過去~現在~未来

何故、人には差別があるのかを仏法の道理から考えて見ます。

何故、勤行をするのか②

2009年06月24日 | Weblog

 「我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふなり」ーー“仏界の当体として顕わされた御本尊を崇め、南無妙法蓮華経と唱えるところに、我々の中の仏界と御本尊の仏界が相呼応して、我々の生命の中に仏界が顕われてくる、これを成仏という”と言われています。
ここに、勤行をする目的が端的に示されています。つまり、我々が勤行する目的は、まさに我々の中に眠っている仏界を開くためであって、勤行することによって我々の中の仏界を開発していく、そして成仏ができる、そのために勤行をするわけであります。
ここのところで大事なことは、ただ題目を唱えればよいとか、ただ御経を読めばよい、ということではなくて、御本尊を崇め奉って勤行する、ということであります。
これは感応の理(ことわり)です。感応とはどういうことか、と言いますとーーまず、信仰するということは、信じ仰ぐということですが、「仰ぐ」とは、下から上を仰ぐ、つまり、尊敬するという意味です。あくまでも、下から目上の方を仰ぐのです。上から下を見て「仰ぐ」とは言いません。上から下を見るのは「見下す」というのです。
また、「信ずる」というのは、わかりやすく世間的な言葉でいえば、「信頼する」という言葉が当てはまるでしょう。