医大生・たきいです。

医大生的独言。

理系/文系論争はもうやめにしよ

2014-05-08 23:59:59 | 医大生的生活

今年の新入生の女の子は誰がかわいいのかとかいう話は入学式から三日もすれば全校中に知れ渡っている。しかし男の子となるとその魅力を探り出すのには少々時間がかかるものだ。同級生の女の子と話をしていたところ、新入生男子達を、ようやく外見だけは二つのタイプに分類できたのだという。なるほど。ひとつのタイプはイケメンなのだという。確かに今年の1年生はイケメンが多いと噂である。ここで次のグループは非イケメンなどと言い出したらあまりにも真実すぎて面白みもないのでどういった答えを捻り出してくるものかと話しながら楽しみにしてみたのだが、楽しみにしなきゃよかった。もう一つのタイプは「たきいみたいな人」なのだという。間接的にたきいは非イケメンであるという烙印を思いがけず話し相手からかけられてしまって動揺しましたとさ。イケメンに生まれ変わりたい。医大生・たきいです。


さて、昨日のブログにて、某国立大学文学部4年のあかねさんから「学校にいる時間が一番長いのは、文系も同じです!!」というお叱りのコメントをいただいた。理系の大学に通っている人はその拘束時間の長さから、文系なんて…という感情を抱きがちなのは確かなのだが、その辺の筆者の心情までこの稚拙なブログの文章から読解されてしまったというのは流石文学部というところである。少なくとも文系なんて…と文系の人たちを一括りにするのは誤っているのであろう。

文系と理系の選択というのは高校生あたりで迫られるわけだが、どうして互いを敵対視してしまいがちなのであろう。世の中には安直な文理の対比を掲げたものが多すぎる。ふと考えていたところに本日学長先生の講義があった。知性溢るるお方で久しぶりに気づけば傾聴してしまうような講義だった。

曰く、医療に求められるのには二つの側面があるのだという。ArtとScienceである。Artというのはいわば総合的な技術のことで、経験が重要であり、「よく生きる」ことができるように支援する実践術なのだという。対してScienceは経験や勘に頼らず、客観的な法則性を見出す技術で、メカニズムに基づく理解が重要とされる。Scienceは再現性を重んじ、そこから法則を導くものだ。世の中はすべての現象が繰り返し起こるということもなく、一回限りのものもある。かかる現象をArtが補完しているともいえるだろう。ArtとScienceは一見すると対立する概念である。しかしその両面を要求されるのが医療者だ。このバランスを取るのは一生の課題だと学長先生は仰っていた。バランスを取るのはまさにアーティストなのだという。それには心のバランスが重要なのだとも。

理系だからどうのこうの、文系だからどうのこうのと世間は揶揄しあうのが好きなようだ。しかし、自分が医師になると決めた人間、あるいは医師であるならば、かかる談義に花を咲かせているのは滑稽な姿なのかもしれない。医は仁術であり、統合的な知が要求されるからである。そこには「理系」も「文系」もないのだ。

先日高校時代の先輩と久しぶりに会って話をしたときの影響でデカルトの「方法序説」を買って読んでいるのだが、その本の話の多岐にわたる様子に驚いた。哲学の話を期待していたのに、思いがけず動脈とか静脈とかそういう話を読まされたのである。本来学問とは単一のものなのかもしれない。学問というのは大木とも取れるか。困難は分割せよと説いたのはデカルトご自身だったのかもしれないが、もとはそうした考えから理系/文系の区分が生まれたのであろう。現代の人間が理系文系の甲乙を語っている様子は、まさしく木を見て森を見ずの状態であるようにも思わされた。

昨日までの愚かさに気付けたから少しだけ成長できた気がする。






(1年間くらい「ワンチャンうぇーい文系大学生」をやってみたい人(笑))






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3 コメント

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再び失礼いたします (あかね)
2014-05-09 23:37:49
昨日までは単なる読者だったブログに、私の個人的な発言が引用されているなんて、誠に恐縮です。
学部や大学によっては、明らかに時間を持て余している学生が見受けられることも事実ですし、一方的な批判を押し付けるだけなのは性に合いませんので、再び、コメント失礼いたします。

文化人類学では、自身の文化との比較によることでしか、他の文化を解明することはできないとされているそうです。明確な対立項を以て、共通点や相違点を見出すことでしか、自分のことは勿論、それ以外のことも、理解できないのでしょう。
今、この記事を読むまで、私はそう思い込んでいました。

しかし。自己と他者。その境界は、極めて曖昧なもののように感じます。
ツヤを求めて毎晩トリートメントする髪も、抜け落ちてしまえば完全なる他者なのか。目の前にあるおにぎりは、口に入れて飲み込んでからも、他者だと言い切ることができるのか。
医学的には何か定義があるのかもしれませんが、少なくとも、ごく個人的な感情では、一人ひとり違う意見を主張するのではと思われます。

元々は同一なものであるはずなのに区別して考えがちなものと、別々だと認識しがちだけれども自己となりうるもの。
きっと、自己と他者とを分けるのは、各自が設けた主観なのだと気付きました。デカルトの言う、「原理」を何処に設けるのか、その意味が漸く、見えてきたように思います。

他者の意見、とりわけ、普段全く違うものを見聞きしている方の文章を読むって、楽しいですね。

有意義な時間を、ありがとうございました。
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あかねさんへ (たきい)
2014-05-10 12:54:33
これまた示唆に富むコメントをありがとうございます。勉強になります。

自分なりにあれこれ考えて、また一本記事を書いてみました。ブログネタのご提供ありがとうございます(笑)。議論の甘さも否めないのでご批判願えれば幸いです。

ブログ用のメアド
idaiseitakii@gmail.com
もあるのでよかったらこちらにもどうぞ。

このブログは一方的なものだと自分では思っていましたが、思いがけず双方向的なやりとりができて満足しております。

普段は実に下らないことしかブログに書いておりませんが(苦笑)、今後ともよろしくお願いいたします。
返信する
Unknown (Unknown)
2014-05-10 18:23:48
たきいの性欲が如実に顕在化してる…
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