七月終わりも近い休日の午後でした。
北海道は明治以降、日本によって本格的に「開拓」が行われましたが、そこで外国人の果たした役割もたいへん大きなものがありました。
最も有名なのは札幌農学校(現北海道大学)に来たクラーク博士でしょう。
「お前ら、野心家でいろよ!」(Boys be Ambitious!)
(=「小年よ、大志を抱け」)
で、有名な彼の銅像は、札幌市の羊が丘公園に立っています。
しかし、北海道の酪農にとって、また農耕に必須だった馬の飼育にとって、非常に重要な役割を果たしたのがアメリカ出身の体の大きな若者、エドウィン・ダンだったことは、意外に知られていません。

(館内の様子。明治初期の北海道に建てられた様式の建物の特徴をよく表している)
エドウィン・ダンはアメリカはオハイオに1848年に生まれました。
明治6年、アメリカの畜産技術を日本で指導するために来日。
明治8年、函館に訪れ、道内の牧場を視察、意見書を出しています。この年、日本人女性と結婚、日本に永住する決意を固めます。
明治9年、札幌に転勤します。
彼の功績は非常に大きく、競馬を日本で始めたのも彼ですし、日高を馬産地にしたのも彼の功績が大きいのです。
その他、牛の飼育、羊の飼育でも、畑作の指導でも、大変多くの仕事をしました。
妻の死、再び日本女性との再婚、アメリカ在日公使着任など、札幌から離れ東京に住んでからも日本にとって大きな存在であり続け、日本での石油採掘事業を始め、三菱に勤務するなど、晩年まで精力的に働きました。
1931年(昭和6年)に東京代々木の自宅で永眠しています。

(資料室の出窓は上下スライド式。館内は当時の写真や地図等の資料も豊富。)
エドウィン・ダン記念館の建物は、旧北海道庁真駒内種畜場事務所の一部で、
明治9年、開拓使牧牛場として、エドウィン.ダンの手により建てられたものです。創立されて以来、北海道の酪農畜産はこの建物を中心として展開されたとのこと。
現役を退き、補修された今は記念館として北海道での明治建築の構造を残した建物として大切にされています。

建物の裏手は広い公園になっています。
昔からの樹と、植え直された樹が混じった木陰の小路沿いには、野生の鴨のいる池もあり、写真奥手側はひろい芝生の広場になっていました。
男の方がひとり、空手の型の稽古をしていました。

公園の中、樹々に囲まれて、エドウィン・ダンの銅像がありました。
ふるさとオハイオを遠く離れ、ひとり異国で農業畜産業の指導を行いながら暮らしたエドウィン・ダン。
彼の子孫は健在で4代目の方が東京からこの地に訪れたことも、記念館のアルバムの中に記事がありました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

« 走れ!ベロタ... | グリップスワ... » |
コメント(10/1 コメント投稿終了予定) |
コメントはありません。 |
![]() |
コメントを投稿する |